「お菓子な絵本」38.地球は回っている
38. 地球は回っている
「えー、シュヴァルツ君は欠席なので、選挙演説はカットです」
ここは真秀の通う中学の体育館。昼休み、これからまさに、次期生徒会役員の投票が行われようとしていた。
「ただ今から、投票を始めたいと思います」
選挙管理委員長が高らかに宣言したとたん、事は起こった。
真秀シュヴァルツが、降ってきたのだ。何の前触れもなく。体育館の壇上、全校生徒の見守る前に。
「うわっ」
突然目の前に出現した床に思いきり体を打ちつけ、真秀はしばらくの間、身動きが取れなかった。
── どこだ? どこに帰って来たんだ? ──
元の世界? 何日? いや、何ヵ月たってるんだろう? それとも何時間か? 何年か!?
辺りを見回し、状況がわかった。良かった、元の世界だ。知った顔がある。
── 生徒会選挙か! ──
ということは丸一日経ってるのか!
だけど、家にいたのにどうして体育館なんだ?
どうして西に2キロもズレたんだ?
無気味な静寂が会場全体を支配していた。誰もが自分の目を疑っていた。真っ先に沈黙を破ったのは、驚きと怒りで青ざめた副校長だった。
「何の手品だ! それにその格好。マジシャンにでもなったつもりかね!」
生徒たちもざわめき始めた。真秀の耳に、こんな声が切れ切れに入ってきた。
「降って来たのよ」
「何もないとこから、突然?」
「あの格好! まるで中世のナイトじゃんか!」
「ちがう! 王子さま!」
「すごい演出……」
「真秀くん、ステキ!」
おしまいの声は、沢城郁子のものに違いなかった。冗談なのか、本気なのか。
── 西に2キロ ──。
しかし真秀はそんな黄色い声をよそに、この期に及んでも理屈で片をつけようとしていた。
「そうか!」真秀は叫んだ。
ぼくがあちらに行ってる間も、地球は自転していた。
だから多少のズレがあってもおかしくないんだ。丸一日と、何秒か。宇宙空間に行って、地球に戻ってきたロケットと同じことなんだ!
全員が、彼の次の言葉を待っていた。
「ええと、つまり……」
真秀は立ち上がりながら言った。
「ぼくたちが何をしていようと、地球は回っているんです!」
それは感動的なスピーチだった。
「風邪で休んでいる身なので。失礼」
マントをひるがえし、真秀シュヴァルツは走り去った。
書記係はこう記録した。
史上最短の選挙演説 ── 地球は回っている
決死のダイビングが功を奏してか、真秀は生徒会長に当選した。圧倒的勝利で。そして、生徒会におけるその後の真秀の活躍は、投票時のマジックと共に伝説として語り継がれることとなる。
「もし時間が同時進行してるとすれば……」
真秀は家に向かって走りに走った。
「間に合うだろうか? ジャンドゥヤ、待っててくれよ!」
懐かしの我が家が見えてきた。怒り狂った母親の顔が浮かぶ。丸一日消えてたとなると、「捜索願い」くらい出されてると覚悟したほうがいいな。だけど、先生は何も言ってなかったっけ。どのみち大目玉には違いない。
カギは開いていた。玄関先まで漂う甘い香り。クッキーだろうか? お菓子を焼くゆとりがあるんだ、あいさつは後だ! 真秀はブーツのまま、どたどた階段を駆け上がった。
絵本は、あった。マドレーヌのお菓子も、ちゃんとあった。
「失礼、マドレーヌさま。いただきます!」
これでハッピーエンドだ。ジャンドゥヤ! 涙がこみあげてくる。
それにしても、このおいしさって? ほんのりと、レモンの香り。極上のバターと新鮮な卵、上品な甘さのとろけるような感触。真秀はマドレーヌの底知れぬパワーを感じた。やはり彼女、ただものじゃない!
「真秀!」
真利江が部屋に飛び込んできた時、真秀は既にマドレーヌを飲み込んでいた。
「ごめん、母さん。家出してたわけじゃないんだ」
たった一日の冒険なのに、ずいぶん長い間、帰ってなかった気がする。
「真秀! 帰って……、帰ってきてくれた!」
真利江は骨の折れるほど真秀を抱きしめて、泣いた。そして、少し落ち着きを取り戻してから、あきらめと期待の入り混じった表情で辺りを見回した。
「ジャンドゥヤは……? ジャンドゥヤは一緒じゃ、ないのね」
その名を聞いて、真秀は飛び上がった。
「ジャンドゥヤだって? そう、彼だよ! この物語の主人公なんだ。で、王子さま。ぼくは彼の第一の従者になって……」
すがるような目で、真利江は真秀に迫った。
「ジャンドゥヤは……、どうしてた? あの子は、元気にしてた?」
真秀は謎に包まれた気分で母親を見つめた。
「母さん、まるで知ってるみたいな口ぶりだけど……、彼のこと」
「知ってるっ? て、あなた!」
真利江は呆れて叫んだ。
「真秀あなた、気づかなかったの?」
母親はあらたまって、息子の手を包み込んだ。うるんだ瞳で優しく微笑みながら、ひと言ひと言かみしめながら、長く閉ざされていた封印を解くかのように、大切な秘密を打ち明けた。
「お兄さんなのよ。ジャンドゥヤは。あなたの、お兄さんなの」
39.エピローグ へ……
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?