稽古場があること
私達のいる集団では都内のマンションの地下に、専用のスタジオを持っています。今年で25年目となるスタジオでは、毎週に俳優としてのトレーニングを行い、年に3回ほどスタジオ内にパネルや客席を仕込み、公演を行っています。
都内でそういった稽古場を持っている集団はごく少数派です。苦労話を延々しててもキリが無くなるので割愛しますが、公民館などの施設がどんどん使えなくなり、個人のダンス・音楽スタジオも閉館していき、ともすれば劇場も閉まっていく恐れが現実化しつつある中で、このような稽古場を維持していくというのはとても重要なことになってきています。
公演の稽古をする空間であると同時に、稽古場は人間を育てる空間でもあります。演劇は人間が生きた人間を表現する行為で、俳優とはそんなイキイキした人間を表現する人たちのことです。俳優自身には様々なタイプの人がいて然るべきですが、演技においては演じる本人の人間性がびっくりするほど如実に表れてきます。人間として素敵な人・信頼出来る人は、演劇もまた素敵になるのです。そして、稽古場では演技だけでなく、人間性をも豊かにしていく空間なのです。
―――稽古場とは、心と身体を磨く場所だ
人間の成長は、当人の頑張りがもちろん必要ですが、同時に厳しくも愛情深く関わってくれる存在が必要だと思います。家庭においてはそれは親だったりしますが、演劇を行う場所では演出家がその役割を担うことがあります。私達の集団の演出家はそりゃあもうどえらい修羅場をくぐって来たために厳しいことこの上ないのですが、愛情を持って諦めずに叱咤激励してくれる人でした。(そしてやっぱり最初はその愛情がわからなかったわけですが)
人間って、失敗したくない生き物で、出来ることならうまくやりたいし叱られたくないと思うのが世の常です。世の中もまた、何かしら正解や安全といったわかりやすい着地点に向かおうとするのが普通のことだと思います。
しかしながら不思議なもので、そんなふうに思えば思うほど表現は変化しようのない独りよがりでつまらないものになる上に、相手を受け入れることがどんどんできなくなってしまうんですね。そして人間的じゃなくなっていく。
そういう弱気な・怯えた意固地モードをバリバリに発動していた時期からすると、今では大分改善できるようになってきつつあるのですが、人間誰しもが陥る瞬間のあるので常に自分はそうなっていないか、検証していかなくちゃいけません。
稽古場があって、沢山間違えて他人に迷惑をかけて。ビシバシ叱られたり自分で悶々と考えたりしつつ、また翌日には元気に顔を出して。そういったことの積み重ねは、人間にとって絶対に必要なはずです。毎日同じ仕事をして帰って寝るみたいなのはどんどん感性や優しさを摩耗していっちゃいます。演劇はとくに失敗してもいい場所だし、沢山失敗することでより良い道を探す場でもあります。そして、それを赦してくれる人たちで構成されています。だから稽古場はなくてはならない場だし、大事なんですよね。
少なくとも僕は、以前よりは寛容でまちがえちゃってもいいさって思えるようになってきつつありますが、もっともっと他者に対して愛情を注げる人間になりたいなーと今日も思うのでした。