【高3・4】某バンドの結成秘話
この頃になると現在でも活躍する、あるバンドのフロントマン(以下リーダー)と出会う。
高校には軽音楽部がなかったので、当初5人のメンバーで立ち上げた。
いわゆる前身のバンドである。
私はギターを担当してしばらく活動したが、文化祭には受験勉強に専念したいという理由で出なかった。
リーダーに音楽の才能があることはわかっていたし、体育や美術の授業で年間ペアになるくらいに仲がよかった。
ただ、人一倍独学だろうと受験勉強に専念しないと、進学がままならない学習環境だ。
それでも、何浪しようがやれるところまで音楽をやればよかったと、今となっては思う。
音楽活動にベットできなかった自分の責任なのは、言われなくてもわかっている。
だが、音楽を少しかじった者として、いわゆるFUJI ROCKやサマソニのステージに立ってみたかったという思いは今でも消えない。
それでも他のメンバーが辞めていく中、前身バンドに在籍だけはしていた。
校庭のベンチで音楽活動と関係のない友だちに待ってもらい、打ち合わせを行う私たちは間違いなく青春を過ごしたと思う。
そして、現在のバンドが結成される際、私はその誘いを断っていた。
理由は、医学部に進学したいから。
リーダーは私に、筋肉処女帯のメンバーが書いた小説を貸してくれた。
そこには「パンクな精神を持った医者」が登場した。
一通り読み終わり本を返却した後、下校時に駅のホームに私たちはいた。
頑なにバンドへの加入を断り続けた私に、リーダーは一言。
「パンクな精神を持った精神科医になればいいやん。」
電車が通過し、その横顔に風が吹き抜けた。
私は、次の日には練習に参加していた。
それくらい真っ直ぐな言葉に思えたから。
RadioheadのCreepを練習した後に、私がノリノリで演奏してて嬉しかったと、そうリーダーに言われたことが逆に嬉しかった。
サビの前のカッティングの美味しい部分は、リーダーに持っていかれたのは正直悔しかったけれど。
ライブハウスでの本番は、虎のスカジャンの衣装を着て、リーダーに化粧を施こされ黒い布を口元に巻いた。
恥ずかしいから身内は呼ばなかったが、今でも公式に書かれている結成の日である。
確かに手応えはあった。
それでも私は焦っていた。
皆と同じように「普通」になれないのではないか、と。
だが彼らは普通の生活、それ以上のものを手にしたと今となっては思う。
そんな未来を予感していたにも関わらず、私は次のステージの前に脱退を申し出た。
パンクな精神を持った医者にはなれない。
その代わり普通の医者でいい、と。
結局、医学部には通らないばかりか、志望校には落ちてしまうなど報われたことは少ない。
それでも真面目なだけが取り柄で、直向きに勉強し続け、いわゆる名門と呼ばれる大学に進学した。
それは、母校ができて以来、初めての快挙だった。
今でも就職活動などで学歴の話になると、「頑張ったね」などと言われることがある。
嬉しいというより、もう一つのあり得たかもしれなかった人生を想像してしまう私がいる。
誰だってそういうことはあると思う。
僕だってそうだから。
つづく。