「お菓子な絵本」25.塔にこもるマドレーヌ
25. 塔にこもるマドレーヌ
「憧れの星……」
静かで美しい夢の余韻の覚めやらぬまま、マドレーヌはベッドからさらりと抜け出し、窓辺へ歩み寄った。カーテンを開くとガラスの窓越しに満天の星の輝きが見えた。
── やっぱりあの人だった ──。
いつも夢に見ていた人。わたしの夢に現れては、助けてくれる人……。
夢だけじゃない。実際にも、何度彼に助けられたことか。初めて会ったときから、恋してた。いえ、もっと前。きっと、生まれる前から。そのことに気づかなかっただけ。恐くて認めたくなかっただけ。ただの憧れじゃなくて、本当に存在している誰かを好きになることが、恐かったから。
だけどあの人は、わたしなど手の届かない方。
マドレーヌは自分に言い聞かせた。黒すぐりの正体を知った今となっては尚更だ。彼は何もかも超越している。あの澄み切った瞳を見たときからわかってたはずじゃない。あの瞳……。
チェスのとき、目が合ってしまったあのときは、本当に溶ろけてしまいそうだった。彼が戴冠式を経てこの世の正式な「王」となったら、もう軽々しく口も聞けなってしまう。彼が自分の姿をごまかして、いつもふざけた調子でいたから、わたしも憎まれ口を叩いたりできたけど。
でも、話すときはいつだってドキドキしてて、楽しかったな。
「彼の憧れの星はどれかしら?」
きっと一目でわかる。マドレーヌはガウンを羽織り、窓を大きく開けて、てすりに身を乗り出そうと──
「きゃあっ!」
風を切り裂きながら、弓矢が飛んできた。
── 少しくらい昼寝しとくんだったなぁ ──。
月明かりが幻想的に映える庭園を、あくびとともに見回っていたマシュマロ・ホワイトは、先輩に夜警当番を交代するなんて言わなきゃよかったと、つくづく後悔した。ましてやレベル7の警戒体制時で、しかも今夜は先輩が夜警の責任者を務める番だったとは。仮眠もできないじゃないか。
と思いきや、頭上から目の覚めるような女性の叫び声。
マドレーヌさまだ!
悟った瞬間、立ち入り禁止区域の東橋付近で何かが動く不穏な気配。犯人か!?
あれだけの悲鳴だ。護衛がすぐさま部屋に飛び込んでるだろう。マシュマロは救助より、怪しい人影の追跡に専念することにした。
庭園の片隅にクロスボウが落ちている。警備隊のものだ! これで彼女を狙ったんだろうか?
音もなく逃げ去る黒っぽい人影を追って、マシュマロは墓地の入口までやってきた。
「お墓? よしてくれよ」
泣きたくなりながら、マシュマロは勇気を振り絞って墓地の暗闇へと足を踏み入れる。人影は、あずまや付近でふっと見えなくなった。
地下の霊安室に入ったな。当然、追って行かねばなるまい。しかし閉じ込められたりしたら、どうしよう。いや、待てよ!
── この先は ──。
それ以上は考えたくなかった。なぜ、彼女がここへ逃げ込んだのか?
彼女。そう、彼女だ。
マシュマロは決意を固め、外へ飛び出した。東側の入り口から回廊を抜けるルートのほうが早いはずだ。先回りして現場を抑えるんだ。
警備隊員の役目としてより、ただ、真実が知りたかった。
「きゃーっ、きゃーっ、きゃあーっ!」
床に倒れ、闇夜に響きわたる悲鳴を三度あげてから、マドレーヌは自分が無事であることを知った。痛みもないし、血も出ていない。第一、こんなに大声を出せるのだ。
── 何が起こったの? ──
夜空の星を見上げることすら許されないわけ? 恐怖心に代わって、怒りが込み上げる。
「マドレーヌさま! どうしました!?」
部屋の外に待機していた護衛の警備隊員が血相を変えて飛び込んできた。座り込んだまま窓辺を指し示すマドレーヌ嬢。
あれだけ騒いだのだから犯人は既に逃亡しているだろうと、隊員はマドレーヌを気遣いながらも用心深く窓辺に近づいてみる。窓枠に弓矢が刺さっている。警備隊のクロスボウから放たれたものか?
夜警勤務の警備隊の面々がぞろぞろ駆けつける。更に続くは、隊員に叩き起こされた寝間着姿の医者、同じフロアに部屋があるナイト・ガウンに寝ぼけまなこの姉たち。
遅れてやってきたニーナ・カットは平服に上着をしっかり着込み、アルジャンテも制服をきっちり着用していたので、マドレーヌは皮肉っぽく言った。
「遅かったわね。矢が当たってたら、とうに失血死してた頃かも」
「矢? ですか。怪我はないんですね」
アルジャンテはわいわい騒いでいる回りの連中を黙らせ、状況を見極めるや即座に指令を出した。
「BブロックとDブロックを閉鎖。東の庭園エリアもだ。警戒体制レベル4!」
数人の警備隊員があたふたと駆け出していく。
「今さら手遅れだわよ。犯人はとっくに逃げてるか、この辺りに紛れ込んでるか」
マドレーヌはずけずけ文句を言いながら、窓枠の弓矢を指し示した。
「武器の管理が手薄なんじゃない? あれはあなた方のものでしょ?」
残っていた警備隊員らが青ざめて顔を見合わせる。
医者がやむなく嫌われ役を買って出た。
「あるいは警備隊の中に裏切り──」
アルジャンテがその先を言わせなかった。
「わたしの部下に裏切り者などいません。盗まれたものに決まっている」
そして隊員に向き直る。
「本日の夜警責任者を呼んで来い。確か、ダックワーズだったな」
言いながら、隊長は部下たちが緊張して目配せを送り合うのを見逃さなかった。
「何だ? 何か隠してるな」
今夜の責任者であるはずのダックワーズがウスノロに任務を交代させ、自分はサボって寝ているという事実など、恐ろしくて誰も口に出せなかった。が、隊長に脅されて、一同やむなく白状させられた。アルジャンテの表情が凍りつく。
「これはある種の陰謀か? それとも先輩が後輩に自分の役目を押しつけるイジメでも流行っているのかな?」
震え上がる一同の前に別の隊員が現れて、隊長に何やら耳打ちをした。
「やはり、そうだったか!」
報告を聞くや、アルジャンテは部屋から飛び出していった。
「お前たちはマドレーヌさまの警護をしてろ!」
残された隊員たちはほっと胸をなでおろし、マドレーヌ嬢に声をかけた。
「お嬢さま、どこか安全な場所に……、マドレーヌさま?」
マドレーヌの姿は消え失せていた。
その塔は、城の主が有事の際に立てこもれる最期の砦として建てられていた。
塔に入るには四桁の暗証番号が必要とされる。更に最上部の小部屋の扉は、組み合わせ自由の、やはり四桁のコードで内側からロックできるようになっていた。ロック後、12時間で塔全体は城主もろとも崩れ落ちる仕組みであり、コードが判明しない限り崩壊は免れず、外からも中からも扉は開けられない。
誰かがロックを解除しようと間違ったコードを無理に打ち込んだりすれば、塔の崩壊を早めることになるのであった。
マドレーヌは塔の壁面にらんたんをかざし、隠しプレートを探り当てた。原始的な石のスイッチを押して暗証番号を打ち込むと、隠し扉を支えていた内部の留め具が外れ、歯車が静かに動き出す。壁の一部分が開くと、マドレーヌは身をかがめて中に入り、入口をしっかり閉めた。重苦しい空気に息詰まりそうになりながら、まくらを抱え、一歩一歩と階段を登っていく。
暗証番号を知っているのは、お父さまと警備隊長、そしてわたしだけ。だから「彼女」は入って来れない。てっぺんに着いたら星空を眺めよう。そしてゆっくりゆっくり眠るの。今度こそ、本当に誰にもじゃまさせない。
部屋の扉をロックさえしなければ、危険はない。
わかってはいるものの、マドレーヌは得体の知れない恐怖を感じていた。何か、いやな予感があった。でも、ここは安全なんだから。自分に言い聞かせる。悪い考えは悪いことを呼び起こしてしまいそうだから、いいことだけを考えるの。素敵な夢を見ようっと。夢で、会えるかしら。今度こそ、ハッピーエンドの夢を見るの!
26.「パラノイアのなせる業」に 続く……