無料公開 『作業で語る事例報告』 第2版のあとがき
9月に発売しました『作業で語る事例報告』第2版ですが,先行販売した第56回日本作業療法学会(京都)で書籍販売ブース売上げランキング1位になりました.多くの方に手にとっていただきありがとうございます.
この度,医学書院様のご協力で「あとがき」を無料公開させていただきます.
以下,転載禁止
平成27年度「高齢者の地域におけるリハビリテーションの新たな在り方検討会」の報告で,訪問リハビリテーション領域において漫然と無目的な機能訓練が提供され続けている実態が指摘されている.遡れば,平成15年の高齢者リハビリテーション研究会の報告書でも同様の指摘がされている.同報告書では,この状況の打開策として,活動・参加レベルの目標設定を推進しているものの,いまだ状況の改善には至っていない.
上記の報告から,活動・参加レベルの作業に焦点を当てた「作業に焦点を当てた実践」には様々な障壁が存在していることが想像できる.しかし実際に,作業に焦点を当てた実践を行い結果を出している作業療法士がいることも事実である.そこで,活動・参加レベルの目標達成を支援している作業療法士が,対象者との作業療法プロセスの中で,どのような臨床判断を行い評価・支援を行っているのかについて,質的研究手法であるを複線径路等至性アプローチ(Trajectory Equifinality Approach: TEA)を用いて検証を行った.
この研究に参加してくれた4名の作業療法士の実践には様々な障壁があった.ある対象者は主体的に作業療法に参加しようとしなかった.ある対象者とその家族は,前任者から継続してきた機能訓練以外を受け入れようとしなかった.またある対象者は,自己の能力を過大評価し,現実的な話し合いができない状態だった.しかしこれらの状況に直面しても,作業療法士は,対象者を恣意的に誘導するようなことはせず,また,安易に迎合することもしていなかった.対象者の機微を感じ取りながら繊細な臨床判断を行い,対象者が自己を作業の視点で内省できるよう働きかけ,対象者と一緒に活動・参加レベルの目標を共有し,動機づけ,共有した目標の実現に向け協働していた.
なぜ研究に協力してくれた作業療法士はこのような実践ができるのか?作業療法士の臨床判断の基盤となっているものは何か?インタビューを通して確認すると,そこには「作業療法がクライエント中心の実践であること」「あらゆる支援は信頼関係があるからこそ有効であること」「作業療法の目標は作業療法士が一方的に決めるものではないこと」「対象者が主体的に参加することが大切であること」などの価値観や信念があった.
これらは特別な概念ではなく,すべての作業療法士が「知識」としては知っていることだと思う.しかしこれらの知識を「技」に昇華できている作業療法士はどれくらいいるだろうか.技は最初から技として学ぶことのできるものもあるが,対象者との相互交流の中で即興的に行われる判断や,判断によって選択される技は,知識と思考によって導かれる.
この研究を通して,改めて作業療法士が対象者を包括的に捉え,助け,導く技術に感服したが,同時にだれもが同じような水準の臨床実践を行うことはとても難しいだろうとも思った.
上の研究を行っていた時期に,学生教育に対する研究も並行して行っていた.これは,作業療法の中心概念である作業について学ぶ「作業科学」の学習経験が,作業療法学生に与える影響について検討したものであり,フォーカス・グループ・インタビュー(FGI)の結果を,質的データの分析手法であるSteps for Coding and Theorization(SCAT)を用いて分析し理論記述を行ったものである.
FGIの中で学生は様々なエピソードを話してくれた.作業が持つ力を知ったことで,なぜ作業療法という仕事が存在するのかが分かった気がしたと話す学生がいた.作業バランスの知識を活用して自分の生活を改善した学生もいた.作業的公正や作業権を学んでから,新聞やニュースで世界の情勢を見る際の見方が変わったと話してくれた学生もいた.
学生達は,作業科学を通して作業の持つ力を知り,自身を作業的存在として見つめるプロセスを通して作業が人に与える影響を実感を得ていた.まだ大学に入学したての学生は,素直に作業に関する知識を吸収していた.
しかしながら,作業の力を感じ取ったあの日の感覚は,膨大な知識を消化する日々の中で少しずつ薄まっていく.いつの間にか定量的な検査結果の変化にのみ価値を見出すようになる者もいる.作業科学の学習経験は学生に素晴らしい気付きや実感を提供していると感じる反面,それを臨床実践につなげることの難しさも同時に感じた経験であった.
医療の世界に身を置いていると,最小のコストで最大の利益を得ることを求められる.それは,入院期間や単位数,機能回復やADL能力の回復の程度で測られる.これらを追求することは診療点数を算定する立場として当然の責務である.一方で,これらのアウトカムだけで作業療法の効果を測ろうとすれば,作業療法が本来持つ強みは見えにくくなる.
学生が作業を専門性の中心に据えながら様々な知識を吸収することの難しさ,臨床家が各種保険制度の中で求められる結果を出しながら作業療法の強みを発揮することの難しさ,臨床現場で他の職種とは異質性を帯びた作業療法の専門性を発揮し続けることの難しさ,作業療法が一般市民に認知されていない現状で対象者と協働することの難しさ… 学生や臨床家は,自覚的にも,無自覚にも様々な難しさと向き合っている.
向き合うことを放棄する者もいる.難しさを引き受け,作業療法の持つ力を信じ,向き合い続ける者もいる.前者を選択することは,作業療法士自身に表面的な安寧をもたらすかもしれないが,対象者に対しても,自分自身に対しても望ましい利益をもたらさない.しかし人は自分の選択を正当化する.多くの場合,前者を選択した者の中で,その選択は正当化され,望ましい利益を得る機会を失ったことにすら気づかない.
作業療法を生業にする以上,後者の選択の中にいたいと思う.同時に,向き合わなければならない難しさをなんとかしたいとも思う.そのためには,1人ひとりの作業療法士が,作業の力や作業療法の持つ力を学問的に理解し,作業療法の目的と手段を見失わずに,事例を通して結果を出すこと.結果を出すまでのプロセスや思考過程を的確に言語化すること.職能団体全体で作業療法の効果を実証することが必要である.
本書を通して,また,本書を学びの入り口として,作業や作業療法の力について理解を深めてほしい.そして,対象者との協働の過程で新規性のある知見を生み出すことができたかもしれないと感じたときは,ぜひ事例報告を作成してほしい.学生や若手療法士は,新規性の有無に限らず,日頃から自己の臨床を言語化するトレーニングとして事例報告を作成することも大切である.
もちろん1本の事例報告で世界を変えることはできない.しかし臨床家のみなさんには,良質な事例報告が,作業療法の効果を実証するための「仮説」生み出しているということを意識してほしい.自分が行ったオリジナルの実践を振り返り「○○を行ったことが,対象者に○○の変化をもたらした」と言い切ることはできない.しかし報告の作法に則り「○○と行ったことは,対象者に○○の変化をもたらした可能性がある」と仮説を示すことはできるし,むしろ形にする必要がある.強力なエビデンスを作り出す実証研究も,多くの場合,臨床家が報告した事例報告によって生成された仮説からはじまる.
人は目先の利益が得られない状況や,すぐに結果の出ない状況の中で動機を維持し続けることは難しい.しかし専門職である以上,1人ひとりの小さな成果を積み上げながら,職能集団全体で質の底上げを図っていくという意識,つまり自分が「大河の一滴」であるという意識を常に持っていたい.すべての臨床家の1つひとつの実践が繋がり作業療法の未来をつくる.これまでも,これからも.
本書がその壮大な営みを支える羅針盤の一つとなることを願って.
齋藤佑樹