やらないということ
本当にいろいろな事を詰め込んできた。おもちゃ箱をひっくり返した感じが好きだった。音楽、映像、文章、写真、イベント、多重露光、、、と武器が変わっても、頭から尻尾までギチギチに詰まりに詰まっているものばかりだ。やらなくていいものも過剰にゴリゴリ入れている。
大は小を兼ねる。それが絶対の正義だと思っていた。
どんなヘンテコでもいいから毎日多重露光の一枚を仕上げていた時期がある。そしてある日自分の写真を見返していて情報量の多さにウゲー、となった。多作か、と言われると決してそんな事はないけれど、断続的にとは言え、辞めない事で気がついたんだと思う。
ああ、論点って大事なのね。
音楽を離れて何年も経ってから隙間、休符、ブランクの意味に気がついたのだった。noteのアカウントもこっちに移してから、ほんの少しだけ、1記事につき1テーマを意識しはじめてきた。
好きな人やものが多すぎて見放されてしまいそうだ。
そりゃそうだ。人生は有限で、もしかしたら明日くたばるかもしれない。
だから全部やれ!とは思わない。身の丈はわきまえる。だって己でござりんす。
そんな性欲にまみれたティーンエイジャーみたいに鼻息荒くムフムフしないで、落ち着いてひとつひとつやりゃいいじゃないの。途中で途切れたそれまでのこと、縁が無かっただけ。
そんな感じで最近は詰め込みたがり症候群を脱して気楽にいたいもんです。
やらないということ、まあマジでやりたくないのは事務仕事と業界政治なんですけど。
★noteにまとまる前の思考のかけらはTwitterにあります。
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