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「お菓子な絵本」29.洞窟の迷い子

29. 洞窟の迷(まよ)い子


 

 しかし第三の人物については、王子とブレッター・タイクしか知らないはずだったので、真秀は沈黙を守ることにした。
 アンジェリカにしつこく聞かれたが、ルドルフ・ベッカーは要注意人物であると伝えるだけにとどめておく。

「今でこそ隠居生活をなさってるけど、ルドルフ公の功績は結構大きいのよ」
 アンジェリカは不思議そうに言った。
「彼の色んな研究は、この世界に急速な医学の発達をもたらしてるし」

 医学か! 真秀の疑いは確信となった。ピアニスト名鑑に書いてあったじゃないか。ルドルフ・ベッカーはいったんはピアニストを断念して、医者の道を志していた。詳しいのも当然の話だ。

「伝染病の流行といった、現実世界の中世における暗黒時代がこの世で繰り返されることのないよう、創造者──ジャンドゥヤの両親ね、創造者は病気の予防に関しては徹底した指導されてたの。
 手洗いやうがいといった、ごく初歩的なことに始まって、井戸水の衛生管理や水道、下水道の完備。医者には医学書を書くよう勧めてたし。情報の交換は知識の発展をもたらすからと」

 なるほど、だから中世風といえどもこの世界には清潔感があふれているんだ。いかにも現実世界の、現代の人間が創った世界らしいや、と真秀は納得した。

「けれど予防にも限界があったわけ。ひとたび病気にかかってしまうと、現実世界では注射一本で治せたレベルのものでも、この世界では、なすすべもなかった」

「そんな折、ルドルフ・ベッカーは彗星のごとく医学界に登場したんだ」
 他のメンバーも口をそろえる。
「社会に貢献し、自力で公爵の地位を築き上げた偉大な人物、として知られている」
「この世界では、本人の功績の度合いで爵位が得られるのでね」

 真秀は反論した。
「一方でパラノイアという説もある」
 人の悪口を言うのは主義に反したが黙ってはいられなかった。
「掘の水に毒を流し込んだり……。第一、崩れ落ちる塔なんて危なっかしい代物を造ること自体、パラノイアのなせる業としか思えないね」

「その塔の話だけど」
 アンジェリカが話題を軌道修正した。
「四桁の番号なんて、わたしたち普段使うことないのよ。真秀、あなたならどんなイメージが思いつく?」

「そういう類のものなら、現実世界ではあらゆるシーンで使われてるよ」
 この際、連中にバラしたって害はなかろう。真秀は少し勿体ぶって得意気に言った。
「例えば、ぼくの愛用のナンバーは、お気に入りの宇宙船の艦隊番号だったり……。そうだな、あとは誕生日だとか、生まれた年。自分のだと、すぐバレちゃうから、憧れのキャラクターとか、尊敬する人物にまつわる数字だとかを使うかな。何かの記念日とかも、アリだね」
 他人の秘密を暴露するのも本意ではなかったが、やむを得ない。
「つまりニーナ・カットの場合……」
 真秀は少し声のトーン落として、夢で得たヒントを語った。
「ニーナ・カットはカイザー・ゼンメルの警備隊長、ぺルル・アルジャンテが好きだったんだ。だから彼女が使いそうな番号は、そうした線で洗ってもいいんでないかな。
 自分が忘れちゃったらタイヘンな状況で、とっさに打ち込んだとすれば、やっぱり馴染みの番号だったろうね。アルジャンテの誕生日、生まれた年、認識番号、二人が初めて出会った日……、なんてわかるわけないか。あとは身長とか体重とか──」

「オーケイ。オーケイ」
 アンジェリカが指令をまとめる。
「では、潜入部隊はカイザー・ゼンメル城でぺルル・アルジャンテと、ニーナ・カット本人に関するあらゆる番号を探り出してちょうだい。時間がないので、最終報告は可能な限り、王子かローズ・リラに直接伝えること」

 潜入部隊のメンバーから、真秀は当然のごとく外された。自分も参加すると食い下がったが、アンジェリカはガンとして譲らなかった。何しろ王子の大事な預かりものなのだ。

 黒すぐりジャム添えのふわふわパンケーキに、甘い香りの黒すぐりの紅茶といった軽い朝食をすませてから、真秀は密かに黒すぐりの必須アイテムである剣と盾、帽子と、目もと用のマスクを身に付けた。
 エネルギー全開。行動開始だ! 森に通じる扉側は、見張りの衛兵がいるから通してはもらえまい。裏の抜け道、つまり風穴道を利用しよう。確か城にも通じてるはずだっけ。

 折しも朝食を終えた子どもたちが外へ遊びに出かけようとしていたので、黒すぐり=真秀も彼らに便乗することにした。図書室の本棚の裏に隠された秘密の扉をくぐり抜けると、狭く真っ暗なトンネルが続いていた。真秀はランプをかざしたが、子どもたちは暗がりをものともせず、はしゃぎながら走り去った。

「ねえ、ちょっと待ってよ!」

 身をかがめるほどではなかったが、頭をぶつけそうなくらい天井が低かったので、真秀は用心しながら追いかけた。そのうち、先のほうに光が見えてきた。子どもたちはモグラのごとく、そこから外へと這い出していった。しかし、ゆるやかな斜面のそのトンネルは、真秀が通るにはあまりに狭すぎた。しんがりの子を捕まえて必死で尋ねる。
「ねえ、ぼく。城への抜け道は? わかるかい?」
「どのお城?」 

 うっと真秀は言葉を詰まらせた。どのお城だって? そんなにたくさんあるのか。早くも気が滅入ってきた。

「カイザー・ゼンメル城だよ。案内してくれたら、後でたっぷり遊んであげよう」
 少しむくれて、その子は答えた。
「あたしたち、お城へは行っちゃいけないって言われてるの」

 あたし? 女の子だったのか。やばいぞ。「ぼく」なんて言って怒らせただろうか。あまりにもワイルドな感じだったから男の子とばかり……。

「でも道ならわかる。必ず、一番大きい道を行くんだって」
「わかった。ありがとう」

 彼女はちょっと恥ずかしそうにバイバイと手を振って、仲間を追っていった。少なからず不安もあったが、真秀は永遠に続いていそうな闇のトンネルに一人、挑むことにした。




 無惨に崩れ落ちたマドレーヌの窓辺に、王子はグサリと胸に痛みを覚えた。
── マドレーヌ? ──
 いや、無事でいるはずだ。今のところは。王子は自分を納得させた。彼女は塔に閉じ込められているのだから。それにしてもひどいな。どういうことだ?
 状況を見極めようと近づいてみる。
 がれきの中に誰かが埋まっている!
「大変だ!」 王子はオイゼビウスから飛び降りた。
「しっかり! すぐに助ける」 

 警備隊員だ。大丈夫。息はある。身体の上に覆いかぶさったがれきを慎重に取り除き、すばやく怪我の程度を確認する。大量出血に、おそらく全身打撲。骨折も数カ所。かなりひどいな。どれくらい時間が経っているのだろう? 立ち入り禁止区域だから誰も気づかなかったのか。

「う……」怪我人がうす目を開ける。昨日のナイト役の青年だ。
「安心したまえ。もう大丈夫だから」
「王子? 今……、今、何時?」
「しゃべるな。気を楽に」

 意識があるところをみると、頭は打ってなさそうだな、と王子は判断した。さすがに訓練を受けた警備隊員だ。頭部だけはとっさにかばったのだろう。王子は衿もとのスカーフを外し、最も出血の多そうな左足の大腿部に手早く巻きつけた。

「今から止血する。痛むだろうが耐えてくれよ」
「ま、待って。処刑は? 彼女はどうなった?」
 マシュマロ・ホワイトは熱に浮かされたように続けた。
「大事なことなんだ。ローズ・リラが」
「大丈夫、時間はある。処刑などさせないから安心しろ。彼女は救い出す」

「これを」
 マシュマロの左手に、くしゃくしゃになった紙片が握られていた。
「証拠に。彼女の無実を証明する……」

 王子には紙片の意味がすぐさま理解できた。
「わかった。預かるよ」

「うーん。ローザ。警告……、弓矢、弓矢は……」

 まずいな、うわごとを言い始めた。もはや猶予はない。王子は止血のためにスカーフを縛り上げた。マシュマロは息をのみ、気を失った。王子は自分のマントをかけてやった。
「助けを呼んでくる」

 王子の言葉に、マシュマロは再び意識を取り戻した。
「ダメだ! ローザが先だ……!」
「わかった。彼女も助け出す。必ずだ」

 根性のある隊員だな。ジャンドゥヤは感服した。処刑場に引き出される前にローズ・リラを救い出したかったんだが……。王子は当初の計画をやむなく断念した。とにかく医者が先だ! 




 一番大きい道、一番大きい道。

 黒すぐり=真秀はランプをかざしながら、洞窟の道を勇んで進んでいた。道が枝分かれしても、わきめもふらずに大きい道だけを選んでいった。道は広くなったり狭くなったり、下がったり上がったりしながら、どこまでも続いていた。

 どのくらい経ったろう? 

 最初のうちはわくわくしていたが、だんだん不安になってきた。本当に終わりはあるんだろうか? もしかして偽の道だったりして?
 何しろれっきとした女の子に「ぼく」と呼びかけてしまったのだ。復讐されてもいた仕方ないか……。いやいや、仮にも風穴族の子だ。そんなせこい手は使うまい。信じるんだ。
 しかし道は果てしなく続き、不安はつのるばかり。それに先ほどから右へ右へと曲がり続け、同じ場所をぐるぐる回っているようだった。しかも天井は更に低くなり、道幅もどんどん狭くなってきている。

 どこかでもっと大きな道を見落とした? 

 だとしたら、納得がいく。ぼくは迷い子と化してしまったのだろうか。
 そういえば……、「洞窟のまよいご」とかなんとかって章が! 
 あった気がする……。
 しまったぁー! 真秀は思いきり後悔した。なんてバカなんだ。知ってたら来るべきじゃなかった。

 でも、もしぼくが目次と違う行動をしたら?

 予定されてたストーリーと違う行動をしたら、どうなるんだろう? 運命は決められているから、逆らえない? それとも自分の意思で、運命を変えることができるんだろうか?

 同じことを、ぼくは王子に言ったんだ。

 すべては決まっていると。王子はどんな気持ちだったろう。
 真秀は自分がいかに好き勝手を言ってきたか、今頃になって反省した。運命の流れにおいて、自分がいかにちっぽけな存在であるかも思い知らされた。そして自分は既に洞窟で迷子になっている。今から戻れば助かる可能性は高いかも知れない。しかしどうする?

 せめてできるのは、たとえストーリーが変わろうとも、可能な限り最大限の努力をすること。ベストを尽くすこと。

 自分を信じよう。

 後戻りの誘惑を振り払い、真秀は先に進むことにした。

 しばらく歩くと、突然広い空間に行き当たった。少し安心して一歩踏み入れてから、真秀ははっと身を引いた。

 誰かいる? 

 その人影はこちらに背を向け、洞窟の壁に身を持たせかけるように佇んでいた。

── 死んでいる? ──

 何故か、そう思った。まさか洞窟の迷宮に捕われて、そのまま動けなくなってしまったんじゃ。

「フフフ……」

 死体がいきなり無気味な笑い声をたてたので、真秀は「わあっ」と悲鳴をあげた。人影は振り向きざまに剣を抜き、真秀に突きつけた。
「誰だ!?」
 真秀は危うくランプを落としそうになりながら、やっとの思いで答えた。
「脅かさないで……。ぼく、ですよ」

 それが誰であるかは思い出せなかった。警備隊員の扮装をしてはいるものの、風穴族の一員に違いないと思ったので、真秀はそう答えたのだった。こちらは知らずとも、向こうは黒すぐり=真秀の存在を知っているはずだから。

 彼が黙って剣を収めたので、真秀は安堵した。
「良かった。道に迷ったかと……」
 とりあえず、助かった。ひどい恐怖を味わったものの、仲間に会えて本当に良かった。

「こんなところで、何をしていたんです?」

 相手は壁ぎわにチラリと視線を投げた。よく見ると、そこには何本かの鉄パイプが取り付けられている。
「何ですか? これは」
 先ほどまで彼がそうしていたように、真秀はパイプの先に耳を当てがった。何かが聞こえる? 話し声だ。何を言っているのかよく聞き取れなかったが、これがある種の盗聴装置であることくらい、素人でも理解できた。
 つまりここはカイザー・ゼンメル城の真下にあたるのだろう。

「やった! ついに城に来たんだ!」

 城内の様子を探っていたのだろう。彼の任務のじゃまをしてはいけないな。真秀はとりあえず出口だけ教えてもらうことにした。

「出口だと? 知らないのか。黒すぐりともあろうお方が」

 その言いようには、何やら怪しげな雰囲気が伴っていた。真秀の直感が、すぐさま警戒信号を発令した。

「いいとも。案内して差し上げましょう」

 低く、落ち着いてはいるけれど、凄味の利いたこの声を、確かにどこかで聞いたことがあった。意地悪な響きを含むこの声。絵本の中で……、それをまだ読んでいる段階で、確かに聞いた。落とし穴のシーン。そう、警備隊の三人組の……

── サバイヨンだ! ──

 一番悪い奴だ。それに、こいつのお菓子をぼくは食べてない。絶対、絶対にこいつは敵だ。
 風穴道は風穴族以外には「殆ど」知られていない、とアンジェリカは言ってたっけ。ということは、その存在を知っている者が、別にいる可能性だってあるわけだ。
 しかも彼は密かに盗聴していた。目撃者のぼくを捕らえるか、迷宮に誘い込むつもりなのかも知れないぞ。
 いちかばちか、真秀はかまをかけてみることにした。

「ところで……。落とし穴の件は残念でしたねぇ。せっかく苦心して仕掛けたというのに」

 彼は歩みを止め、しばしの沈黙の後、ゆっくりと聞き返した。
「何のことかな?」
「実のところ、どちらが狙いだったんです? 王子? それともマドレーヌ?」

 言い終えぬうちにサバイヨンが剣の柄に手をかけるのを、真秀は見逃さなかった。既に自分のランプの火は消してあった。彼の手にしたランプを脇からふっと吹き消し、真秀は身をひるがえして後方に駆け出した。
 闇の中ではあったが、壁づたいに慎重に走ってゆく。目星をつけておいた左側の枝道に入り、更に少し先に現れた別の枝道に飛び込むや、息を殺してぴったり壁に身を寄せた。

 恐怖と息切れとで心臓が破裂しそうだった。

 バカだな。真秀は自分の大胆不敵さを呪った。言う必要のないことまで言ってしまった。相手はプロなのだ。捕まったらおしまいじゃないか。

 恐怖に満ちた永遠の時が過ぎ去って──実際には数分であったろうが──ようやく真秀はサバイヨンが追って来れなかったと判断した。
 もはや先へは進めまい。どこかで待ち伏せされてるかも知れないし。ランプを灯すのも、まだ危険。
……!?

 いや、バカどころじゃない。大バカだ!
 どうやってランプを灯すつもりなんだ?

 太陽光さえあれば火なんてたやすくつけられる、と高を括っていた。真秀は自分のアホさ加減を心から呪った。その日の光を求めてさ迷ってるんじゃないか!

 もうおしまいだ。

 真秀は絶望した。脇役は誰にも発見されずに洞窟でのたれ死ぬ。元々この世界に真秀なんて名のキャラはいなかった。最初から存在してないんだ。名もない脇役は、無意味な死を遂げる……。

── 帰れさえすれば! ──

 今、ここで現実世界にワープできればいいんだ。そうすれば、助かる。真秀は必死に念じた。帰ろう。元の世界に。帰る。帰る。帰るんだ!

 しばらく集中し、そして考えを翻した。
 いやダメだ、帰れない。まだ帰れるもんか!

 彼らを救うために、できることがあるはずだ。このままでは終わらせない。ハッピー・エンドを見届けるまでは、帰れない。たとえ死にそうな目に合ってもだ。
 だとしたら、何としてもここを抜け出さねば!
 再び勇気が沸いてくる。ここは風穴。風が流れているはずだ。内側から外に向かって。ということは必ず出口がある。その出口に身体が通りさえすれば……。

 いや、通らなければ掘ってでも出てやる。かつてビッグXことロジャー・ブッシェル率いる連合軍捕虜76名が、周到な準備のもとに、掘ったトンネルを這い進み、命をかけた不屈の大脱走を試みた時のように。
 真秀は座右の書でもある「大脱走」の実話と、憧れのリーダーに思いを馳せ、自らを奮い立たせた。

 不可能を、可能にする! 

 風を、感じてみる。わずかだが、確かに感じる。真秀は人差指を舐め、空間にかざした。冷たく感じるほうが風上だ。だから反対の方向に向かえばいい。
 暗すぎて目がチカチカして、頭もクラクラするが、目を開けておかないと、微かな光も逃してしまうことになる。真秀は全ての感覚を磨ぎ澄まし、自分の勘と本能を頼りに手探りでひたすら進んでいった。

 幻覚? とも思える微妙な光。光というより、ぼんやりと白っぽい明るさ。いや、幻覚ではない。どこか上のほうから光が漏れている。明かりをつけていなかったのが功を奏したのだ。運は真秀に味方したのだ。

 風が強くなる。光が強くなる!

── やった! やったぞ! ──

 それでも一応用心して、声は出さずに喜んだ。

 光に導かれ、急な斜面を這い登っていくと、縦方向の四角いフェンスに突き当たった。目の細かい網状になっており、そこから光が差し込んでいたのだった。そっと手をかけるとふたは外側に向かって簡単に外れた。余裕で通れる幅だった。

 まぶしさのあまり涙があふれたが、かつてこれほどまでに日の光をありがたく感じたことはなかった。
「やったー! ばんざーい!」
 今度は辺りかまわず大声で叫んだ。叫ばずにはいられなかった。天を仰ぎ、両腕をいっぱいに伸ばして叫んでから、目の前に〈小犬を連れた羊飼いの少年像〉を発見し、真秀は自分がどこに出現したのか、ようやく理解した。
 そこは白亜の彫像が立ち並ぶ、カイザー・ゼンメル城の美しい散歩道であった。洞窟の出口は、羊飼い少年の台座に隠されていたのだった。

 太陽はそう高く昇ってはいなかった。まだ間に合う! 処刑場は? おそらく中庭かどこかだろう。急がないと。
 自分に何ができるかはわからなかったが、ある種の使命感に真秀は駆りたてられていた。



30.「初めに唄があった」に 続く……



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