正月という思い出
日本人はきっと正月が好きだ。神社に就職した私の実の妹以外は。
ハッピーに新しい年を迎え気持ち新たに今年の目標とか決めちゃって。
大人も子供も正直この空気は嫌いでは無いと思う。
子供にとっては冬休みが始まりクリスマス、サンタという一大イベントを迎えた後に年が明けお年玉をもらい親戚一同和気藹々と過ごす。
大人にとっては長い連休があり、中には仕事の人もいるかもしれないが合法にぐうたらできる。義実家に帰る友達は嫌がっていたがそんなもの些細な問題でそもそも上位階級者で無い限り行かなければいい話なのだ。
でも私には正月にまつわる忘れられない記憶がある
当時お付き合いしていた人がいわゆるそっちの業界の関係者で
年明けたね、おめでとう。いつ会おうねってありきたりな会話をしていたら
年末年始にこもって編集作業をしていたため人間の結合部を見すぎてしまった。
今は生身の人間を見たくないからしばらくごめん。と断られたことだ
当時の私も若かった。危篤な人。正月に誰にも会いたくなく初詣にも行けないなんて可哀想に。私が支えなきゃ!などと思っていたが
大人になってから分かる。あれは多分私のこと好きじゃなかったんだと思う。
好きだったら結合部には勝てるだろうし。
今なら生身の人間がダメなら逆に結合部見に行けるところ行かない?って言ってしまう。なんなら二人で結合部見て初詣〜★とか言って拝んでインスタのストーリーにあげれる
なので毎正月に元気かな?今AIアダルトビデオあるしAV新法でお仕事減って生身の人間もいい加減OKだろうな。とか思ったりしている。マジ余計なお世話である。
子供の頃は正月と聞くだけで、新年会!美味しいご飯!お年玉!とワクワクしたのになぜこんな大人になってしまったんだろうか。
しかしこのような汚らしいエピソードを持つ私だが
きったない泥を被ればかぶるほど人間は魅力的になるんじゃ無いかと思っている
現に私の周りにはドラクエのどろにんぎょうのような人間が多い気がする
いやちょっと紳士的すぎるな。ドロヌーバだ
彼らは最高に奥が深い。泥の色は様々で目も当てられないくらい汚いヘドロのような泥をまとったやつもいるのだが
ちょっと知るために高圧洗浄機で吹っ飛ばすとキラキラな瞳をした素敵な人間が現れることもあるのだ。
これから私の周りの人間は皆こういう人だと思ってください。
私ですか?勇敢なゆうしゃでもなく、可愛らしいホイミンでもなくまだ泥の足りないマドハンドです。
次回へ続くと思う