第3話:人生の「そもそも」
まずは「そもそも」という、前提の話から始めて行きましょう。
そもそも、わたしたちはなぜ、この世に生まれてきたのでしょう。
「親に頼んで産んでもらったわけじゃない」というようなケースに対する「答え」として、おじぃはこう言います。
「人は、自分で望んで、この世に生まれて来る」
本当は話し出すともっと長くなるんですが、端折って言えば「あの世」にある魂は「この世」に人間として生まれて来ることを、自分で望んで選択しているということです。
これはどういうことかというと、
「あなたは、この世に無理やり、誰かの意志によって生まれさせられた」
のではなくて
「自分でそうしたいと思って、自ら選んで生まれて来た」
わけです。
この違いは、受動的(やらされ、受け身)か能動的(自分の選択、主体的)か。
つまり、わたしたちはそもそも「主体的に、人間として生きる」ために、この世に生まれた、ということです。
ちなみに、おじぃのクールな一言は
「それが本当かどうかはどうでもいい。そういう風に視点を持て」
現実的な2番のわたしは、かなり若いころから「本当かどうかは(分かる訳がないんだから)どうでもいい」という考え方をしていました。
現代はフェイクニュース含め膨大な情報が溢れ、何が本当か分からない、なんてことがよく言われますが、そもそも「絶対的な真実」なんて、あるのでしょうか。
わたしは「絶対的なものなど絶対ない、という唯一の例外を除いて、この世に絶対的なものなどない」と、昔から思って来ました。それよりも、大切なのは「そのモノや情報を得て、何かよい結果に繋がるか?」。
そんなところも、わたしが大智マスターの情報は使える!と思った理由です。
話を戻して、人生の「そもそも」です。
そもそも、自分で選んでこの世に生まれて来た。
前提をそのように定義したら、どうでしょうか。
わたしなら
「せっかく選んで生まれてきたのだから、楽しめるだけ楽しもう」
みたいなことを考えます。
この「楽しむ」は、楽だったり面白可笑しいことだけをやるという意味ではなくて、しっかり味わって得られるものは全部得てやろう、という意味です。
実はこの発想が、次の「そもそも」に合致していることに、わたしは気づいて行くのでした。
(おじいの教えについて詳しく知りたい方は、「魂の掟」原本を読まれることを推奨します)