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当たり前の生活は当たり前にあり続ける

よく、人が亡くなった時に当たり前の生活を当たり前と思わないで欲しい。とか、周りの人を大切にして毎日を送って欲しい。とか言うじゃないですか。私もね、母を早くに亡くしてるから分からなくもないんですけど。

私はそんなことを考えて毎日を送って欲しくないと思ってます。あ、私はですからね。一個人の意見です。当たり前の生活は当たり前にあるから成り立って、大事な人は、周りにいるから大切になるんですよ。いつ何があるか分からないのは平等なわけで。その何があるか分からないことに対してフォーカスをあてて日常を送るのは違うと思うんですよね。当たり前の生活のあり方は人それぞれですし、人との距離感、関係のあり方は十人十色だと思うんです。もし、大切な人を失ったら。失ってから気づくのでは遅いという考えではなく、失うことによって自分にとってどれだけ大事で素敵な関係を築けてた人なのかを知ってそれを宝にして欲しいです。

私も未だに1人でショッピングをしてる時に同世代の女の子が母親と買い物をしてるのを見るとどことなく心寂しくなって、母が生きていたら私もあんな感じだったのかなぁと考えることはいくらでもあります。でも不幸とは思いません。そうやって私の中で母が日常にいるのは生きてる時も亡くなったあとも変わらないからです。亡くなって7年たった今もずっと一緒にいます。でなければふとした時に母との会話を思い浮かべることなんて出来ません。そんな生活が私は好きですし、今送っている日常も私の宝と思っています。


 きっと日常は日常でしかないと思うんです。