第20話:アメリカ先住民の教え
わたしの住むカナダ・ノバスコシア州は
アメリカの大都市・ニューヨークがある
東海岸に位置します。
ニューヨークやボストンを
北東に上がった感じ、
カナダの東の端っこです。
この辺りは、カナダの中では
最初にヨーロッパ人が移住してきた地。
内陸部や西海岸に比べて
歴史の古い場所、
西欧人が統治の主導権を握った
「カナダ」発祥の地と言えます。
しかし、この土地には
異国から彼らがやって来る前から
住んでいた人々がいます。
それが
「ファースト・ネイション(先住民族)」
と呼ばれる人たちです。
その中にも色々な部族があるのですが、
わたしはノバスコシアへ来てから
Mi'kmaq(ミクマク)という部族の文化に
触れる機会をいただくようになりました。
そこで「Medicine」という言葉が
よく出てきます。
Medicine、メディスン、
これはあるミクマク語の英訳
というか「宛て言葉(?)」。
日本語に訳すれば「薬」ですが、
本来のミクマク語の意味には
いわゆる現代的な「薬」より
もっと深い意味があるようです。
わたしたちが普段「薬」という場合、
前提にあるのは「不調」ですね。
ということは「薬」という意識が
芽生えている時点で、
何らかの「認識しやすい形」で
「不調、不都合なこと」が起こっている。
その状況を変えるために
「薬」を、という発想です。
「惚れ薬」とかも、
本当は好きになって欲しいのに
なってもらえない不都合な現実がある。
それを変えるための
特別な力をもったもの、
というイメージですよね。
しかし、ミクマクの言う「薬」は
そういう意味ももちろんありますが
さらにはもっと深い、
「日常を整える」意味もある気がします。
健康を維持したり、底上げするための
言葉、感触、経験、思い、意識
なんかも「メディスン」として
捉えられている気がします。
単に悪い所、不都合な所を
治してくれるもの、という
ピンポイント発想ではなく、
もっと大きなスケールなのではないかと。
ともかく、そういう背景の上に
「メディスン・ウィール」というのが
よく知られています。
引用:Curve Lake Cultural Centre ウェブサイトより
パッと見て分かるように、
世界観として、まず
4つのエリアに分かれています。
色で言えば白、黄色、赤、そして黒。
それぞれが北、東、南、西
また冬、春、夏、秋にも該当します。
以前書いた、自然のサイクルに
基づいた世界観にも
通じるものがありますね。
ある程度の四季がある地域では
世界中どこでも
普遍的に導き出された知恵、
法則のようなものかもしれません。
さて。
このメディスン・ウィールですが
東西南北とあるように
「方向性」を表しています。
で、これだけ見ると4方向で
2Dなんですが、
実はミクマクの考え方には
さらに3つの方向が加わります。
それが
・Up(上)
・Down(下)
・Inward(自らの内側)
これで、世界が3D(あるいは4D?)に
なりますね。
この白、黄色、赤、黒は
人種に准えらることもあります。
白は白人(ヨーロッパ系)、
黄色はアジア人
赤はファースト・ネイション
そして黒が黒人(アフリカ系)。
今どき、この4種の「純血」の方は
非常に希少だとは思いますが、
ザックリしたイメージです。
興味深いな、と思うのは
季節にしろ人種にしろ
一日の中の時間帯にしろ
「どれも意味があり、価値がある」
という捉え方です。
自らの命を繋ぐために
彼らももちろん狩りや漁をしたりして
殺生をして来ましたが、同時に
「尊重」と「感謝」が重視されてきました。
動物は「畜生」ではなく
自分たちの生活を潤し支えてくれる
大切な「隣人」という感覚でしょうか。
なので、獲物は骨、血から皮まで
全て何らかの形に活用され、
必要以上の乱獲、というコンセプトが
無かったようです。
非常に合理的だとも言えますし、
生存のためにそうするのが
必然でもあったのでしょう。
もちろん、歴史はいろいろとあり
ミクマク族の人が全て
そんな賢者か聖人のような
生き方をしてきた、というわけでもありません。
ただ、伝統的な文化として
そういう知恵は
語り継がれてきた、ということ。
そして、それを教える、というか
「体感し、継承していく」ために
儀式があるのかな、と思います。
ミクマク族のイベントにお邪魔すると
よく、Teepee (ティーピー)と言われる
テントの中に、石を丸く組んだ
キャンプファイヤーみたいなのがあります。
そこに火がくべられ、
みんながその周りに座ります。
そして、その火を囲んで
セージなどの葉に火をつけた
お線香的なものが入った器を
順に回して「お清め」をします。
また、トーキングスティックと言って
棒などを順に手渡して行き、
その棒を手にした人が発言する
ということも、よく行われます。
その棒が回ってきた人は、
話したくなかったら
別に話さなくてもいいんです。
でも、静かに燃える火を囲んで
セージの香りに包まれ、
幾人かの人たちとそこに集い
自分の手に、その棒が回って来る。
すると、何というのか
何かが「宿る」ような、いえ
何かが思い出されるような、
そんな気分になります。
時に、自分でも思ってもみなかった
言葉や、涙が出ることもあります。
わたしは、そんな体験全てが
「メディスン」のように感じています。
そういう場を、定期的に、持つこと。
「襟を正す」感じで
尊重を持って、その場に参加すること。
こじんまりとした集まりで
火を眺めながら、輪になること。
柔らかな香草の香り。
「話す役目」の人に
みんなで注意を向けること。
自分に「話す役目」が回ってきた時
出て来るものを
素直に、謙虚に、受け止めること。
そしてシェアすること。
全ての体験が、
心身と魂の健康をメンテナンスし
底上げすることになっている、
と感じます。