勝負は準備で決まる_準備は意識の差で決まる

ZIBUNプレゼン:勝負は準備で決まる。その準備は意識の差で決まる。

2019/06/03(月)

@石井家のリビング


ども、心の世界地図のゆうきです!

今日の投稿の内容は以下の通り


➀感想は鮮度が肝心。
➁あなたに刺さった「ことば」は何ですか?



➀あなたは2時間のワークを通じて何を感じましたか?


今日は2時間みっちり使ってワークをずっとやった。


一人一人、自分自身に向き合った。


同じ感想を述べるにしても、今発信するのと、明日発信するのと、はたまた1週間後発信するのとでは受け手の感じ方が異なる。


たとえ「全く同じ」内容の投稿をしたとしても、今日するのと、数日後なのとでは刺さり方が全く違う。



人を動かすのは理屈ではない、感情だ。



だからあえて僕は「今日」発信する。



1.ゴールを明確にする

2.相手の資産整理をする

3.自分の資産整理をする

4.相手に提案するオファーを考える


今日の一連の流れとしては上記の通り。


あなたは、この2時間を通じて何を学びましたか?

しなければいけないことをただ淡々としていた2時間。


でも、今日のワークが「当たり前」だった人は一体何人いるのだろうか?



モノポリーでは当たり前に出来ている基準。

わざわざ時間を取って確認しなくとも、その場で手持ちのカードを見れば一瞬で自分の資産整理が出来る。


でも現実では全くそうはいかない。

正直に言う。


まだまだ当たり前の基準は底上げできる。

僕自身まだまだだと感じた。



ワークをしていて思った。

今日のワークはわざわざ月曜定例会として時間を取ってしなくとも、自分一人でも事前に出来ていたはず。



準備が足りてない。

というより、その準備をしようというだけの意識が足りてない。


ワーク中になかなかペンが走らない。


あの時間は苦しかっただろうか?

まだまだ自分は甘いなと感じただろうか?


もしくは楽しかったという人もいるのだろうか?




もし今日のミーティングを通じて落ち込んだ人がいるなら、顔を上げてほしい。


目の前の出来ないことだけにとらわれて、落ち込んでしまうのはとても勿体ない。





➁マーケットは常に変わるから刺さる「ことば」も常に変わる

モノポリーでもよく言われる言葉。


マーケットが常に変わり続けるから、交渉は終わりがない。


最善の交渉をしたと思った結果が、数分後にも最善の結果だったと思えることはまずあり得ない。


理由は単純。

マーケットが変わり続けるから、最善の状態自体も次から次へと変わっていく。


マーケット自体も常に変わり続けるし、自分自身も常に変わり続ける。



だから、今日のミーティングで響いた言葉、刺さった言葉は全員違う。


似たような部分が刺さった人もいるかもしれない。

それでも「全員」が必ず「異なる」部分で思うことがあったはず。



刺さらない人もいたかもしれない。

刺さりすぎて感傷的になったかもしれない。

適度に刺さって考えるモードになったかもしれない。



みんなマーケットレベルが全く異なる。




僕は明確に2つ刺さった。


一つ目はワークが全て終わった時のりゅうじんさんのことば。


「今日はこの内容のワークをしようと話したんですけど、最初から出来るとは全然思ってません。

正直難しいです。

でも今の考える時間があるのとないのとではこの後の話が全く異なる見方をすることが出来ると思うので。」



めちゃめちゃに刺さった。響いた。

準備の基準が高い人は既にやっているはずの内容。


それをあえて全員で行う時間を取ることで、その後の話の価値を上げようとしている。


その目的自体にも、言われるまで気付かない自分がいること。

全員の今日の話に対する準備がまだ足りていないからこその今日の2時間のワーク。


最初から「この2時間だけではおそらく確実に出来ない」だろう前提で設計を組んでいる。



この状況に危機感を覚えた人は何人いるのか。


正直、終わるまで気付かなったこと、かなり悔しかった。

(悔しい時、苦笑いしてしまう癖がある僕は、笑うのをかなり

我慢してた)




そしてもう一つ、僕が刺さった言葉はあおいさんのことば。


「今出来なくても大丈夫なことと、今出来ないといけないことってのがあるよね」


些細な一言だったけど、改めて刺さった。


というより、今の内容で、ああいつものね。って思える人はいるのだろうか。

コアメンバーなら当たり前の文化として余裕で浸透しているのだろうか。



実はこの言葉、かなり頻繁に、使われている。



フィードバックをしているときに葵さんの口からよく発せられる内容。

「本質」をついているから何度聞いてもいつまでも価値があり続ける。


当たり前の基準。

まだその言葉自体を「無意識」で体現するまでとはいかないかもしれない。



それでも、その言葉を聞いた時に「改めて」認識することが出来るというのは「当たり前の基準」を少しずつ上に重ね上げていけてる証拠。




きっとそろそろ「無意識」で行える。



では、またの。

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