無料公開:臨床経験の中での「障害受容」
『臨床作業療法 NOVA』2021年最初の1冊(Vol.18 No.1 3月15日発売)は,田島明子先生(湘南医療大学)が編集の 『作業療法の奥行きを定める(当事者性と専門性)仮題』です.私も少しだけ執筆させていただいています.今回,青海社さんのご協力により,私の担当部分を発売に先駆けて無料公開させていただきます.
以下無料公開(無断転載禁止)
はじめに
学生時代,Cohn, N の段階理論とWright, A の価値転換理論を融合させた上田の「障害受容論」を学んだ.臨床経験が全くない当時の私は素直に「そういうものか」を思った.作業療法士になり,様々な場を経験する中で,少しずつこの言葉に違和感を感じるようになった.正確には,この言葉の「使われ方」に違和感を抱くようになった.
本稿では,著者の臨床経験を振り返りながら,障害受容という言葉の使われ方やその背景にある構造について考察しつつ,障害受容について考える中で,著者の臨床がどのように変化していったのかについて紹介していきたい.
まずは障害受容に限定することなく,回想の進入角度に自由度を与えながら,過去に私が臨床場面で違和感を感じてきた事柄について広く紹介することを本稿の始点としたい.直接的には障害受容と関係がないような事柄であっても,自分が臨床時代に感じていた違和感には,その理由に何らかの共通点があると思うからである.
少しずつ積み重なった違和感
2000年に作業療法士になった私は,就職した直後に回復期リハビリテーション病棟(回復期病棟)の立ち上げに関わった.当時は,「回復期とは機能の回復ではなく人生の回復を目指す時期である.廃用症候群を予防・改善するためにとにかく離床させよう.機能回復に固執していては大切な時間が無駄になる.麻痺側の回復ではなく健側を強化しよう.車椅子で自立度向上を目指すより介助での歩行機会を増やそう.指示を与えるのではなく患者に自己決定をさせよう」という強いメッセージが私達の思考や行動に影響を与えていた.私は,上記のコンセプトに対して明快さを感じると同時に,そのときはまだ正体のわからない僅かな違和感を感じはじめていた.
日々の業務に対して少し余裕を持って取り組むことができるようになった頃,カンファレンスや何気ない会話の中で度々耳にする「まだ機能回復に固執している」という言葉に違和感を覚えるようになった.また,積極的でない対象者を「障害を受容できていない患者」として扱う場面や,プログラムについて語る際に「◯◯させる」という表現をする場面,歩行の再開を切望する対象者に対して「歩くことよりも,歩いた先で何がしたいんですか」と医療者が話題を転換する場面…様々な場面で違和感を感じるようになり,それは少しずつ積み重なっていった.
違和感の正体の言語化
中堅の頃だったであろうか,それまで私が感じてきた違和感の正体について,自分なりの言語化を試みたことがあった.それが以下の3つである.
1つ目は,対象者に対する医療者の「操作的態度」である.私達は日々対象者に様々なアプローチを行うわけだが,私達が行うことは,対象者が自らの思考や行動を健康的なものへと変容していくためのひとつの環境因子になることであり,恣意的に対象者を操作・加工することではない.対象者の主体を中核に据え,実現傾向を前提としながら「協働」というスタンスで対象者により良い影響を与えるべく働きかけを行うのか,「○○させる」といった操作的態度で関わるのか,これらは,臨床現場で展開される些細な会話や態度に表れる.私に違和感を与えていたのは,対象者を「生きる主体」として中核に置かない操作的な言葉や態度であったように思った.
2つ目は「問題点の多重性」である.一般的に作業療法では,対象者と一緒に目指すべき生活像を共有し(すべての対象者と共有できるわけではないが),その生活に必要な作業遂行を妨げる要因を「問題点」と表現する.しかし実際の現場では,医療者が設定したプログラムが予定どおりに進まない状況や,対象者のコールを押す回数が多く,担当者が頻回に訪室しなければならないような状況を「問題点」と表現することも少なくなかった.
つまり,問題点という概念が,対象者の目標を達成するための解決すべき課題という枠組みを超え,医療者の業務を妨げる要素についても適用されている現状があり,このような概念の多重性が私に違和感を与えていたのだと考えた.
3つ目は「予め設定された理想の存在」である.医療現場では,最初から理想の形が存在しており(ここでいう理想とは,治療におけるプロトコルなどを指しているのではなく,日々の相互交流における対象者に期待される従順さなど),その形と齟齬がないことが臨床において重視されていると感じる場面が多い.そして,思い描く理想との齟齬の大きさが,そのまま(医療者にとっての)問題の大きさとなって,その責任が対象者に帰属するように扱われる現状があった.
医療者の中に予め理想の形が存在するということは,本来解決すべき課題以外の問題点を産生することにつながり,それは結果として,対象者を中心とした関わりから医療者の関心を遠ざけることにつながると思った.
これら3つの要素が互いに絡まり合いながら、誰も自覚することのない外力となって対象者を医療者が考える「理想の患者」に仕立て上げている構造に違和感を感じてきたのだと考えた.
障害受容という仮想問題
以上の3点は,本稿の主題である障害受容とは直接は関係が無い印象を持つかもしれない.しかし,対象者に対して操作的であること,問題点の多重性,医療者が予め設定した理想の存在は,医療現場における障害受容の扱われ方を考える上で無視できない要素であると考える.
なぜなら,生きる主体である対象者を「操作対象」として(無自覚にも)認識している医療者が,相互交流的に協働するはずのリハに対して予め理想の形を設定していると,意欲の低下や機能回復への固執といった,医療者の描く理想と齟齬を生じさせる事象が起こった場合,それをより良い支援を行うための情報として扱うのではなく,自分の思い描く理想と齟齬を生じさせた「原因」として扱うようになり,さらにこれらの原因を引き起こしている根本的な原因を「障害受容ができていない」という医療者が作り上げた仮想問題に収束させてしまうという構造が,現在の医療現場における障害受容という言葉の使われ方の背景に透けて見えるからである.
これは,本来支援すべき対象者の状況に対して医療者を盲目にするだけでなく,同時に障害受容という概念に対する熟考の機会をも奪ってしまう構造であるように思う.
臨床の変化と障害受容との向き合い方
自分なりに言語化した違和感の正体を手がかりに,「対象者は生きる主体であり,操作対象ではないこと」「私たちが扱う問題とは,対象者と一緒に解決すべき作業遂行を妨げる要因であること」「作業療法は常に変化する対象者との相互交流の中に存在するものであり,予め理想の形は存在しえないこと(既存のプロセスモデルの存在を否定しているのではなく,あくまでも相互交流の内容に対して)」を意識するようになってから,私の臨床は変化したように思う.
以前は対象者が「リハを拒否する」「気持ちを荒げる」といったことがあると「自分はうまく介入できていない」とネガティブな感情に苛まれ,自己保身的な感情が立ち上がることもあったが,様々な相互交流を中立的な態度で受け止めながら対象者と向き合うことができるようになった.
また,以前はどれくらい「できない」ことが「できる」ようになるかについての関心が大きかったが,それよりも対象者が,いかに「自分で自分の人生をコントロールしているか」が大きな関心ごとになった.同時に,できるかぎりあらゆる情報やお互いの思考,意思決定を「共有」しようと努めるようになった.対象者自身が,良く生きるための資源として主体的に作業療法士という環境因子を活用してほしいと思うようになったからである.
これらの変化と同時に,障害受容に対する認識にも変化が生じてきた.以前は自分の中で違和感を感じながらも,障害を受容することが「望ましい状態」,受容できていないことは「望ましくない状態」という前提があったように思う.しかし「受容できていない」「受容できている」という振れ幅の中で,少しでも「受容できている」状態を目指すという目的を設定した場合,それを実現する手段について考えてみると,そこに浮かび上がるのはADLの自立や役割の再獲得,自己効力感の向上といった,障害受容とは本来独立した概念であり,これらを無自覚に障害受容の概念と接続して考えることは,障害受容を理解することから遠ざかるように感じるようになった.
同時に,対象者の連続する経験の中で,常に変化し続ける主観的な認識の問題を,医療者側が勝手に「望ましい」「望ましくない」と定義したり,目指すべき目標に据えたりすることに対して烏滸がましいと思うようになった.もしも「受容」というものがあるのだとしたら,それは対象者自身が「私」を主語にして語るべきものであり,他者が対象者を主語にして語るものではないのだと考えるようになった.
自分の時間を生きる人たち
回復期病棟は,集中的なリハによって短期間で「できない」ことを「できる」ようにすることを期待され,必要は資源を十分に用意された環境である.ADLという限定した作業項目に対して長時間の練習を提供すれば,対象者の暫定的な能力(ここでいう能力とは,医療者が設定した評価尺度において測ることのできる能力)は確かに向上する.駆け出しの頃の私は,その環境が対象者にとって「追い風」としか思わなかった.
しかし「自分で自分の人生をコントロールする」という観点から見ると,回復期の時間の流れはあまりに早く,新しい自分と折り合うための涵養を待ってはくれない慌ただしさを帯びていることもまた事実であろう.回復期は,同程度の能力を獲得した対象者であっても,新しい身体を所有しながら生きる存在としての内的世界の在り方には個人差が大きい環境であるように思う.
歩行レベルでADLが自立しながらも,あらゆる活動に対して受動的で,外的統制感が強く,自己の抱える障害を否定し続ける対象者がいた.反対に,過去の自分や他者との比較という呪縛から離れ「自分の時間を生きている」と感じる対象者もたくさんいた.彼らは「価値観の転換を果たしたというよりもむしろ,様々な苦悩や葛藤を抱えながらも,そこに作業的存在としての(もうひとつの)価値観が並走しており,並走する価値観によって,自身の障害に対する否定的な価値観が日常を脅かさない程度の振れ幅に収まっている」ようであった.私は日々の関わりの中で彼らの中にそのような均衡をみていた.
本当のところは当事者にしか分からない,当事者自身も内省と言語化の機会がなければ,単なる日常の更新でしかないのだと思う.少しでもその「分からないもの」を支える効果的な環境因子になることができるよう,自らの恣意性を排除し,対象者の主体性(これは,積極性や能動性を求めるという意味ではなく,あくまでも対象者自身が人生の主人公であるということ)を重視しながら,あらゆる情報や意思決定を共有しようと努める.それを医療現場に所属する作業療法士として私が行う支援の前提としてきた.
おわりに
障害受容について考える場合は多角的な検討が必要であることは承知しているが,それは先行研究に譲り,本稿では,あくまでも自身の臨床経験を振り返りながら,過去に感じた違和感の言語化を手がかりに,障害受容について思考する中での自身の臨床の変化について述べた.
臨床経験の中で,様々な知識や技術との出会いがあり,それらはすべて私の臨床に影響を与えてくれた,しかしながら,臨床の在り方,特に対象者との向き合い方に影響を与えてくれたのは,盲目的な医療者の操作的態度に対する気付きであった.