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[漫画&ブログ] オッサンのうつ病漫画 第15話 ~うつバトル in 2025~


今回は、ブログで何度か書いた事を漫画にしました。うつや不眠になってしまったのはネガティブな事ですが、それをポジティブに変える、具体的には漫画のネタにするという事ですね。そしてそれを見た人が、「私も自分ネタで何かやってみよう」となったら、よりポジティブな輪が広がるな~という内容です。自分のグッと我慢してきた考えを、構成とか言葉選びを気にせずノートに書き出すのは、カウンセリングでもよく勧められる取り組みです。特に日本人、さらに我々現代人は、自分の考えている事は基本的に我慢しなくてはいけませんよね。なので、自分のネガティブな経験を外に出す事は、誰の心にとっても良い影響があると思います。以前に描いた漫画の勧めも、同じテーマでした。

このnoteも、そういう意味合いで使っている人が多いと思います。適当に誰かのアカウントをクリックして、一番初めの記事を見るとだいたい「自己紹介」と「なぜnoteを始めたか」について書かれていて、その始めた理由は、自分の考えている事を発信したいというものが多いです。

それと同時に、「自分の考えを発信するのには勇気がいる(けど思い切って始めました)」的な事が書かれている事も多いです。たぶんそれって、自分の考えを書くのが恥ずかしい、もしくは何か変な風に思われたり批判のコメントをされたりしたら嫌だという事なんだと思います。それもまた、↑↑で書いた「我々現代人は、自分の考えている事は基本的に我慢しなくてはいけません」とつながっていますよね。現代は本当に「つっこみ文化」だと思うんです。ネットに関して言えば、変な発言をすれば炎上して「つっこみ」のコメントが山ほど来る事があります。それは現代は真っ白いシャツみたいな社会なので、そこにちょっとでもポタっと食べこぼしがつくと、「ああーっ!!」と、反応が来るわけです。私も今までに、たまーに変なコメントが来ました。私は日本語と英語で漫画を公開していて、来るコメントやDMは英語の方が多いです。けれども、そういうコメントは日本語でしか来た事がないので、つっこみ文化は日本特有なんだろうなと思います。

私はあまりネットをやらないので、そういうコメントはあまり気になりませんが、ネットをよく使う人にとってはとても嫌な事だと思います。自分が親しんでいるフィールドで変な事を言われちゃうわけですもんね。そりゃ自分の考えを発信するのに勇気がいるようになります。

さらに現代って「自虐ネタ」があまり無い時代ですよね。私の世代は自虐ネタ全盛の世代だったので、自分をネタにして何か別の物を作る(笑いにしたり作品にしたり)事が結構ありふれていました。「杉村くん」の漫画に関しても、以前の担当編集者に「あまりご自身を卑下する展開はちょっと…」と困らせてしまいましたし、今の担当編集者も「ちょっと自己憐憫な感じがしてちょっと…」(自己憐憫とは、「私ってかわいそうでしょ!」をアピールする事です)と、申し訳なさそうに修正をお願いされた事があります。どちらも気の優しい方ですので、すごく気を使いながら言ってくれるんですよね。それだけに、今は神経を使う時代なんだろうなーと思います。昔は編集者はもっと砕けた感じというか、雑な人も多かったです。

自虐ネタが出来るという事は自分の裸をネタに出来る、つまりは自分にある程度の自信が備わっている事の裏返しなのですが、現代では自虐がそのまま、本当に自分を虐げて「自分なんてだめな人です」と言っていると理解されてしまう、つまり逆から見れば、本当に「自分はだめ人間です」と思っている人が増えた証拠でもあると思うんです。

その原因はやっぱり、社会が真っ白いシャツになったからだと思うんです。真っ白だから食べこぼしに常に気を付けていないといけませんし、うっかり食べこぼしちゃったらすぐ「ああーっ!!」と言われてしまうのです。そりゃ「自分はだめです」の人が増えちゃいますよね。そういう流れが世の中全体にうすーく存在していて、自分の考えを言いづらくなってしまっているのではないでしょうか。今から言う事はたべこぼし的な事なんじゃないか、「ああーっ!!」って言われちゃうんじゃないか、という思考パターンです。

https://note.com/yuki1192/n/n2d4dd86c7b77?magazine_key=m83ac0d58f5d0

なので、あんまりそういう事を気にしない変なおじさんが自分ネタ漫画を、恥知らず全開で公開する事には色んな方向で意味があるんじゃないかと思うんです。別に食べこぼしたっていいじゃんという事ですね。コメントで「はよ死ね」とか来たら「お前が死ねゴミ」とか返したっていいわけです。ちなみに今の「変なおじさん」とか「恥知らず」という単語も、自虐ネタの一種です。本当は恥ずかしい事だとは思っていないのですが、あえて「いやーほんと自分って恥知らずだよねーアッハッハ」と言うような感じです。それってまあ実際本当に恥知らずに裸踊りをしているようなものなのですが、裸ってみんなそれぞれ違うから、そのほうがユニークな表現ができるのです。

そしてそのユニークのかいあって、去年は念願のプロデビューができました。編集者の読み終わった一声は「ものすごく揺さぶられました」でした。ユニークな裸でユニークな踊りを踊ったので、「なななんだこれは!」と心に刺さったという事ですね。

https://note.com/yuki1192/n/n95b6aca7b81d?magazine_key=m0b7b30a5d458


でも実は秋くらいから、うつが再発もしてきちゃったんです。なのでブログや漫画もなんだかどんよりしたものが多くなりました。でもこれもまた、裸踊りなのです。ガリガリにやせちゃったけど、そのダルシムダンスもまあユニークはユニークというわけです。そんなふうに、ネガティブな事も形に残しておけば、ちょっとポジティブなとらえ方ができるようになるのです。せっかく自分が一生けんめい悩んでいた事ですもんね、残しておいたほうが自分の深層心理も喜ぶと思うんです。

今年もまた引き続き裸で踊って、良いめぐり合わせがあって、あと連載も早く始まればいいなと思っています。連載用に提出したネームはOKっぽいのですが、載せるまでにはいろいろタイミングとかがあるようです。今年もぜひ漫画を楽しみにしていてくださいね。

[おまけ]
私が自分のうつ病を自虐ネタにするのは、実は桜玉吉先生という漫画家の影響が大きいのです。私はこの漫画でうつ病という病気を始めて知りました。

もともとはファミコン通信(ゲーム雑誌)でギャグ漫画を描いていた漫画家で、私は小学生の頃から、「なんかコロコロともジャンプとも違う…なんだこのノリは!」と、お気に入りの漫画家だったのです。今思えばあの頃、1980年代~1990年代ってサブカル全盛期だったんですよね。筋肉少女帯、電気グルーヴ、パンク、ハードコア、おたく、GON!(実話ナックルズの前身の雑誌)など、文化系メインの怪しげな文化がありました。抑圧もしくは悪ふざけが大きなカギだったと思います。そこにはまる青年の多くは抑圧を抱えていて、時にその発散の仕方が悪ふざけ的なものになる事もあったというか。

小学生にそれらは早すぎて何だか怖いものでしたが、そのライト版がファミコン通信だった印象です。大槻ケンヂ(筋肉少女帯のボーカル)も連載を持っていましたしね。なのでそこで連載されていた桜玉吉先生の漫画も、メジャーなコロコロやジャンプとは全然違う、サブカル的なユニークさがあったんですよね。つまり、私もまた、おじさんの裸踊りに影響を受けた若者だったわけです。


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