第2話:共依存から学んだこと
共依存とは
”自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態” (ウィキペディアより)
例えば「子供が全て」のお母さんとマザコンの息子。ダメ男と都合のいい女。自己否定の強い彼女と救世主になりたい彼氏。
相手との関係性の中で、二人の価値観や行動基準がネガティブに決定されている関係。お互いが相手の行動を喚起し合い、それによって非生産的な状態に陥ります。
実は、わたしには「人の責任まで背負ってしまう癖」があります。
そして、よくも悪くも相手の事情を察してしまうというか、相手のための言い訳を自分から考えてしまうのです。
そのため、親しくなったパートナーからぞんざいな扱いを受けがち、というか、相手の行き過ぎた言動を、つい「自分も悪かったのだろう」「何か理由があったのだろう」と許容してしまうために、支配と非支配の関係性を招いてしまいます。
突き詰めたところを言えば、わたしは結局、自分自身の思いや感覚に自信を持ち切れないタイプと言えます。
良く言えば他への尊重心や理解、許容力がある人情家。
裏を返せば自分の軸がブレやすく、自己主張することで相手と衝突するのが嫌。何事も穏便に済ませたい平和主義です。
慎重でもあるので、何事も事実をしっかり確認しないと前に進めない。
そんなわたしの人生には、すぐに感情で状況をコントロールしようとする、俺様かつ情に訴えるタイプが繰り返し現れてきました。
「繰り返し現れる」
これがミソかと思うのですが、人生を振り返った時にパターンとして表れていること(よくこういう目に合う、なぜかいつもこうなる、など)は、往々にしてあなたにとって大切な情報を示唆しています。
そのパターンによって「苦しみ」が起こっているとしたら、とくに注目すべきです。なぜならば、それは偶然起こっているというより、あなた自身が引き寄せていると考える方が、論理的かつ生産的だからです。
そのパターンは、何気ない形で日常繰り返されています。
【あるある:なぜかいつも、自分が責められる】
【あるある:なぜかいつも、自分が謝っている】
このように見てみると、苦しんでいるのは被害者だけ、という感じがしますね。
しかし、わたしが気づいたのは、俺様の暴挙を振るう相手にも「苦しみ」があるのだということでした。
詳しくは拙書の方で書いていますが、ここに気づいた時から、わたし自身の対応を変えて行く努力が始まりました。
その結果、相手の行動も確実に変わったのです。
この体験は本当に大きな学びだったのですが、今振り返って、なぜそうなったかの全体像が、少しずつ見えてきました。