見出し画像

戦後、日本の公用語が英語になっていたらの世界線

戦後日本、英語が公用語になるかもそんなパラレルワールド

第二次世界大戦直後、日本は連合国軍(特にアメリカ)の統治下にありました。この時期、日本に一気に西洋の風が吹き込んだのは周知の事実。そして一部の議論の中で、「いっそのこと日本の公用語を英語にしてしまおう」という提案が浮上していたらしい。もしこの提案が採用されていたら日本はどんな姿になっていたのか?英語の勉強がシンドイ時に、そんな想像をしてみたり。


終戦直後の日本は、連合国軍(主にアメリカ軍)の占領下にあり、特に政治や教育制度、経済に至るまで、アメリカの影響が強く及んでいました。

占領期には、日本の再建と国際社会復帰のために英語教育が強化され、学校教育やビジネスシーンでの英語の重要性が再認識されました。この時期、日本国内では「日本語を捨てて英語を公用語にするべき」という意見も出ていたそうです。これを提案した著名な一人が、小説家で評論家の石川達三で、彼は「日本の社会や経済の発展のためには、国際共通語である英語を使うことが有効だ」という意見を持っていました。

しかし、実際には英語が日本の公用語になることはありませんでした。その理由としては、以下のような要因があったそうです。

  1. 文化的・歴史的背景:日本語は、長い歴史の中で文化や国民のアイデンティティに深く結びついており、言語を変えることは多くの日本人にとって受け入れがたいもの。

  2. 識字率の高さと国民の反発:戦前から日本には高い識字率があり、日本語での教育システムも整っていたため、公用語を英語に変える必要性は薄いとされました。また、日本語を守ろうとする国民の意識も強かったため、大規模な反対も予想されていた。

  3. 連合国の目的:アメリカをはじめとする連合国の目的は、日本を戦後の世界に統合することではなく、日本の経済や民主主義の再建を支援することだったため、言語を変えるという急進的な改革はそこまで強硬突破することは無い、という判断でしょうか?


英語化された日本の文化と生活

文化の根幹に日本語がある日本人にとって、英語が公用語になった場合の生活はかなり変化していたことでしょう。例えば、「俳句を英語で詠む」という文化的なチャレンジが始まっていたかもしれません。英語での5-7-5のリズムはなかなか難しいですが、「Haiku Poetry Festival」なるものが毎年開催されていたかもしれませんね。

また、学校での教育も英語がメインとなり、授業や試験もすべて英語で行われる訳で。歴史の授業では「the Meiji Restoration」のような表現で、国語の時間は「Japanese Language and Literature」といった具合に「日本語」が第二言語として科目の一つになっていたかもしれません。
作者の心情を答えなさいみたいな問題もなくなってたかも。


英語が公用語だと…意外と大変なことも

もちろん、英語が公用語になったことで、良い面ばかりではありません。文化のアイデンティティが崩れてしまう可能性も大いにあります。例えば、日本語の微妙なニュアンスや「おもてなし」の精神が英語でどれだけ伝わるか。日本語には「いただきます」「おつかれさま」など、日常の細やかな感謝や労いの表現が豊富です。これらの表現を英語でそのまま置き換えるのは難しく、文化的な違和感が残っていたかもしれません。

また、英語が公用語だったとしても、今度は逆に「本当の日本語」を学ぶ人たちが減少してしまう恐れも。漢字を勉強する学生たちはどこへ行ってしまうのでしょう?英語中心の教育の影響で、伝統的な日本文化の一部が失われていた可能性もありますね。英語が話せるなら日本語話す必要ないじゃん、と思う人もいるでしょうし。


英語が公用語の「実例」から学べること

日本がもし英語を公用語にしていたら…という話は「もしもの世界」ですが、実はこうした多言語文化を取り入れた国は世界中にあります。フィリピンでは英語が一つの公用語として機能し、インドでも英語は非常に重要な役割を果たしています。あと、ケニアとか、アフリカ諸国も英語が話せる割合が以外と多かったり。こうした国々を見ると、言語の違いが文化やアイデンティティにどのように影響を与えるか、そしてどのように共存していけるかがよく分かります。

フィリピンでは、タガログ語を中心としつつも、ビジネスや教育の場面では英語が幅広く使われています。インドでは英語は職場や高等教育の場で使用される一方で、日常生活では地域ごとの言語が主流です。このように、公用語としての英語は実際に機能していますが、それでも現地の文化や言語が残されているのが興味深いポイントです。みなさん産まれながらにバイリンガルなのです。


もし日本が英語を公用語にしていたら、日本とアメリカの関係も変わっていた?

「英語化された日本」は、アメリカや他の英語圏の国々との関係にも影響を与えたかもしれません。たとえば、日本の外交シーンでも英語での交渉や意思疎通がよりスムーズに行われ、ビジネスシーンでも世界のビジネスパーソンが日本に集まりやすくなっていた可能性があります。

また、日本における「グローバル人材」の定義も変わり、「日本語を話せる外国人」が希少な存在として注目されたことでしょう。英語圏の観光客も日本語に苦労せず旅行できるため、日本の観光産業もさらに発展し、異なる文化圏とのつながりもさらに強化されていたでしょう。

対等な関係性

英語が公用語になることの「良い点」と「悪い点」

このパラレル世界の未来には、良い点と悪い点があったかもしれません。メリットとしては、やはり国際社会との円滑なコミュニケーション。英語が自然に身についていることは、留学や国際会議、海外の取引などでの利便性を向上させるでしょう。

一方で、日本語の微妙なニュアンスや情緒を失う可能性もあります。たとえば「いただきます」や「お疲れ様」など、日本語ならではの温かさを持った言葉の意味が薄れるかもしれません。日本語独自の繊細な表現が失われるリスクがあり、文化のアイデンティティが薄れてしまうかも。英語という言語そのものが自己表現の言語なので、日本人の謙虚で周りの空気を読む性格すらも変わっていたかも?

「英語ニッポン」の未来があったなら

こうして「もしも戦後の日本で英語が公用語になっていたら…」という空想を巡らせてみると、英語と日本語が共存する面白い世界が浮かび上がります。日本語と英語が二つの柱として機能し、各自の文化的な特長が融合した、新しい「二言語国家ニッポン」が実現していたかもしれません。

結局、日本の公用語は日本語のままでしたが、英語を学ぶことの重要性はますます増しています。英語と日本語を共存させることにより、グローバル化が進む現代において、日本人の新しいアイデンティティが生まれつつあります。英語の「公用語化」という選択肢を避けたことで、日本人はそのままの文化を守りつつも、海外とつながる「英語」というツールを手に入れることができたのかもしれません。良いところ取り。

どっちも喋れたら最強

いいなと思ったら応援しよう!