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「お菓子な絵本」 4.黒すぐり
4.黒すぐり Blackcurrant
噂では 17、8 の若者らしいということだった。
〈黒すぐり〉Blackcurrant
黒一色のコスチュームがその名を示していた。衿の立った薄手のシャツ、身をひるがえす際に劇的な効果をもたらす腰までのマント。素顔はつばの広い帽子と、目もとを覆うマスクで隠されている。
やたら重く、動きを鈍くするだけのよろいかぶと類は身に付けず、トレードマークである黒すぐりの実と葉が描かれた盾と剣、軽やかな身のこなしが、彼の武器であった。
各地のトーナメントに何の予告もなくさっそうと現れては、強豪相手に華麗に立ち回り、ついでに、いやむしろこちらのほうが本来の目的というべきであろう、連中の悪事を暴いていく。
いったいどこから情報を集めてくるのやら。当事者しか知り得ないはずの事実を悪人に突きつける様は、まったく見事であった。おそらく強力なスパイ網が世界中に張りめぐらされているに違いない。
「黒すぐりの忠実なる手先になれたら!」
と、誰もが願った。そして誰もが、その正体を知りたがった。
すらりとした体つき、しなやかで美しい剣さばき。決して相手を傷つけずも、まんまと降参させる戦闘スタイルは、およそ騎士というよりはダンサーのような、「戦う」というよりは「舞う」といったほうが似合いそうだ。
※ ※ ※
「黒すぐり。ブラック・カラントか」
真秀は黒い騎士のお菓子を探してみた。
「あれぇ? 黒すぐりなんていないじゃん」
ははあ。真秀はにやりと笑った。きっとこの中の誰かが変装してるんだな。この王子か、警備隊長辺りが怪しいね。先を読んでみよう。
※ ※ ※
さて、夕闇迫るここチュイール城の中庭では、大勢の見物人を前にして、黒すぐりと城主であるロリポップ男爵との死闘が繰り広げられていた。
※ ※ ※
「チュイール城? ああ、あった」
真秀は包みに瓦屋根(チュイール)の城が描かれた、丸みをおびた薄いクッキーを見つけ出した。歯応えのあるさくっとした感触。
※ ※ ※
「この青二才めが! わしに刃向かうには十年早いぞ」
かつては剣の達人としてその名をとどろかせたロリポップ男爵も、さすがに焦りの色は隠せなかった。形勢不利と見て取るや、罵声を浴びせ敵を威圧しようとするが、黒すぐりの勝利は時間の問題だった。見物人の誰もがそれを知っていた。
ただでさえ重い体重に重装備のよろいやかぶとまでが加わり、男爵も、乗っている馬も動きは鈍く体力の消耗も激しかった。かたや黒すぐりはまったく無駄のないエレガントな動きで、悠々と愛馬を乗りこなす。騎士と馬とが完全に一体と化していた。
── 死んだって負けられない。黒すぐりはきっと例の件を暴く気だ ──。
自身の悪事を隠すためにも男爵は負けたくなかった。しかし最後の力を振り絞って突き出した剣を倍の力で跳ね返され、派手に落馬する。
騎士道の掟では、勝負はここでついたことになる。
ところがあきらめきれない男爵は、黒すぐりを馬から引きずり降ろさんと飛びついた。次に起こったのは城内割れんばかりの大爆笑。黒すぐりは男爵を軽がると抱え上げ、そのまま馬を走らせ見物人の前を一周するという大サービス。
そのきゃしゃな体のどこからそんなパワーが生まれてくるのか?
大地、風、太陽や月の光といった、自然界のエネルギー。ここお菓子な世界の空間に、常に漂っているお菓子の妖精たちの甘やかな微笑み、常にどこからかあふれてくる不思議な調べが、彼に味方をしているのか。そして何より、黒すぐりに心からの声援を送る大衆のエネルギーが、彼を勝利へと導くのだろうか。
※ ※ ※
「ロリポップ男爵。ふふっ、あめんぼう男爵ってわけか」
丸々とした、ひげの老人の姿が微笑ましい小さな棒付きキャンディだ。
「ロリポップ、ロリポップ、ローリロリポップ」
真秀は懐かしい歌を口ずさみながら幸せそうに包みを開いた。口に入れるとパチパチ弾ける、オレンジ風味のキャンディだった。
※ ※ ※
黒すぐりは男爵を馬から降ろし、さっと片手を上げた。
それを合図に既に暗くなりつつある空を、ひとすじの光がひゅるひゅると奇妙な音を立てながら昇っていく。巨大な花火が空一面に輝かしく広がり、一拍遅れて、耳もつんざく炸裂音。
歓声を上げて喜ぶ見物人。
興奮を帯びたその場の空気は、パンパカーンと勝手に楽しい音楽を歌い上げ、それに合わせるように、ちっちゃなちっちゃな弾けるキャンディがポンポン降って来る。手を差し出す者、口で受け取ろうとする者、子どもたちも大喜び。
「うう。あれは」
自分の火薬が使われたことを男爵は悟った。
最後の火の粉とキャンディが消え、陽気などんちゃん騒ぎが治まったところで、一同は固唾を呑んで次なる展開、黒すぐりによって暴露されるであろう男爵の秘密を待った。
「今のは、ロリポップ殿が製造しておられた火薬を拝借して作った花火です」
黒すぐりはよくとおる落ち着いた声で──しかし容赦のない圧倒的な声色で──静かに語り始めた。
「彼の目的は火薬による武器の密造でした。大勢の技術者がこの城の地下に閉じ込められ、不当な武器の開発を強要されていたのです」
台車に乗せられた銃や大砲、大量の銃火器類が黒装束の軍団の手で城内から運び出されていく。武器といえども、それらはキャンディのようにカラフル、形もどこかこっけいで、実際に機能するのか疑わしいデザインではあるのだが。
秘密結社〈黒すぐり団〉の存在は既に巷でささやかれていたが、間違いない。彼らがそうなのだ。黒すぐりの忠実なる手先なのだ。
ああ、自分も仲間に入れたら!
群集は羨望のまなざしで成りゆきを見守った。
黒すぐりは剣をさやから抜き、城外に運ばれゆく武器類を敵意を込めて指し示す。
「大砲や銃といった飛び道具が、いかに卑怯な武器であるかは、騎士道精神を敬う皆さまならおわかりでしょう」
そして突如剣を振りかざし、その腹を自身の左手の甲に思いきり叩きつけた。
男爵も含め、その場の全員が卒倒しそうなほど仰天し、身震した。人々には彼のかみしめた口元しか見えなかったが、ともすれば骨まで砕けそうな勢いだったものだから、その苦痛がかなりのものであることは明白だった。
「今、剣を握るわたしの右手は、打たれた左手の痛みを感じた。確実に……」
あまりの痛みと衝撃に、全身の力を失っているかのように痛々しい様子ながらも、気丈に民衆に語りかける黒すぐり。
「騎士にとっての剣は体の一部でもあるからです。だが、相手を傷つけても手応えすら感じることのない銃火器類は人道に反している」
身をもって人々を説得するやり方は、あまりにも無鉄砲であったが、その効果は計り知れなかった。彼の言動はその場に居合わせたすべての人々に感銘を与え、すべての人々の胸に深く刻み込まれた。黒すぐりの噂と共に、彼の言葉は世界中に伝わるだろう。黒すぐりの活躍は、こうして根本的な世直しへとつながっていくのだった。
ロリポップ男爵は黒すぐりの前にひざまずいた。
「わしが間違っていた。年と共に衰えゆく腕を飛び道具に頼ろうと」
黒すぐりは馬から降りて男爵の手を取り、立ち上がらせた。
「花火の専門家を一人、残していきます。先ほどの花火で、彼の天才的な手腕や芸術性は証明されましたよね?」
悪事を暴きつつ、解決の道をも示す黒すぐり。
「あなたの大量の火薬は、人々に夢を与える花火の製造に役立てて下さい」
このチュイール城の城主のように、悪の泥沼にはまり込んで抜け出せずにいる輩の中には、むしろ「こちらの悪だくみに決着をつけ、さっさと救って欲しいものだ」と密かに期待する者すら現れる始末だった。
花火が再び上がった。それは黒すぐりがもたらす平和を象徴していた。荘厳な和音が響きわたる中、満ち足りた幸福に包まれ、純真な笑顔で花火を見上げる人々。
静寂が訪れたとき、黒すぐりの姿は消えていた。
彼は馬に乗って駆けていた。月明かりの下、丘を超え果樹園を抜け、大平原をひた走る。母親が腕を広げて我が子を迎えるように、大地が彼とその愛馬に正しい路を開いていく。風は優しい追い風となり、自然の完全な呼吸のリズムに乗った彼らに休息は必要なかった。
やがて空は徐々に青みを帯び、星がひとつ、またひとつ、彼へ別れのあいさつを贈りながら消えていく。東の空が見事な薔薇色に染まり朝日が昇る頃になって、ようやく馴染みの土地が見えてきた。
森に入ると、心地よいクリスタルの響きを伴った涼しげな川のせせらぎが聞こえてきた。歩みを徐々にゆるめていく。黒すぐりは馬を岸辺へ導き、朝日がきらめく中で一緒に喉を潤した。
お菓子の精は例によって、どうぞどうぞと甘いブリオッシュなぞをそこいらの木にふんわり実らせるが、今の彼らにとっては涼水こそが何にも変えがたいご馳走であった。
「ありがとうフロレスタン。少しお休み」
愛馬をそっとなでながら、馬具を外してやる。 自由になったフロレスタンはヒヒン! と嬉しそうにいななき、森の奥に駆けていった。
黒すぐりは木陰に腰を下ろし、やれやれと思いきり伸びをしながら帽子を放り投げた。そして目もとのマスクに手をかけ、外そうと──
「お目覚めの時間でございます。マドレーヌさま」
彼はマスクを外そうと……、外そうと!? ……
5.「王子ジャンドゥヤ」 に 続く……