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「お菓子な絵本」20.校内改革宣言


20. 校内改革宣言



 新館校舎の屋上からは正門に通じる広場が一望できる。

 沢城郁子は、家路に向かう生徒たちが現れるのを今かと待ち構えていた。閉鎖されている裏門をわざわざ乗り越えていく連中は別として、殆どの生徒が帰りにはここを通る。実力テスト前だから部活もないし、20分もあれば片はつくだろう、と彼女は踏んでいた。
 市街を取り囲む、うっすらと雪景色が残る山々から時おり吹いてくる風に、郁子は身震いした。丘の上の高台にある学校だから、見晴らしは最高なのだけど、やはり寒い。カーディガンを羽織ってくるんだったと後悔する。風さえなければ、屋上に照りつける午後の陽射しがぽかぽかと気持ちいいのだが。

「いったい何事が始まるわけ?」

 アシスタント役に任命された友人二人が、外階段を威勢よく駆け上がってきた。

「あんたが帰りの連絡会サボッたこと、先生にバレたわよ」
「ごまかしてくれた?」
「うん。給食の食べ過ぎでトイレにこもってるって」

 もう少しまともな言い訳があるでしょうに! 郁子はぷうっとふくれっ面をしながら、二人にバサリと分厚い紙の束を渡した。

「はいこれ。合図したらいっせいにバラまいて」「何? 校内改革宣言? シュヴァルツ真秀!?」

「そっ。彼の演説ビラ」
 得意気に、郁子は言った。

「一日中こそこそやってたのは、このせいかあ!」

「何しろ真秀くんじきじきの、極秘指令だったんですからね」

── この文書が敵対勢力の手に渡ることのないよう、細心の注意を望む。最悪の場合は破り捨てるなり、飲み込むなり ──

「苦労したんだから。わざわざゴージャスな縁取りや、品格を損なわない程度のイラストまで入れて、選挙活動の制限範囲内に収まるよう、コピー枚数も計算して縮小して、一枚一枚カットして」
「しかもマーカーで色まで塗ってある!」 
「知らなかった。あんたが完璧主義だったとは」
「あたしは違う。完璧主義はシュヴァルツのほう。彼なら、こういうことはきっちりやるだろうなと思って。第一、見なさいよ。この内容」

 友人二人は交代で、声高らかに演説ビラを読み上げた。

「校内改革宣言」      
               
 会長候補 二年D組 シュヴァルツ 真秀

   一、校則の全面見直し 
   二、制服の着用は各自の判断に任せる 
   三、通学カバンの自由化
   四、朝夕の清掃は一日一回で充分
   五、雪の降るテラスや、
     職員室前の廊下に座らせるといった、
     見せしめの為の懲罰廃止

「六、七、八……、すごい。彼、学校側に挑戦状を叩き付けるつもり?」
「新任の校長じゃあるまいし。一介の生徒ごときがこんなこと言い出したら、目つけられちゃうよ」

「彼なら大丈夫。入学当初から一目置かれてるから」
 郁子は真秀にひと目ボレした決定的瞬間を思い起こした。
「覚えてない? 去年、新入生の総代であいさつした時。校長やPTA会長も顔負けの見事な演説を繰り広げたこと。メモも見ずによ。誰よりも堂々としてたし、誰よりも単純明快で、楽しいスピーチだったじゃない」
「うん。確かにドラマの主人公してた」

 郁子が夢見る調子で続ける。
「大統領になるのは、ああいうタイプの子なんだなぁって」
「首相でしょ」
「もっと世界的視点で物事を考えましょうねぇ。大統領のほうがカッコイイじゃん。えっと……、そうだな、ヨーロッパとかの」


 沢城郁子による冗談予言は、将来実現されることになり、自分が大統領夫人になろうとなんて、この時点では知る由もなかった。
(作者注:『お菓子な世界』第三部「選ばれし者の子どもたち」にて判明)


「で、クーデター起こすわけだ。二年のぶんざいで」
「頭脳明晰、成績優秀、率先して皆の上に立つタイプの子は、多少羽目外しても文句言われないもんなの」
 後輩をさらりとかばいながら、郁子は頬がつい熱くなるのを感じていた。
「それに。ここに書かれてることって、どれも当たり前のことだと思わない? 当たり前なのに、誰も言い出せないの。真秀シュヴァルツみたいに、全責任は自分が負うから任せろって、平然と言えるような人間がいなかったのよ。今までは」

「郁子……。そのセリフ、校門の上にでも立って言ってくれば? 最高の応援演説になりそう」

「ところで当のシュヴァルツ大先生はどうしたんよ」

「風邪でダウン。あいつ、頑張りすぎだから。いつだって」
 郁子はちょっと顔を曇らせた。
「何もかも、一生懸命なんだから。ひとたび怒ると、ものすごくおっかないし。いじめや暴力沙汰なんか見つけると、上級生であろうとよその学校の番長であろうと、容赦しない。相手がぐうの音も出ないほど、こてんぱんに言い負かす」

「ケンカ、強いんだ」

「知らない。細身でも、弱そうには見えないけどね。でも、自分から手は出さないし、相手にも絶対出させないって話。気迫が普通じゃないし、言ってることは正論だから、相手はみじめな気分になってこそこそ逃げてくの」

 それに、遊んでるときだって、真剣なんだから……。郁子はテニスの早朝練習を思い浮かべた。
 一面しかないコートの奪い合いという名目で、三年女子の自分たちと真秀たち二年男子の間でしばしば行われる、ふざけた練習試合。
 彼は手加減しつつ笑いながらも実は真剣で、一球一球に全エネルギーを注いでコントロールしてる。結局、決着がつく頃に練習時間は終わってしまうのだけれど。スリル満点で、負けても何故かとっても楽しいのだ。

「彼のエネルギーって内側からあふれ出てくるもので、自分をよく見せようとか、いい子ぶるなんてレベルじゃなくて、すべての行動が確信に満ちてるの」

 たとえ風邪で休んでいたって、あれこれと思いを巡らしているのだろう。
 だから、この任務も失敗できないのだ。しかも彼のクラスメイトの役目をこっそり横取りしたのだから、尚更だ。ただしビラが屋上からバラまかれるとは、さすがの真秀も思いもよらぬところ。

「ほら、第一陣が来た」

 三人はビラの何枚かを手すり越しにそれっとバラまいた。ひらひらと舞い落ちる紙切れを、興味深げに拾い上げる者、飛びついてキャッチする者、皆、なんだかんだと言いながら文面にはちゃんと目を通しているようだ。無視して通りすぎる者は皆無に等しかった。

「真秀シュヴァルツを、よろしくーう!」

 いぶかしげに見上げる連中に、屋上の三人娘は英雄気取りで手を振って応えてみせる。

「うーん。まずまずってとこ? だけど何かこう、いまいちだなあ」

 郁子はビラの落ちる範囲があまり広域でないのが不満だった。あれでは西側の昇降口から出てくる生徒の手には渡らない。もっと遠くに飛ばすには……、
 そうだ! 真秀のやり方でいけば。

「紙ヒコーキ折って!」

 郁子は大量の紙片が飛ばされないよう注意を払いながら、手すりの上ですばやく演説ビラをヒコーキに変身させた。

「風に乗せて飛ばすの!」

 紙ヒコーキを折っては飛ばし、飛ばしては、また折る。それは厄介ながらも結構楽しい作業であった。
 あ、あっちに行った。今度はあそこに落ちた。などとわいわい叫びながら、三人はその作業を延々と繰り返した。

 そして真秀の改革宣言書を手にした誰もが、一瞬、彼のことを思いやった。対立候補とその勢力を除く、全校生徒のほぼ全員が、その瞬間、真秀シュヴァルツのことだけを、強く思い起こしたのだった。



21.「風穴族」に 続く……

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