[漫画&ブログ] 杉村くん 第21話 ~たばこくん~
今回の漫画は、連載用に作っていたネーム(簡単な下書きのようなもの)を完成させました。杉村くんが不良グループに入るきっかけの話があったほうがいいよね~と思って作っていたネームだったのですが、いまいちエモい感じにならなくて、一回完成させればいい感じに仕上がるかなと思ったわけです。こんなふうに、文字でネームの原型を作っていました。
エモい感じとは、読んでいてグっとくる感じの事です。そうならないネームって大抵は、自分自身がそのストーリーに没入していない事が原因なんですよね。エモ=感情なので、ストーリーに没入して自分の深~い感情をせりふや絵に込めれば、自然とエモくて読んだ人もグッとくるようなネームが出来上がります。そして没入していない原因は、いろいろあるのですが、今回の場合は、せりふや話の展開をこねくり回しすぎて「頭で考え過ぎ」の状態になってしまった事です。エモ=感情であって、エモ=思考ではないんですよね。没入は漫画の内側に入る事ですが、思考とは漫画を外側から見る事で、全く逆の作業なんです。
頭で「こうすれば面白くなるかな?」と考えて作ったネームってあんまり面白くない事が多くて、面白くしようという考えを無視してその時強力に持っている感情を「ウオアー!」という感じでネームにすると、エモいものが出来上がります。私が時々描いているような、子供がいなくて悲しいとか、妻ちゃんの毒家族が憎いとか、いつか両親も妻ちゃんも友達も死んじゃうし自分の人生の終盤では大好きな実家もお墓も処分してこの世界に愛する彼らがいた記憶を消してから一人で死んでいく事に絶望するとかをテーマにした漫画は、エモくなってて読んでくれた人もグッときていると思います。
ところで、プロを目指す過程で必ず発生するのが、編集者との打ち合わせです。1つのネームに対して、漫画家と編集者でこうしようああしようと話し合いのような事をするのです。漫画にはエモ(感情)が必要ですが、それを「誌面に載せる=お金が発生する商品に仕上げる」ためには、ある程度それを読者にわかりやすく仕上げる必要があって、それに向けて編集者が「こうするといいよ」とお手伝いをしてくれるわけですね。けれどもこの編集者の「こうするといいよ」は思考の作業なわけです。つまり、エモ=感情で作ったネームを、思考で修正しなくてはいけないのです。そして、思考で修正しすぎると「頭で考え過ぎ」になって、エモさが消えてしまって、ネームも面白くなくなってしまうのです。そこでくじけてしまう漫画家志望者は非常に多いです。…というかくじけのほぼ全てはそこだと思います。私も20代の頃は、いくら編集者と打ち合わせをしても、何なら全部編集者のアドバイス通りに直しても、全然誌面に載る事が無かったので、完全に行き詰っていました。思考の割合が増えすぎて、一番大事なエモが消えてしまい、デビューできない原稿を量産してしまっていたんですよね。
そうしていくうちに、私の内面でエア編集者が現れるようになりました。30代に入ってからです。まずエモ(感情)で「ウオアー!」とネームを作ります。次にエア編集者が「こうするといいよ」と脳内でアドバイス(思考)をします。すると感情と思考をいいバランスに取り入れたネームが出来るんじゃないかという事です。リアル編集者の思考って、結局は自分ではない人間の思考なので、ピッタリ自分の思考と合う事って少ないんですよね。ピッタリ合わない思考で修正するとエモは大幅に下がってしまうんです。なので、最初から自分の中のエア編集者の思考で修正をしておけば、リアル編集者の思考で修正の割合が減って、エモをキープできるんじゃないかと思ったのです。
…が、結局これも「頭で考え過ぎ」のネームになってしまっていました。なぜなら感情は一瞬ですが、思考はいくらでも続ける事ができるからです。自分の思考でネームを修正すればするほど、最初の感情が薄まってしまって、「あれ?最初のウオアー!ってどんな気持ちだったっけ?」となってしまうのです。
今回の漫画のネームもそれと似ていて、最初はエモで「ウオアー!」と作っていたはずなのですが、その次の「さてこれを思考で修正していこう、だって連載用のネームだもんね」の段階で修正しすぎて、「頭で考え過ぎ」の状態、つまり「あれ?最初のウオアー!ってどんな気持ちだったっけ?」となってしまったのです。すっかり没入感が無くなって、ずっと外側から漫画を見ている状態になってしまったんですよね。なので、一回原稿を完成させる事で、強制的に自分をこのお話に没入させてみようと思ったのです。
その結果、まあまあエモもある感じに仕上がったと思います。本当は、ちょっとしたテクニックとして、個人的なお話にしたほうがエモ感は上がるんです。例えば登場キャラを杉村くんと比留間さんだけにして、二人の心の交流だけでお話を進めたほうがエモ感が増す、という具合です。でも今回のお話は、「不良グループに入る」というテーマが大前提にあるので、他のキャラもちょっと出してグループ感を表現しないとな、という事で、ちょっとだけ他のキャラも登場させました(こういう作業が、エア編集者による思考で修正の部分です)。それによってエモ感はちょっと下がってしまったと思います。
今回の原稿をプロトタイプにして、そのうち編集者に提出して、修正版を連載用の原稿として使うつもりです。漫画を描く作業だけなら、エモのみで作れば良いのです。このnoteに載せている漫画も最初はそういうスタンスで作っていました。それが数年前に漫画賞をもらって当時の編集者と打ち合わせが始まった時、久しぶりに私の中のエア編集者が起き上がりました。それ以降、漫画の描き方も少し変わりました。考え過ぎてしまい自分的に面白くない漫画に仕上がる事も増えました。その後、去年はヤングキングに持ち込みをして、現在の編集者と打ち合わせをしながら連載用のネームを作っていました。やっている事は完全に20代の頃と一緒です。…が、エモのみで漫画を描いてnoteに載せるという作業を何年も繰り返していたおかげで、エモをキープし続けながら編集者の思考も取り入れられるようになった気がします。こういう試行錯誤と、自分が昔と比べて変わった事を実感する営みは、本当に面白いです。色々過去には悔しい思いもしましたが、それが全部自分の成長につながっていたという事ですもんね。これは漫画に限らず、人生の営み全てに言える事でもあると思います。色々けがをして練習したからこそ、逆上がりができるようになったというような事です。そういう生き方をしていれば、最初に書いたような何だか悲しい自分の人生の終盤に対しても、うまく対処できるような人間になれるのかもしれません。その時も今と変わらず、漫画やこういうブログを描けているといいなと思います。
最後に、今回の漫画は、以前に描いた↓↓の漫画を元に作りました。杉村くんは実際にあった事と創作を合体させて描いています。
現代は色々厳しくて求められるハードルが高い傾向があります。逆に昔はゆるくて適当でも大丈夫な傾向がありました。これは間違いないです。でも我々人間の性能は昔も今も一緒です。なので、現代のほうが色々な場面で無理をさせられていると思います。例えるなら我々はファミコンで、昔はファミコンのソフトを動かしていればそれでOKでした。でも今は無理してプレステのソフトを動かさなくてはいけない時代です。それが心を病む人が増えてしまった原因だと思っています。今の時代で30点認定されてしまう人でも、昔だったら80点認定されてたという事は結構あると思っています。
「杉村くん」は、昔のゆるい時代の、さらにレベルの低い人達の話です。主人公杉村くんはもちろん私です。私がもし今の時代に産まれていたら、学校にも働きにも行けない引きこもりになっていたと思います。昔のゆるい時代ですら落ちこぼれていた人間ですからね。でもそんな私が今無事なのは、こういう不良グループ、落ちこぼれの受け皿があったからです。簡単に居場所を見つけられたのです。たばこを吸ってるだけで「こっち側」と仲間認定してもらえる場所、300円くらい+100円ライターだけで良かったのですから。
杉村くんを描き始めたのは、そんな出来の悪い私が現代に暮らす中で生きづらさを感じ始め、「あれ?最近俺ムリしてプレステのソフトを動かしてないか?」と気づく機会が増え、ファミコンソフトを動かしていればOKだった時代を思い出したかったからです。思い出して、自分は自分で良いと再確認したかったのです。だから、読んでくれているあなたも、あなたのままでいいと思います。仕事が大変とか、無理しすぎて体調が悪いとか、避けようのない事実は置いておいて、少なくとも一人の人間としては愛すべき/愛されるべき存在だと思います。そういうメッセージを、エモだけで描くのではなく、かと言って頭で考え過ぎにならない程度に込めていくのが、これからの「杉村くん」の目標です。
[おまけ]
最後のページの、登場キャラたちの過去を暗示させるコマは、以前に描いた以下の漫画が元になっています。
岸くんは、教育虐待をテーマに、
若槻さんは、放置子をテーマに、
鬼塚くんは、一度の失敗で全部がだめになってしまう、子供時代のデリケートさをテーマにしています。
比留間さんのみ、過去の話はこれまでに描いていなくて、連載用に提出したネームの中で登場します。次また雑誌に掲載される時まで楽しみにしていてください。ちなみに、このnoteに載せた今回の漫画は、最後をちょっと描き直しました。ぜひ描き直す前のバージョンと読み比べてみてください。