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流産してから、12日間の日々のこと

妊娠検査薬で陽性が出てから、今日で1カ月と2日。「ああ、これから親になる人生が始まるのか」その日の日記を読むと、こう書いてある。

流産してから12日。おなかにもう子供はいない。親になる人生は、一旦保留になった。つらいけど、忘れないほうが良いと思うので、備忘録として今日までの記録を残しておく。すごく長くなるかもしれないけど、覚えておきたいので書きます。


●妊娠中のこと

よく言われるような吐き気を伴うひどいつわりはなかったけど、ずっと車酔いのような感覚、チョコレートに興味がなくなってさっぱりしたものが食べたくなった。胸が張っていた。自分の体が変化していくのが興味深かった。
旦那さんにものを頼むときは、「私はよいんだけど、おなかの子がアイス食べたいって言ってる~」なんて言ってふざけてた。上司にも心拍確認後に報告して、よかったねえって言ってもらった。
正直、10年ひたすら働き続けてた会社を年内にはいったん離れられるのか、ずっと担当してた年末のコンペも誰かに引き継がなきゃな、って思ったときすごくほっとして、やっと息がつけるような、そんな感覚になったのを覚えてる。

6センチほどの子宮筋腫があったこともあり、病院や分娩方法に関してはめちゃくちゃ検索していた。6週目の内診後から出血が続いてたけど、「よくあることですよ」と言われて、あまり心配しすぎないようにしていた。

●流産前日

家のとなりにすごくおいしい料理屋さんがある。引っ越し初日から2年間、夫婦でよく通って、店主とも仲良くなって、初めての「お得意さん」になっていた店だ。音楽が好きな店主で、旦那さんはよく一緒に演奏したりもしてた。
その店主が急に亡くなったという知らせがあった。53歳。
とても死にそうにない人だったので驚いた。人は本当に急にいなくなるのだ、ということを痛感した。生まれる命があれば、なくなる命もある、などと、彼のお通夜で静かに考えていた。お通夜から帰ってきて、おなかが張って寝ていた。
その夜の夜中に異変が起きた。

●流産当日(金曜日)

夜中3時ころ、ふと目が覚めた。特におなかの激痛はなかった。なんとなしにトイレに行くと、びっくりするほどの出血と血の塊。よく見るとはいていた紺色のパジャマも血だらけだった。直観的に あ、やばいなと思ったが、妙に冷静だった気がする。
旦那さんを起こして、タクシーを呼んでもらっている途中に歯を磨いていたら、かつてないくらいの量の血が出る感覚があり、あ、いよいよやばいなと洗面所に座り込んだ。トイレに行くと、これはきっと胎嚢だろう、と思う半透明の袋が出ていた。絶望、諦め、パニック、どの言葉もしっくりこないあの時の気持ちと、その塊をティッシュにくるんでみているときの気持ちは今でも鮮明に覚えている。

タクシーの運転手はただならぬ事態に狼狽していて、あまり見たことない病院の裏手で降ろされた。その間中、まだどこかで自分の赤ちゃんは大丈夫なのでは?という思いがあった。もちろん15%の確率で流産があることは知っていた、でもなんだかんだで、これまで運よく生きてきた私には、そんな悲しいことは起こらないんじゃないかって。

真夜中の病院で血圧を測り、ほぼ血しか出ない尿検査をして、内診。いつもはエコーの画面を見せてもらえるのにその日はずっとカーテン閉じたままで、いやな予感がしていた。お医者さんに、「たぶん、、さっき出た袋が赤ちゃんで、流産となると思います。もう赤ちゃんいなくなってしまってますね」って言われたとき見てた天井の模様と、そのときの絶望感、いやな予感が確定してしまって体がしびれたような感じを覚えてる。

しっかり者みたいな感じで、おそらく完全流産であること、薬で子宮をもとのサイズに戻していくこと、次の妊娠は子宮筋腫を取ってからにするか相談が必要なこと、などの話を聞いていたけど、途中で涙が出て出て困った。こんな時自分はとっさにかっこつけてしまうんだと知った。
病院を出ると空が明るかった。旦那さんが横でうなだれてて、なんだか気まずかった。家に帰るまで、蚊に刺された話なんかをして、あまり感情的にならないようにすごくすごく気を付けていたのを覚えてる。

家について、この件に触れないように淡々としていたけど、ふいに気持ちが抑えられなくなって、乱暴に旦那さんの服を引っ張って抱き着いて、大泣きした。こんなに暴力的な悲しみが襲ってきたのって初めてだったかもしれない。声を上げて、しゃくりあげて泣くのなんて本当に久しぶりだった。旦那さんも一緒に泣いていた。
嗚咽がおさまったあとも、ずっとあとからあとから涙があふれてきて、ティッシュ箱まるごと空にした。正直とまどった。だって私が妊娠を自覚してた時期って、たったの3週間くらいだ。理屈ではなぜこんなに涙がでるのかわからない、脳で「悲しい」「くやしい」って思う前に、自動的に涙が出るのだ。

こうして短い妊娠生活は終わった。


●翌日(土曜日)

ひたすら流産体験の体験談を読んだ。7人に1人、と言われるだけあって、流産したことある人はこんなにいるんだと驚いた。色々な悲しみや、気持ちの整理のつけ方があった。「今回は忘れものを取りに帰ったんだよ」「体を大事にするんだよ、と教えに来てくれた」など、普段なら気休めに見えるような考え方にもすごく救われた。
あと、今回流産の原因かもしれないといわれた、子宮筋腫のことをひたすら調べた。何かを調べていないと落ち着かなかった。

日記を書いて、気持ちを吐き出しもした。妊娠中は、「すごい嬉しい!」「やったー!」みたいに大手を振って喜べてなくて、心配の方が強かったんだけど、こうやって自分の気持ちをみつめてみると 子どもができてうれしかったんだな、自分は子どもが欲しいんだな、ってことが、わかった。

この日は土曜日だったが、月曜に大事なプレゼンがあったので、その提案書を寝ながら作った。仕事をしているときは、不思議と仕事のことだけを考えていられて、仕事があってよかったな、って思った。

●2日後(日曜日)

起きたら気持ちがいくぶんかすっきりしていた。旦那さんが起きるまえに、これまで我慢してたもの食べよ、って思って2人ぶんのお寿司をとった。
流産はまだ触れちゃダメな傷口、って感じで、できるだけ考えないで過ごす。
ひたすら、録りためてたロンドンハーツを2人で観た。普段そんなに興味をもたないような落とし穴とか、三四郎の小宮がモデルハウスでおうちロケをやるドッキリとか、そういうものをひたすら過ごして意識的に笑った。「喜怒哀楽」の、「楽」にひたすら感情のベクトルを向けて、「哀」とか「怒」とかに決して触れないように必死だったように思う。こんな時も強制的に笑顔にしてくれるエンタメに、心底感謝した。

上司に、流産の報告をした。「フォローするから無理しないで」って優しいメールが来て、また泣いた。

とはいえ月曜の提案は自分がやらないとどうしようもない。プレゼンの原稿をつくって、練習までしっかりして寝た。


●3日~6日後 翌週の仕事

月曜は、在宅でのプレゼンにしてもらった。しっかり明るく話せたと思う。無事受注することができた。

そこから、糸が切れたように、動けなくなった。

子宮の収縮が遅れてはじまったのか、生理痛を5倍くらいにした痛みで、夜も眠れなかった。処方されたカロナールも効かず、ロキソニンをガンガン飲んだ。もうどの薬をのんでもよいことが悲しかった。

だるいし痛いしで、火曜から金曜は休み休み在宅で仕事をしながら、ヨギボーでぐったりしていた。何をする気力もなく、ひたすらに眠かった。
旦那さんがこれでもかとゼリーやプリンを買ってきてくれていたけど、大げさに喜ぶ元気もない。流産直後の「集中できて気がまぎれる仕事があってよかった」とはもう思えず(直後はある種のハイだったのかもしれない)、企画やデザインラフなど、何かを考えることがひどくおっくうになった。

こんなにひどい体調になるのなら、すべてを放り投げてまるっとほかの人に任せるべきだったのだ。でも、知っているのはごく一部の上司で、その上司だってとても忙しく、「無理をするな」とは言ってくれるものの「すべてを請け負う」とは言ってくれない。本当に気力が落ちている時期は、「これとこれを、こういう段取りでやっておいてください」という振り分けすらできない。後輩に任せたデザインディレクションも、クライアントに出せるレベルには及ばず、結局自分でかなり手を入れてやぶれかぶれ。。今思うと中途半端だったなと反省する。
こんな緊急事態のときくらい、半端な責任感とかプライドとか捨てて、提案まで100%任せてしまえばよかったのに。

重要な仕事以外は、横たわってスマホで、子どもやワーママが出てこない漫画を読んだ。テレビも本も見る気力がなかったけど、漫画だけは読めた。はらはらする恋愛モノとか、婚活モノとか料理とかエロいのとか。
インスタは、妊娠中さんざんフォローした赤ちゃん関連の投稿であふれていて、危なかった。自分で集めた子育ての漫画やコンテンツにうっかりふれてはケガするようなことがたくさんあった。もちろん誰も悪くない、いまも赤ちゃんはかわいい。でも傷がかさぶたになるまでは、反射的に避けてしまう。

でも、赤ちゃんを失って悲しい、という感傷以上に、それを超えて具合が悪い日々だった。健康じゃないと、しっかり悲しむ体力すらない。


●一週間後(次の土日)

やっとの思いで、週末。ここでしっかり回復して、さすがに月曜からは仕事にちゃんと戻らないと…とプレッシャーのなか過ごした。土曜日夕方になって、少し体調が戻ってきた気がして、近所の焼肉屋さんに行ってみたところ、すぐにふらふらに。これまでの半分くらいしか食べられない。まだ焼肉は早かったみたいだ。

日曜は、自分の回復度を試すために近所のショッピングモールに。サンダルを買って、またふらふらで帰ってきてヨギボーで寝ていたら金縛りにあってぐったりして起きた。まだ本調子ではないよう。
でも、【シンプルフェイバー】という映画をみてちゃんと楽しめたので、進歩だろう。映画を観るのも、心身が健康じゃないとままならない。意外と集中力がいるのだ。
あとはまた、ひたすらヨギボーで東京タラレバ娘を読む。自分がこんな風に気が合うパートナーと巡り会えた奇跡を思う。生きてればいいことも悪いこともある、悲劇のヒロインになるのはやめようって思った。

翌日からの仕事を思うと、追い詰められた気持ちになった。できることを背伸びをせず、淡々とこなそうと自分に言い聞かせながら眠る。

●8~10日後(翌々週の仕事)

流産してから2回目の月曜日、在宅で仕事をした。もう1週間たっているから通常運転にもどさなきゃ、と思うけれどなかなか気力がわかなくて、気持ちが追い付かない。
先週は朦朧としていたが、冷静になると各種仕事の進捗が気がかりで焦る。

事情を知っている上司に電話をして確認すると、「それはやってないよ。」「何?」など想像しているよりもドライなトーンで、打ちのめされる。
無理するなと言っておいて、仕事が進んでなければ未来の私がつらいだけじゃないか、私のいたわり期間はもう終わったんだなどと感じて、ふてくされたい気持ちになる。
今冷静になると、まあ、私に何があったって忙しい日常はそれぞれに続いていて、フォローすることはしてくれていて、大変ななかで仕事をこなしているんだから、私にばかりかまっていられないだろう。でもその時はそうは思えず、非情な世の中であるなあと失望して泣いていた。
ちょうど子どもが3人いる先輩から連絡がきていて、打ち明けたら優しいメールがきて、いよいよ本格的に泣けた。やっぱり同じ性の人からのなぐさめは、より温度がある感じがして、よりつらさをわかってもらってる感じがして。

火曜日は久しぶりの出勤だった。行ってしまえば変わりなく仕事はできた。
前日にメールをくれていた先輩が、「大丈夫?」と言ってくれて席で涙があふれて、気づかれないようにごまかすのが大変だった。不意のやさしさは危険すぎる、まだまだかさぶたは薄い。

その日は、前の週に後輩に任せていたデザインの提案だった。それを見て先方の担当者にさんざんダメだしをされた。2人の年上担当者のダメ出しはヒートアップして、楽しそうですらあった。「ださい」「こんなのブラッシュアップじゃない」「ちゃんと聞いていますか?」など、手厳しい評価をいただいた。
大げさだがタコ殴りにされた気分だった。こちらがしっかりしたクオリティに持っていけなかったのが悪い、わかっているけど消耗しきって、この案件をもう降りたい、仕事をやめたい、無理無理、とばかり考えていた。
たかが仕事で否定されただけなのに、自分自身のセンスや能力やその他すべて、すべてを否定された気分になる。もともとその気質はあるが、病み上がりでダメージも大きかった。
会社のトイレで泣きながら、自分の仕事のしかた、今後どうやって生きていこうなど、思考は深い沼に落ちていった。

仕事を始めて10年、始めは否定されてされて、頑張って頑張って、正直もう疲れ切っていた、それは薄々感じていた。妊娠がわかって、一回リセットできると思って、逃げかもしれないが心底ほっとした、でもそれがまた断ち切られて、一度緩んだ気持ちを立て直してもう一度立ち上がることがすごく難しく思えた。

帰宅してからは、やめたいやめたいと旦那さんに甘えた。カンパニーメンという映画を観て、急に大企業の社員たちがリストラされて再起する話なのだけど、すこし気持ちが上向いた。仕事は仕事で、人生じゃない。

水曜日は在宅。確実に体調は良くなってきている。ボーナスが入っていて、少し気持ちが元気になった自分を現金な奴だなと思う。
ダメだしされた案のブラッシュアップを、必死になって考える。具体的なアイデアを出していったら、前日の絶望的な気持ちは薄くなっていった。仕事での落ち込みは、仕事に向き合って上書きするしかないんだな。

色んな人のnoteを読んで、すごく好きなヤチナツさんという人の漫画のかわいい登場人物たちが昨日の出来事を語ってる姿を想像した。「こんな風にダメだしされちゃって落ち込んだよー」「あー、あるある」「また頑張るかー」なんて、勝手にしゃべらせて。客観的にその様子を想像すると、31歳女が仕事でダメだしされて凹むなんて、超絶よくあることで愛すべき日常のひとコマなのだった。
ずっとうじうじしてないで、もっとデザインの勉強をしよう、と思って、いろんなサイトを見て、デザイン本をぽちった。

夜は旦那さんと近くのイタリアンに行って、こじゃれた料理を食べて、世にもおいしいカシスビールを飲んだ。お母さんじゃない私に帰ってきたのだ、と思った。


そして今日は、やっと、かなり本調子。旦那さんと昨日買ったパンを食べて、録画してたロンハーの芸人取扱書を見て、ゆっくりゴロゴロしている。色々あった12日をやっと振り返れる心境になり、長文の日記を書いていたらこんな時間。

完全に元気になることってないし、別にそれは妊娠しててもしてなくても同じだし、なるべく「今」に焦点あててその時の感情をめいっぱい感じて、お気に入りの時間をご機嫌で過ごせるよう努めよう、それしかできることはない。
今回のことがあって痛感したけれど、すごく悲しいことがあっても、人が死んでしまっても、それぞれの日常は続いて行って、ご飯はおいしいしテレビは面白いし、輪をかけて嫌なことだってあるし、お金が振り込まれてればうれしい。
「この先ずっとこうだったら…」とか「これまでの我慢してた期間が無駄に…」とか、鬱々としだすときって、どうにもできない未来とか過去とかにとらわれすぎてて、無駄だ。

また赤ちゃんが来てくれるかはわからないけど、それまでの日々が「赤ちゃん待ち期間」になるとジリジリしてきっとつらいから、今できることを楽しみたいな。ダイエットして好きな体になったり、かわいい服を着たり、デザインを勉強したり。

でもできたら、いや、本当に是非、また私のところに来てほしいと思う。そしたらまた、その子との瞬間瞬間を大事にして、泣いたり笑ったり楽しんで、一緒に生きていきたいな。来てね。


長い備忘録は以上です。



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