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「お菓子な絵本」26.パラノイアのなせる業

26. パラノイアのなせる業

 


 マシュマロ・ホワイトは監獄へと急いだ。死刑宣告を待つ囚人のような思いを抱えつつ、必死で推理を働かせる。
 クイーンの毒入り冠が作られた菓子工房と、棺桶騒動の霊安所。ぼくの知る限りでもローザは二度、暗殺が企てられた現場に居た。マドレーヌ嬢を狙うチャンスがあったわけだ。
 しかしローザは二度とも、ぼくを通じて警告している。
 いったんはマドレーヌ嬢の命を狙っておいて、罪の意識から阻止しようとした。それが妥当な線だ。もし誰かの命令で動いていたのなら、納得がいく。
 ローザはジャンドゥヤ王子の手先である。
 監獄を隠れみのにして、マドレーヌ嬢の身辺を探っていた。しかし暗殺が王子の命令であるはずはない。王子はマドレーヌ嬢を愛している。心から。それはマドレーヌ嬢が危険にさらされたチェスの試合後の、彼の動揺ぶりで、はっきりわかった。

 ローザとローズ・リラ。彼女は二重人格なのか? 

 あるいは──。彼女は王子を愛していて、嫉妬心からマドレーヌ嬢を狙っていたのだとしたら? 任務と感情のギャップにさいなまれ、矛盾した行動に出ていたのかも。恋は時として人を狂気に陥れる。いや、しかし、そんなのは本当の愛情じゃない! 


 ローザ=ローズ・リラは隠し持っていた万能キーで独房の鉄の扉を開けようとしたところを、警備隊員マシュマロ・ホワイトに取り抑えられた。

「どうして、あなたなんだ……」
 マシュマロは言葉が続かなかった。毅然とした態度でまっすぐに彼を見つめ返す彼女の瞳に、狂気の色は感じられない。
 何故なんだ? マドレーヌさまのほうに何か問題があるんじゃないのか? 噂どおりの邪悪な力に彼女が支配されているとか? 

 容疑者を抑えながら、マシュマロはさっと監獄を見渡した。囚人。マドレーヌの夢で告発された囚人たち。マドレーヌ嬢が眠りながら彼らの潜在意識に指令を出し、悪事を働かせていた可能性は? 

 夢で人類を操る、危険な存在。
 それがマドレーヌ・ベッカーの正体なのか?

「理由を教えて欲しい。今ならまだ間に合う。あなたのことはぼくしか知らないのだから」
 マシュマロはローズ・リラの手を両手でしっかりと包み込んだ。
「自首しますか? それとも、マドレーヌ嬢に何か重大な理由があるんじゃないですか? 正義の名の下に命を狙われるべき正当な理由が。理由次第では、あなたを見逃すことも……」

 しっ、とローズ・リラはさえぎった。が、遅かった。

「それには及ばない」

 アルジャンテの声を合図に数名の警備隊員が現れ、さっと二人を取り囲んだ。

「リラローズ、あなたを逮捕します。マドレーヌ・ベッカー嬢暗殺未遂容疑で」

 ローズ・リラは、マシュマロにふっと諦めの笑みを投げかけると、抵抗もせずに二人の隊員に連行された。容疑者の権利を告げる隊員の声が遠ざかっていく。

「ホワイト、お前が囚人23号のことを嗅ぎ回っているという報告を受けて、こちらもマークしていたんだ」
 アルジャンテは氷の瞳でマシュマロをにらみ据えた。
「きさまの処分は彼女の処刑が済み次第、追って考える。それまでは自室で謹慎してろ」

「処刑? 処刑ですって!?」
 マシュマロは我が身の立場もかえりみず、隊長にかみついた。

「知ってのとおり、暗殺未遂は殺人に匹敵する罪なのだ」
「だって容疑の段階でしょう? 犯人と決まったわけじゃ……」
「証拠はあがっとるんだ。証人もいる。刑の執行は明朝9時だが、これ以上問題を起こすなよ」
 立ち去りながら、アルジャンテは寂しげにつぶやいた。
「残念だよ。いくらお前がトロかろうが、ウスノロであろうが、信頼していたというのに」




── 囚人23号? リラローズ? ──

 地下牢におけるローズ・リラ逮捕劇の一部始終を、マドレーヌは眠りの中で感じていた。冷や汗とともに目覚めたが、緊張のあまり、体を動かす気にはなれなかった。
 本当に彼女がわたしを狙ってたというの? 何か変だわ、処刑だなんて。裁判もなしに? ぺルル・アルジャンテにひとこと言ってやらないと──

 そこでマドレーヌの思考は中断された。

 かすかな衣ずれの音。何かが動く気配。マドレーヌは恐怖に凍りついた。何かが……、誰かがいる。誰もいないはずのこの部屋に!? どうして? どうして!?

「お休みなさい。マドレーヌさま」
 子守唄のようなささやき声は、しかし悪意にみちていた。
「これが最期の夢となりますように……」




 謹慎命令を無視して、マシュマロ・ホワイトは東の庭園からマドレーヌの窓辺を見上げていた。

 まだ落ちていたクロスボウを拾い上げ、窓辺に向けて狙いを定めてみる。
 たやすいことだ。ああいう人は大抵の武器は扱えるよう訓練を積んでいるだろう。ここからなら目標を外さず射ることができたはずだ。マドレーヌ嬢が窓辺に出るのをわざわざ待ち構えていたというのも、妙な話じゃないか。熟睡していて、一晩中出てこないかも知れないのに。

 狙ったのではなく、何かの合図だったのでは? 

 マシュマロはとりあえず現場の窓辺を確かめてみることにする。
 マドレーヌ嬢の部屋は閉鎖されていた。扉のテープの封印を短剣で外し、まっすぐ窓へと歩み寄る。弓矢は窓枠にささったままだった。

── これはサバイヨンの弓だ ──。

 弓の羽根部分の青い印。先輩のサバイヨンが自身の手柄をひと目で証明できるよう、すべての自分の矢に印をつけていることを、マシュマロは知っていた。
 しかし彼がわざわざ自分の弓を使って犯罪の証拠を残すわけがない。盗まれて、意図的に使われたか。
 おや? もうひとつ、見たことのない印が矢の中ほどにあった。紙のようなものが巻かれている?
 マシュマロは注意深く身を乗り出して、それを矢からはぎ取った。内側に何か書いてある。てすりに寄りかかり、月明かりにその紙片をかざしながら、マシュマロはメッセージを読んだ。

『気をつけて! てすりが崩れ落ちるよう、細工がしてあります』

 おしまいまで読み終えぬうちに、マシュマロはてすりもろとも三階から落下していた。

── 真犯人がいるんだ! ──

 落下とともに全身を強打し、気を失う直前のマシュマロ・ホワイトの思考だった。




 小さな窓から流れ込む月の光に、ナイフを振りかざす女性のシルエット。

 マドレーヌは猛烈な勢いでまくらを振り回し、襲撃者の手からナイフを叩き落とした。身をひるがえし、すばやくナイフを拾い上げる。

「あいにくだったわね、ニーナ。今は眠ってなかったのよ!」

 マドレーヌは相手にナイフを向けたまま、注意深くテーブルににじり寄り、ランプに火を灯した。
 襲撃に失敗し、青ざめたニーナ・カットの姿が亡霊のように浮かび上がる。

「だけどどうやって入ったの? だって、塔の入口の暗証番号は……」

「警備隊長さまはこの部屋がいつでも使えるよう、定期的に掃除しなければならない仕事がお気に召さなかったのです」
 落ち着きを取り戻したニーナ・カットが、勝ち誇った口調で語り始める。
「で、わたしが特別に選ばれたんです。警備隊員よりも、細やかな気遣いのできる女性がいいと。最初のうちは彼が入口を開け、彼の監視下で掃除をしていたのですが、そのうちに信頼されるようになって、暗証番号も教えて下さった。わたしはここの管理をすっかり任されていたのです」

「ばかじゃないの? あなたがここでわたしを殺したりしたら、塔の番号を知ってるあなたこそが、真っ先に疑われるのよ」

「もちろん計算済みです。あなたの死体は一週間後に掃除に来た、わたしによって発見されるんですもの」

「その間、ここが捜査されないとは限らないでしょ!」

「噂を流すのですよ」
 ニーナ・カットはほくそ笑んだ。
「あなたが夜中にふらふらと城を抜け出していったとか、怪しげな術を唱えながら墓地をうろついていたとか。ここから注意をそらすなんて、たやすいこと。噂というものは勝手に尾ひれがついて、どんどん一人歩きするものなんです」

「ふうん。わたしがヴァンパイアだとかいう、ありがたくもない噂も、あなたが情報源だったのかしらね」

 その間、ニーナ・カットは部屋の入口にさりげなく移動し、さっと身をかがめ、何やら番号を打ち込んで扉をロックしてしまった。

「あっ!」
 マドレーヌはナイフを投げてでも阻止せねばいけなかったが、そこまではできなかった。
「何てことするのよ! すぐに解除なさい!」

「手遅れよ。わたしが失敗しても、あなたはここから出られずに死ぬのです」

 この人は、こうしてずっとわたしを狙ってたわけか……。マドレーヌは五年前の記憶に始まって、最近の、一連の怪しい出来事の展望が、ようやく見えてきたような気がした。

「さっきの弓矢もあなただったのね」
「弓矢? あれは違う。あのスパイ女が余計なマネしてくれたけど」
「スパイ?」
「ジャンドゥヤ王子の息のかかった諜報部員ですよ。ちょこちょこと嗅ぎ回ってはこちらのじゃまをする。先にあっちを消しておきたかったけど、どこに潜んでいるか謎だった。まさか監獄だったとはね」

 ジャンドゥヤ王子の放ったスパイ? 監獄で捕まった彼女かしら。

「体重をかけて寄りかかると崩れ落ちるよう、窓の手すりが細工してあったんですよ。あの警告さえなければ、あなたは遅かれ早かれ、転落してたでしょうに」
「じゃあ、わたしが身を乗り出していたら……。あの矢は警告だったわけ?」
「東の庭園で、わたしとサバイヨンとの会話を聞いていたんでしょうね。彼のクロスボウが無くなって、直後の騒ぎだったから」
「サバイヨン?」
「あの間抜けな警備隊員。警備隊のナンバー2。何か問題が起きてアルジャンテさまが失脚すれば、次期隊長はあなただと、そそのかしてやったの。彼は情報を何でもしゃべってくれたし、てすりや橋の落とし穴の細工、何でもやってくれたわ」
「橋ですって!? あなた落とし穴を知ってて、わざとわたしを追いたてたの?」
「あの鷹さえ飛んで来なきゃね」
「毒の入ったチェスの冠も、棺桶のふたも、あなたの仕業だと?」

 悪夢だわ。今の状況がマドレーヌには信じられなかった。
「だけど、どうしてあなたが……。信頼してたのに。友だちだと思ってたのに」

「友だち? 友だちですって!」
 ニーナ・カットはひきつった声で高笑いした。
「わたしがこの世に呼び出されたとき、あなたはこう言ったわ。『お友だちが欲しかったの』って」
「呼び出された?」
「あなたに呼び出されたんです。どうせもう助からないんだから教えて差し上げましょう。あたしはね、現、実、世、界、から来たの」

 ニーナ・カットは過去にさかのぼり、自分の身の上を告白した。

「生きるのに絶望して川に身を投げたのに、気がつくと自分は川岸のひだまりにいて、目の前で一人の女の子が笑ってた。
『ちょうど良かった。お友だちが欲しかったの』と、幼いその子は言いいました。
 ここは異次元の世界で、彼女の友だちになることが自分の使命なのだと悟って、あたしは少女に尽くすことにした。それがあなただった」

「悪いけど……、そんなこと覚えてないわ。わたし」

「けれどあたしは友人などではなく、ただの世話役として扱われるようになった。それでもよかった。あの人のことがなければ……」

「ぺルル・アルジャンテね。それくらい知ってたわよ。お似合いだと思ってた」
「だけど、アルジャンテさまはいつも……!」
 あんたしか眼中になかった。ニーナは嫉妬と憎しみの炎をマドレーヌにぶつけた。
「創造者がある日突然、現実世界に帰ってしまったらしいと知った時は、そりゃあ焦ったわよ。この世界にいつまでも居たかったからね。わたしをこの世に呼び出したのがあなたなら、逆にだってできるはず」
「だからって殺そうと?」
「あんたが死んでしまえば、わたしを現実世界に追い返せない」
「ばかね。そんな思いに何年もとりつかれてたなんて。救いようのないパラノイアだわ」

 マドレーヌはめまいを覚えながら、このどうしようもない世話役を何とか説得せねばと頑張った。彼女が打ち込んだコード・ナンバーを聞き出さないと、半日後には塔が崩壊してしまう。

「残念ながらわたしにはそんな力はないの。呼び出したりなんかしない。友人が欲しければ自分で見つけます」

「いいえ。あなたは邪悪な力をお持ちですのよ。夢で世の中を支配しようとしてる」

 自分の最終的な使命は「マドレーヌ嬢に夢を見させないこと」だったとニーナは語った。しかし無理に起こそうとしたり、殺意をもって襲おうとする度に、何か特別な力で阻止され、大変な恐怖を味わっていたと、まくしたてた。

「何しろ現実世界からやってきた影の支配者、ルドルフ・ベッカーの娘なんですからね!」

 何? 何を言ってるの? この人。マドレーヌはすぐには理解できなかった。

「父が現実世界の人間? まさか、そんなこと」
「奥さまでさえ、知らなかったことですけどね」
「じゃあ、どうしてあなたにわかるのよ」
「あはは。ルドルフ・ベッカーはあちらの世界ではちょっとした有名人だったのよ! アルヴィン・シュヴァルツもそう。もっとも、アルヴィン王のほうは家名をブランと変えていたし、ルドルフ公のほうは何故か王の倍も年取ってたから、最初はわからなかった。
 だけど二人とも互いの存在には気づいていたはず。何しろ現実世界では、因縁のライバルどうしだったんですもの」

 お父さまは現実世界の人間? わたしもその血を受け継いでる? わたしが眠りながら色々見ることができるのも、そのせいなの? 
 混乱しつつも、マドレーヌは現実世界から来た者が持つパワーというものに思いを巡らせた。

「あなたを狙っていると奥さまに感づかれたとき、奥さまにもその事を教えて差し上げたんです。あの方は気が動転して、誤ってバルコニーから……」

「あなただったのね、現場にいたのは!」

 自分の母親が、自ら死を選んだのではないかと、ずっと気にかけていた。なぜわたしたちを置いていってしまったのかと……。ああ、お母さま……! マドレーヌは涙ぐんだ。
「事故だなんて絶対怪しい。あんたが母を突き落としたんでしょ」
 
「いいえ! あれは事故だった」 
「ならばあのとき本当のことを言うべきだったわね。皆がどれほどの思いをしたと?」
「事件が解決できなかったからこそ、前警備隊長が辞任したのをお忘れですか。アルジャンテさまのために黙っていたのです」
「何て人。彼ならいずれ自力で隊長になれたはず。そんな配慮、余計なおせっかいだわよ」

 いずれにせよ、母の死のきっかけはこの女の野蛮な妄想のせい。ずっと知らん顔してわたしを狙ってたなんて……。マドレーヌの心にわなわなと憎しみの炎が煮えたぎってきた。

── 思い出すの。マドレーヌ ──。

 封印された記憶を解かなければ、今、解かなければ、お母さまのためにも。
 マドレーヌは彼女にナイフを向けたまま、二度と見たくなかった光景を心に呼び起こした。

 わたしは眠ってた。お母さまのベッドに潜り込んで。その夜はお父さまが留守だったし、たまには甘えたくて。それに一人で恐い夢を見なくてすむように。

 ノックの音。誰かがやってきた。
 お母さまはわたしを起こすまいと、彼女をバルコニーへ導いた。月が光ってた。

 そのうち……、言い争う声。いやな笑い声。

「あぶないっ」って、その人が言った。
 でもそれは嘘。だって彼女はお母さまの背を押しながら言ったんですもの!

 悲鳴。大きな、いやな、恐ろしい音。
 いや……。いや!

 あなたはベッドで眠るわたしを見つけて、恐い顔で見下ろして抱きかかえようと、でも誰かが入ってきて隅に隠れた。そして集まってきた大勢の人たちに紛れて……、

「わたしが思い出すのを……」
 長い夢からようやく目覚めたように呆然と、マドレーヌは言った。頬を涙がつたう。
「いつか思い出すと知っていて……」
 ありとあらゆる理由が殺意に結びついていたのだ。絶対に許さない。

「帰りなさい」
 マドレーヌは静かに、冷たく言い放った。
「現実世界に帰るといいわ」

 それはニーナ・カットのもっとも恐れていた言葉だった。
「やめて!」
 叫びながら、ナイフを奪おうと襲いかかってきた。力では互角だ。

 マドレーヌは必死に抵抗しつつ繰り返した。
「帰るのよ! あちらの世界に。帰るの!」
 パラノイアなら暗示にかかりやすいはず。それを逆手にとってやる。

「やめて! 言うんじゃない! 黙らないと、その口を切り裂いてやる!」

 二人は取っ組み合い、蹴飛ばし、引っ掻き、罵り合い、叫びながら死闘を繰り広げた。
 しかし防衛の力より、狂気と殺意を伴う攻撃力のほうがわずかに勝っていた。ついにナイフはニーナの手に握られた。

 ── いや! こんな女に殺されるなんて。ああ、ジャンドゥヤ! ──

 その時だった。窓から何かが飛び込んできた。

「キャアアアー!」

 ブラウニーは容赦しなかった。猛然たる勢いでニーナ・カットに襲いかかる。
 その瞬間、彼女の姿は忽然と消え失せ、獲物を失った鷹は戸惑いながら、バサッ、バサッと翼をひるがえした。

「ああ……。ブラウニー、ブラウニー……」

 マドレーヌは床にへたり込み、肩に舞い降りてきたブラウニーを、泣きじゃくりながら抱きしめた。



27.「黒すぐりさまへ」に 続く……



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