先生から「社会科学を学ぶなら必読です!」と言われた日に急いで買った本
本との出会い
僕は大学で主に社会科学を学んできました。社会科学というのは、
のことで、代表的な学問分野は政治学、政策科学、経営学、法学、経済学、社会学です。
僕はこれらの中でも、政治学、経済学を中心に学んできました。(それらに加えて法学、統計学、歴史学、美術史、科学技術論、異文化コミュニケーション論、教育学など面白そうなものも手当たり次第勉強しました。)
前置きが長くなってしまいましたが、ある日の経済学の授業で先生から、「社会科学を学ぶ人にとってこの本は必読書です」と紹介された本がありました。
それが内田義彦の『読書と社会科学』という岩波新書から出ている本です。
どんな本かといえば、筆者なりの読書に対する考え方、本の読み方などを説明した本です。また、タイトルにもあるように読書を通じて社会科学をどのように学んだら良いかについても書かれています。
読書論の本はたくさんありますが、それらの中でも古典に位置づけられ、なおかつ評価のとても高い本と言えるでしょう。
真の読書
そんな読書論の本ですが、結構良いこと言ってるし重要だよな、と読んで思った記憶があります。
例えば冒頭にはこんなことを言っています。
引用が長くなってしまいすみません。でもこの部分に筆者の読書論が端的に表れているようで、引用しました。ちなみに話し言葉になっているのは、内田さんがとある読書会に呼ばれて、そこで話したことを書き起こしてあるからです。
本題に戻って、上記の引用だけでは少し分かりづらいので、ヒントを得たいと思います。
これはこの本の説明文です。これを読むことで引用も少しは理解しやすくなるのではないかと思います。
ウェーバーについて詳しく知るだけじゃなくて、ウェーバーのような考え方を身につけて、それを通して物事を観察することが真の読書だ、と僕は解釈しました。考え方を説明文では概念と言い換えています。(ウェーバーというのは、ドイツの社会学者であるマックス・ウェーバーのことです。彼の著作である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は大変名著で、こちらも社会科学を学ぶなら必読と言われています。)
社会科学者である筆者なりの読書論ではないでしょうか。
確かに僕のこれまでの読書を振り返ってみると、考え方を身につけるより知識を身につける方が多かったです。もちろんその読書が悪いということではありません。しかしどうせ読むなら、知識だけでなく考え方(概念)も身につけて、それを通して世界を見てみたいと感じました。
本に読まれるな
その後に僕がドキッとした文章がありました。
振り返ると本に読まれてるときはあるな、と思い当たることが多々あります。しかしまだ感覚レベルで、きちんと言語化できないのがもどかしいのですが、、
これとよく似た表現で、「酒を飲んでも飲まれるな」というものがあります。これは、酒を飲み過ぎたことで、自分をコントロールできなくなることの慣用表現です。
この慣用表現を本に適用したと仮定して考えてみます。そうすると、本に読まれるというのは、たくさんの本を読んだことでかえって自分の中に何も残らなかった状態。あるいは、本から大量の知識を得たけれど、その知識を自分で全く扱いきれていない状態、と言えるでしょうか。
思い返すと、本を読んでも結局何も残らず、ただ「面白かった」「つまらなかった」の一言で終わってしまうことがありました。おそらくこれは、本に読まれている状態なんだと思います。
そうではなく内田さんの言うところの「本を読む」ようにしたいのですが、かなり難しいというのが率直な感想です。
自前の概念装置ならぬ読書論
冒頭に少し書きましたが、世の中には読書論の本がたくさんあります。人によって同じようなこと言っていると思えば、全く違うことを言っていたりします。
十人十色の読書論を読むと、じゃあどうしたら良いんだと感じることがあります。そうではなく、そうした異なる意見があることも承知の上で、自分なりの読書論を作り上げることが重要なのかなと思いました。
しかし、すぐにパッと作れるモノではなく、10年、20年という長い時間をかけてじっくりと作り上げていくものなんだと思います。
「本を読んでも読まれるな」を戒めの言葉として、自分なりの読書を追求していきたいですね。
本書は社会科学を想定して書かれていますが、社会科学系の人のみならず何かしらの気づきがあると思いますので、オススメです。