~ 今の時を生きよ ~ F.リスト 《愛の夢》 第3番
フランツ・リスト = 情熱のヴィルトゥオーゾ。
ロマンティックで力強い作品、伝説となっている豪快で華やかな演奏スタイル、年上の伯爵夫人との駆け落ちの話題などから、フランツ・リスト(1811~86)はまさしく「情熱の人」という印象が強いが、ヴィルトゥオーゾピアニストとしての派手な活動は、早くも30代で引退と称して見切りをつけている。
その後も折に触れて人前で演奏する機会はあれど、基本は宮廷楽長、作曲家、指導者(ピアノのレッスン料は受け取っていなかった)、そして聖職者としての長い人生を送ることになる。人望が厚く、晩年まで社会的貢献に尽くした人格者だったとされている。
10代の頃、ピアノの師でもあり、演奏活動を支えてくれていた最愛の父を亡くし、伯爵令嬢との身分違いの恋にも破れて絶望し、長く病に伏せていた時期があった。かつては華々しいデビューを飾りながらも、公の場に全く姿を見せず演奏も聞かれなくなったことから、「リスト死亡」説が新聞で誤って報じられてしまったりも。
しかしその間、リストはただ絶望していたわけではない。宗教と文学に没頭し、本気で聖職者の道を目指そうともするが、結局は母親と神父に押しとどめられる。
そんな彼を立ち直らせたきっかけが、1830年のパリにおける7月革命で、民衆の蜂起に勇気づけられたリストは、〈革命交響曲〉の作曲に着手する(未完)。そして15才年上の伯爵夫人と恋に落ち、生きる意欲も取り戻す。
更なる決定打は、パガニーニの演奏に接した経験だった。
なんという人物!
なんというヴァイオリン!
なんという芸術家であろう!
大変な衝撃を受け、自らも芸術家としての使命をしっかりと自覚する。
この時、リストが何をしたか?
毎日数時間の猛練習──主として基礎練習──で、確実な技術の向上を計った。
しかし単にピアノの技巧に走るのではなく、真の芸術家を目指して己の人間的を高めるべく、奥深い内面へも真剣に目を向けていく。
プラトンなどの哲学、ホメロスに始まる古典も含む良質の文学、そして聖書を、夢中で読みあさる。
バッハ、モーツァルト、フンメルに、ベートーヴェン、ウェーバーら先人の音楽を一心不乱に研究する。
そうして1ヵ月半後には、《パガニーニの〈鐘〉の主題による大練習曲》が出来上がる。精進する中、作曲も怠らなかったわけだ。
華麗に彩られた技巧的な曲でさえも、それが表面的な印象にとどまらず、リストの音楽からは明確な主張や情熱、堂々たる基盤が感じられるのは、こうしたゆるぎない原点に根差しているからであろう。
ここに紹介するのは、~3つの夜想曲~《愛の夢》より 第3番 。リストと同世代のロマン派詩人、フライリヒラートの詩による、リスト自身の同名の歌曲「おお……きみよ、愛しうる限り、いつまでも 愛したまえ」のピアノ版。
「愛の夢」というタイトルだけで、つい連想しがちなイメージと、歌の内容は少しニュアンスが異なり、切なく儚い夢というより、もっとおおらかで粋な類いである。
年上の男性──あるいは女性──が、つれない態度を装いがちな若い恋人に対して、
「駆け引きなんてしてないで、今この瞬間こそ精一杯、わたしを愛して下さいよ。愛の出し惜しみなんてしていると、そのうちわたしはお墓に入ってしまうでしょう。
どうぞ愛することができる今のうちに、目一杯わたしを愛して下さいよ!」
といった歌で、リストの描いたイメージは、今日、一般に認識されているほど甘い感傷を誘うものではなさそうだ。
リストは弟子に対しても、
「そんなにゆったり感傷的に弾かないで。もっと、ずっと早めのテンポでさらりと弾くように」と指導していた。
「カルペ・ディエム = 今の時を生きよ」
という意味合いで使われている、有名なラテン語がある。
厳密には、「今、咲いている花を今日のうちに摘み取りなさい」とった内容で、J.W.ウォーターハウスによる絵画など、西洋美術の題材としても多く扱われており、聖書にも似た内容の教えがある。
リストの恋愛は、教養がかなり高く芸術の才にも長けた伯爵夫人や公爵夫人といった貴婦人の、到底ひとすじ縄ではいきそうもない大人の女性相手が多かった。たとえ長い付き合いであろうとも、今、この瞬間こそが命! とばかりに情熱に身を焦がす。
そして様々な障害で2人の愛がうまくいかない時期があったり、ついに破局を迎えたりすると、聖職者になるべく宗教に安らぎを求めようとする。
《愛の夢》は、そんなリストの、「今こそが大切!」の燃え尽きる愛の形ながらも、正体不明に溺れることなく、どこか超越したような大人の感性で描かれ、歌曲の言葉の持ち味がそのままに活かされている。
おおらかな低音のアルペジオに包まれるように、ゆったりと歌われる中声部の、完全に成熟した愛の歌。
鍵盤を華麗に舞うドラマティックな熱情を経て、美しい愛の思い出が、従来の一般的な解釈ならば、やがて切なく儚げに消えゆく……といきたいところだが、作曲当時40才にして既にロマン派の巨匠の域に達していた大人のリストの腕にかかれば、完全にコントロールされた粋で洗練された雰囲気で、さらりと締め括るのであろうか。
小冊子「名曲にまつわる愛の物語」より
☆ ご報告 ☆
先日、こちらのコーナーでご案内しましたとおり、
2023.1.28(土)新宿文化センター
「落語とオペラの世界」
落語家 立川志ら門
ソプラノ 原 あいら
ピアノ 安斎 航
この演奏会にて、〈愛の夢〉第3番の歌曲版とピアノ版、両方のヴァージョンを聴くことができました。
前半は立川志ら門さんによる、まるでオペラの題材のような身分違いの愛を描いた落語「紺屋高尾」、続いて志ら門さん指導による、ソプラノの原あいらさんとピアノの安斎航さん各々の愉快な落語体験、そして、あいらさんのアドバイスで志ら門さんの発声体験や、安斎さんサポートによる志ら門さんのピアノで軽快な〈猫踏んじゃった〉が披露されました。
プログラムの後半は、オペラの世界。
安斎さんが、《トリスタンとイゾルデ》のリスト編曲による〈イゾルデの愛の死〉の熱演で感動を誘い、同じくピアノソロで、華麗なる〈愛の夢〉を。続いて、あいらさんが原曲である歌曲版を、安斎さんの優しく寄り添うピアノに支えられ、それはそれは麗しく歌われました。華やかでありながら上品な深紅のドレスの装いもいっそうの効果をもたらしていて、2人が織り成す音楽と共に、まさに「今この時を生きている」瞬間を切り取ったような、美しい絵を観ているかの感覚でした。
そして最も印象に残ったのが、歌曲版とピアノ版、各々の音楽スタイルを最大限に引き出しつつ、ピアノの音符を魔法のように自在に操るフランツ・リストの天才性!
当日、受付のお手伝いをしていた私は、後半のリストによる〈イゾルデの愛の死〉と〈愛の夢〉2ヴァージョンのみ、客席でありがたく聴かせて頂きましたが、最高に素晴らしい演奏会というものは、どんなに魅力的な出演者による感動の演奏であろうとも、その存在すら超越し、名曲と作曲家本来の力を感じさせ、作曲家の生きた時代へと時空を超えて聴衆を誘いゆくことができるのだと、改めて実感できた大変貴重なひとときでした。
自分は評論家ではないので、基本、演奏会の個人的な感想は書かないようにしておりますが、今回、数ある名曲の中から、たまたま選んで元旦に投稿した〈愛の夢〉の歌曲版とピアノ版に関する内容と、知り合いの演奏会の演目(しかも、珍しくも歌曲版とピアノ版!)とが偶然にも重なりましたので、演奏会のご案内及び、報告をさせて頂いた次第です。
とてもユニークな「落語とオペラ」の催しは、今後も同じメンバーで、イタリア在住あいらさんの帰国に合わせて年に1回は続けてゆきたいとのことですので、今回ご興味を示して下さいました方は、是非次回をお楽しみになさって頂けますと幸いです。