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「お菓子な絵本」32.捕われの身

32. 捕われの身



〈星の剣〉でギロチンの刃をしっかり支えながら、彼は空いたほうの手で被っていた頭巾を乱暴に取り払い、足元に叩き付けた。

 ジャンドゥヤ・ブランの予想外の登場に、群集は、おお! と、どよめき、拍手喝采した。そして事の成りゆきを見守ろうと、徐々に静まりかえっていった。

「この世では」
 王子は敵意もあらわにバルコニーのルドルフ公をにらみつけた。
「刑の執行にあたっては、王の許可が必要のはずだが?」

 しばしの沈黙の後、ルドルフは表情も変えずに口を開いた。
「王などいないではないか」
「今はわたしが王の代理だ」
「ならばさっさと王になればよいではないか」

 まだ王になる資格などない、と言いたかったがジャンドゥヤは考えを改めた。
「じきにわたしは18になる。その時点で民が認めてくれるのであれば……」
 自分でも思いもかけなかったセリフを口にする。
「戴冠式を受ける覚悟はできている」

 群集から拍手と大歓声が沸き起こった。
「ジャンドゥヤさま!」
「ジャンドゥヤ王子!」
「ジャンドゥヤ王!」
 嵐のようなジャンドゥヤ・コールの中、ルドルフ公が席を立った。ジャンドゥヤは高く片手を挙げて群集の歓呼を制し、「ルドルフ殿!」立ち去ろうとするルドルフの背中に呼びかけた。
「手紙は届かなかったと見受けられるが」

 公はゆっくりと振り向いた。
「手紙は確かに受け取った。内容も読んだとも」
「ならばなぜこのような茶番を? 彼女は無実だ。すぐに釈放したまえ」
「無実を証明するものなど、何ひとつないではないか」
「証拠はここにある」
 王子は刃を支えている剣に注意を払いながら、片手でふところからくしゃくしゃの紙片を取り出し、脇にいた警備隊長に手渡した。 
 取り押さえていた黒すぐり=真秀を突き放し、アルジャンテはそれを大声で読み上げた。
「気をつけて。てすりが崩れ落ちるよう、細工がしてあります」

 アルジャンテの顔色がさっと変わる。
「これをどこで?」

「きみの可愛い隊員さんが我が身を犠牲にして手に入れた情報だ。マドレーヌ嬢の窓辺に放たれた弓矢に巻かれていたそうだ。気の毒に。彼は三階からてすりごと落下したんだぞ」
「警備隊員が!?」
「マシュマロ・ホワイトだ。安心しろ。命は取り止めた」
「マシュマロ? ホワイト!?」
 アルジャンテと、黒すぐり=真秀が同時に聞き返す。
 ローズ・リラの表情が凍りつく。

 ルドルフ公は冷たく言い放った。
「その隊員は昨日のチェス試合でわざとミスを犯し、八百長を仕組んだという疑いがあるではないか。そんなもんは信用できん」

「恐れながらルドルフ殿」
 アルジャンテが弁明する。
「あのミスは本物です。彼は前代未聞、警備隊きってのドジ男なのです。わざとミスを犯すような器用な真似など、できるわけがありません。
 つまり彼ほど信用できる人物は他にない、ということです」
 言いながら、アルジャンテは自分がウスノロを誉めているんだか、けなしているんだかわからなくなってきた。そこで名誉の負傷の部下のために、もうひと言つけ加えた。
「敵であろうと味方であろうと他人の命を救うべく、身の危険もかえりみずに命を投げ出そうとするほどに、ロマンティックな愚か者なのです。
 ある意味では警備隊の鏡とも言えるでしょう」

 ジャンドゥヤがしびれを切らした。
「さあ、彼女を釈放してもらおうか」

 王子の催促に、アルジャンテはルドルフ公の指示を仰いだ。
「王子よ。その剣を抜いてみるがいい」
 ルドルフは冷徹な笑みを浮かべて言った。 
「なんだって?」
「ふっふっふっ。まだわからないのか。これはパフォーマンスなのだよ。処刑は罠。彼女はおとり。囚人スパイの黒幕が知りたくてな。のこのこ救出に現われる者と、そのスパイ組織を一網打尽にするのが目的だった」
 
 王子は怒りを抑えつつ、それでも平静を保っていたが、真秀のほうは真っ青になった。自分の勝手な行動のせいで、下手すれば黒すぐり団の存在が明るみになってしまう。

「しかしこの茶番劇の飛び入りが、王子と黒すぐりだったとはな」
 ルドルフは笑い出した。
「刃は板の上で止まるようになっておる。さあ、剣を抜いてみたまえ」

「だめだ。彼女を降ろしてからだ」
 王子は拒絶した。

「臆病者め」
 言い捨てると、ルドルフ公は城内に入ってしまった。

 王子はまだ身動きが取れない状態だったし、警備隊長は態度を決めかねていたので、その作業は真秀が行った。
 首が挟まれていた上板を外し、ローズ・リラを支えながら断頭台から降ろしてやる。

「ありがとうございます。黒すぐりさま」
 ローズ・リラは真秀の目をしっかりと見据えて言った。

 彼女がこちらをニセ黒すぐりと知っていて、わざとそう言ったのだと真秀は判断した。王子をかばう為に。ならばぼくは黒すぐりを演じ続けようではないか。自分一人が責任を負えばいいのだ。

 王子が剣を抜いた。ギロチンの刃はそのままストン! と板の間に落っこちた。

 それはルドルフ公の言葉に従っていたらローズ・リラの命がなかったことを意味していた。

 しばしの間、誰も口を聞くことができなかったが、やがてアルジャンテがうめいた。
「バカな」

「どういうことだ!」

 すごい剣幕で王子に詰め寄られ、アルジャンテはわめき散らした。
「板の間にネジが二本! それが刃を支える仕組みになってたんだ!」
「ネジなどどこにも刺さっていない」
 と、ジャンドゥヤ。

 ネジが埋め込んであるはずの場所には二つの穴が空いているだけだった。

「何度も確認したんだ。おれ自身が確かめた。部下にも──」
「『間違いました』ですまされることじゃないんだぞ!」
 厳しい口調で王子は言った。
「罪のない人間を不当に拘束した上、『手違い』とやらで殺してしまうところだったんだ! 裏切り者、つまりきみの失脚を狙っている者の仕業だろう。背後には気をつけるんだな」

 言い捨てながら王子は周囲の群集を見渡した。着飾った紳士淑女から普段着姿の家族連れまで。あどけない表情で母親に手をつながれるまま、何が起こっているのかもわからない様子の、幼い子どもたちも大勢いる。
「子どもまでが! いったい何を見に来てるんだ。人が死ぬ瞬間が、見たいのか?」
 抑え続けていた王子の怒りがついに爆発する。
「血を見たいのか! それが面白いのか!? そんなに血が見たいというなら──」
 ジャンドゥヤは剣を逆手に持って頭上高く振りかざした。自身を傷つける為に。

〈星の剣〉=切れない剣。

 刃先を鈍くしてあるその剣で、大量の血を見せつけるために無理に身体を傷つけようとしたら、傷口は鋭い刃で切られたよりもずっとひどいことに……、腕にしろ脚にしろ、おそらく生涯使いものにならなくなるほどの致命傷を負うことになろう。

 王子の第一従者である真秀は、主人の無謀な自殺行為など、むろん阻止めねばならなかった。が、遅かった。犠牲にされるべく突き出された左腕に向けて、剣は容赦なく振り下ろされ──

「ジャンドゥヤ!」
 ローズ・リラの悲鳴とともに、再び時間が静止した。

 彼女は王子にしがみついていた。剣が我が身に振り降ろされるのを覚悟の上で。
 しかしその心配は回避された。
 ペルル・アルジャンテが王子の右腕をがっしりつかんでいたから。真秀より王子に近い位置にいたその二人が、わずかに素早く反応できたのだ。

「止めろ。意味がない」
 冷静に、静かに、アルジャンテが言った。

 ジャンドゥヤは頬を紅潮させつつ悔しそうに唇をかんでいる。

「ジャンドゥヤさま……」
 ローズ・リラは泣いていた。心の底から嘆き悲しんでいた。
「お願いですから。もうこれ以上……、ご自分を傷つけるのは……」
 あとは声にならなかった。

 これ以上……? その言葉を少々気にかけながら、アルジャンテは王子の腕を離した。
「連中も、わかったはずだ」

 群集の一人として王子の血を見たい者などいなかった。人々は己を恥じ入り、うなだれていた。幼い子どもまでが、王子が正義を伝える為に自分を犠牲にしようとしたことを漠然と理解し、震えていた。

 アルジャンテは王子に背を向け、黒すぐり=真秀に向き直った。
「不法侵入、及び暴行の現行犯で、黒すぐり、あなたを逮捕する」

 ローズ・リラの制止を振り切って、王子が止めに入る。
「それこそ無意味だ。あの場合やむを得なかったはずだ」
「じゃまをしないで頂きたい」
「ではわたしも、この群集も皆、不法進入ではないか」
「残念ながら、あなたも含めて跳ね橋を渡って入城した者は門番がすべてチェックしているのです。黒すぐりはリストに載っていなかった。明らかに不法進入だ。そのルートを吐いてもらいたいのでね。それに警備隊への暴行はここでは重罪に値するのだ」

 真秀の腹は決まっていた。真秀の声より半オクターブほど低い声で静かに言った。
「殿下、どうぞお構いなく。わたくしのことよりマドレーヌ嬢の救出を優先なさってはいかがです?」

 警備隊長殿にも冷静に意見する。
「あなたもわたしなどに構っている場合ではないでしょうが」

「ほざくな。よし、奴をしょっぴけ」

 隊長の命令で、二人の警備隊員が駆け上がってきた。その隙、真秀は王子とすれ違いざまに、ほとんど口を動かさずにつぶやいた。
「ニーナ・カットは第四の人物。第三は、パン屋だ」

 ジャンドゥヤははっとした。パン屋(=ベッカー)……。そうか、そうだったのか! 

 王子がまだ迷っている様子だったので、真秀は小声で吐き捨てるように言った。
「行けよ、早く! ぼくに構うな」
「すまない……」
 ジャンドゥヤは苦しそうに顔をしかめた。

 黒すぐり=真秀は後ろ手に縛られて連れて行かれる。ジャンドゥヤはなすすべもなく見送るしかなかった。必ず、必ず助け出すからな、と真秀を見つめる目が語っていた。 



 地下の監獄に閉じ込められると思いきや、黒すぐりは警備隊本部に連行された。

「おとなしくしていろよ」
 アルジャンテはそれだけ言うと、部屋から出ていった。

 両手を縛られてはいるものの、自由に動き回れるし、部屋には一人きり。

 チャンスだ! 真秀は部屋の状況を確認した。

 たった一つの窓には鉄格子。簡素な応接セット。テーブルランプ。
 ソファの後ろの壁面には横長の大きな鏡がかかっている。反対側からこちらの様子が観察できるマジックミラーにでもなっているような気配。要注意だな。
 天井にはシャンデリア以外の何もない。足下に通気孔。人が通れるほど大きくはない。
 ランプのガラスかテーブルの角で、縛られた縄を切ることくらいはできるだろう。だけどそれは脱出の方法を見つけてからだ。
 ドアの背後に隠れて誰かが入ってきたところをランプで殴り倒すか……。あるいは羽交い締めにして人質をとるか……。
 映画で見たような、そんなありきたりの方法しか思いつかなかった。しかしここは泣く子も黙る警備隊本部。そんなちゃちな手は通用しまい。

 拷問して洗いざらい吐かせる気だろうか。
 恐怖に身震いが走る。あるいは釈放を条件に秘密の暴露を要求されるか。自白剤でも飲まされたあかつきには……。

 でも、いったい何をしゃべればいいんだ? 

 ぼくは現実世界からやってきました。皆さんが登場しているこのお話の鍵を握っているんです。なんて言って、信じてもらえるだろうか? 

 失業スパイが書いた暴露本にあった、「捕われの身に陥ったときの鉄則」という項目を真秀は思い起こした。

 敵に捕まったら、初めはかたくなに抵抗する。それから徐々に態度をゆるめてゆき、相手を信用させる。
 しまいにはあたかも屈伏したように見せかけて、あたり障りのない情報のみをしぶしぶ流し、そこに重要な嘘をまぜ、敵を混乱に陥れる。
 したたかな、こうした態度を貫くべし。それがスパイの掟なのだ。

── よし、これでいこう ──。

 さて、どんな真実と嘘で警備隊長殿を混乱させてやるかな。真秀はとりあえずソファに腰を下ろし──縛られた手首は痛かったが──、作戦の検討に入った。



「隊長、重要人物の拘留にしては警備が手薄すぎやしませんか?」
「そのとおり! どんなマヌケであろうと、あんなところは簡単に抜け出せる」
「……?」
 部下の当惑した態度に、警備隊長は苛立ちながら説明を加えた。
「あの手の少年はガンとして口を割らないタイプだ。仮に何かしゃべったとしても、偽の情報をつかませてこちらを混乱させる気だろう」
 アルジャンテはほくそ笑んだ。口元は笑っているものの、その瞳は冷徹な輝きを放っていた。
「泳がせるんだ。奴は仲間と接触を図ろうとするだろう。おそらくジャンドゥヤ王子と。そこを、抑えるんだ」

 間近な勝利にアルジャンテは酔いしれた。しかし早急に片づけねばならない問題がある。

「おれはルドルフ公と、マドレーヌ嬢の救出を検討してくる。いいか、黒すぐりの動きを見逃すな。よく見張っとけ」




33.「アルヴィン風の幻想曲」に 続く……



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