「お菓子な絵本」12.白の庭で
12. 白の庭で
小犬を連れた羊飼いの少年。
横笛を吹く少女。
弓矢を引き絞る狩人。
古代の衣装を身にまとい、
ダンスのポーズをとる乙女。
まるで何百年も前からそこにいるかのような白亜の彫像が点在する緑の芝生の散歩道を進んでいくと……、
さまざまな趣向を凝らした独立した庭園が、テーマ別に次から次へと現れる。
赤い花ばかりを集めた情熱的な〈赤の庭〉。
明るい色合いが楽しい〈黄色の庭〉。
幻想的な〈青の庭〉。
あたかも絵の具の代わりに花で描いた絵のような、庭、庭、庭の競演。すべての花々が輝ける合唱とともに美しく咲き誇っている。
更に奥へと歩みを進めると、登場するのは不思議な〈トピアリーの庭〉。円錐形やきのこ、リスや小鳥などの形にきっちりと刈り込まれた小さな木が、チェスの駒のごとく整然と並んでいる。
自然が、人間の手によって完全に支配されている人工的な空間に息づまりそうになりながら、彼はさわやかな水音と、さかんに聞こえてくる小鳥の鳴き声に誘われて〈水の庭〉に足を踏み入れた。
自然の流れを利用した小さな滝が、オアシスのような池に注がれている。中央の噴水から静かにわき上がる水にきらきらと反射する光。水面に揺れる樹木のシルエット。ここをすみかとする小鳥たちの可愛らしい姿と鳴き声。
心地よい涼気にほっとひと息ついてから、彼はうっそうとした苔やシダが主役の〈影の庭〉を通り抜け、〈風の庭〉へと入って行く。
入り口は甘く、さわやかな香りのスイートピーの花のトンネル。高い生け垣による囲いはなく、ただひたすら広い空間がそこにあった。
〈風の花〉といわれる色とりどりのアネモネにマーガレット、ポピー。細くやわらかな印象の植物が、静かに、幸せそうに風に揺れている。
しかしここではない。
彼女がどこにいるのか、彼にはわかっていた。
〈マドレーヌの小路〉と名付けられた散歩道では、微妙な紫色のラベンダーたちが、深く、甘く香り立っていた。足が触れるとさらに濃厚さを増す香りに半ばめまいを覚えながら、彼はようやく目的の地、〈白の庭〉にたどり着く。
優雅な白バラのアーチをくぐると、そこにあるのはただひたすら白。白の世界。百合、カーネーション、ライラック、ジャスミンにかすみ草。白い花の洪水の奥深く、白いレンガ塀の手前、リンゴの木の下で眠っているのは……
── 彼は本当に来てくれた! わたしを見つけてくれた ──。
マドレーヌは白いまくらを抱きながら、静かに眠っていた。
── でも彼は__、誰? ──
彼がここに来るまでに目にした様々な庭園や花々、穏やかで美しい情景をマドレーヌも夢の世界で一緒に見ていた。しかしそれはイメージにすぎなかった。肝心な部分、つまりその彼が誰であるかは、皆目わからなかった。
わたしの心の悲鳴を聞きつけてくれた、あなたは誰なの? ジャンドゥヤ王子? 警備隊の誰か、ペルル・アルジャンテとか? それとも、まさか、黒すぐり?
マドレーヌは愛に満ちた温かいまなざしを、ほんの一瞬、感じ取った。木陰にいるはずなのに、午後の明るい陽の光が降り注ぐような温かさ。
知ってる。この視線、わたし、知ってる。
楽しくはしゃいでるときも、こっそり泣いてるときも、いつも心のどこかで感じてた、優しい視線。何も言わなくても、言葉に出さなくても、そっと見守ってくれる温かな視線。ふと見回しても、誰かはわからない。そばにいなくても、たとえ遠く離れていても、いつも感じてた。どこかで、誰かが、想ってくれていることを。
それともこれは、ただの夢?
わたしの願望が生み出した、ただの幻?
だったら今はまだ、目を覚ましたくない。愛にあふれたこの夢が、永遠に続くといいのに……。
幻想的な一枚の美しい絵がそこにあった。
すべてが、彼女の呼吸すらが、静止しているかのような光景に、ジャンドゥヤは息をのんだ。
心配そうにそっと近づき、彼女の生気を感じ取るや、ほっと安堵のため息をつく。
何と無防備な。このような人気のないところで、供もつけずに。
ジャンドゥヤはこのうえなく優しい視線を、一瞬だけマドレーヌに投げかけた。そして身につけていた白ナイトのマントを外し、遠慮がちに目をそらしながら彼女の肩にふわりとかけてやる。
大きなまくらを抱きかかえるようにして、すやすや眠るマドレーヌ。なんて可愛いんだろう。
でも、おそらく泣き寝入り。
まくらについた、涙の染み跡がチラリと目に入る。
人前では決して泣かない彼女の、この無数の涙の跡に気づいている者が、果たしてどれだけいるだろうか? いったいどこの誰が彼女を狙ったりするのだろう。プライドの高い彼女だから、わざと高慢ちきな態度をとったりもするけど、本当は誰にでも優しいし、良く気がついて、何にでも一生懸命だし──昼寝している時以外は──、皆に尊敬されて、可愛がられ、愛されている様子なのに。
彼女が狙われる理由が、どこにあるというんだ?
心の奥底で静かに燃えていた正義と恋の炎が一段と激しさを増し、ジャンドゥヤは思わず目を閉じた。
── いつかきっと。彼女を迎えに来よう ──。
固く誓いつつも、一抹の不安がよぎる。
嫌われてなければ、の話だが。いや、嫌われているかな? いつだって、口を開けば互いに何やらぎくしゃくしてしまうではないか。
それに彼女が崇拝しているのは〈黒すぐり〉。ジャンドゥヤ・ブランではない。黒すぐりの正体を知ったら、彼女、がっかりするだろうか。
そのとき、王子にある考えが浮かんだ。黒すぐりとジャンドゥヤと、もしぼくが本当に二人いたとしたら、彼女はどちらを選ぶだろう?
あるいは、どちらでもないかな。
カイザー・ゼンメル城警備隊長の嫌みったらしい姿が悪夢のように脳裏をよぎってゆく。奴は警護と称して、常にマドレーヌ嬢の側にいられるのだ。
やめてくれ。じょうだんじゃない。
王子は気を取り直し、リンゴの木の、マドレーヌとは反対側の根元に腰を降ろした。
今はこうしてわたくしめがお守り致しましょう。今だけでも、こうして。
ゆったりと木の幹によりかかり、ジャンドゥヤ王子は目を閉じた。剣と盾をしっかり脇に抱えながら。
13.「降ってきた助っ人」に 続く……