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インフレの時代に考える「需要」と「供給」:『1940年体制』から今の日本経済をみる

私はプロジェクトマネージャーや組織開発のコンサルタントとして活動しながらも、時間が許す限り本を読むことを心がけています。歴史小説や経済関連の書籍は、今の仕事とは一見離れているように思われがちですが、実は現場の観察や組織の変容を考える上で大いに参考になります。

最近、山崎豊子さんの小説を改めて読み返していました。『華麗なる一族』や『不毛地帯』など、戦後日本の経済や企業社会の構造が色濃く描かれた作品は、その時代の空気や価値観、企業と銀行の関係性、人脈ネットワークのあり方などが生々しく伝わってきます。たとえば、『華麗なる一族』では銀行や製鉄会社、政界、財界など多方面にわたる人間模様が描かれ、金融と産業がどのように結びついてきたかを理解する上で、フィクションでありながらも多くの示唆を与えてくれます。

そうした小説世界に浸るなかで興味わき、読んでみたのが、野口悠紀雄の『1940年体制(増補版): さらば戦時経済』でした。山崎豊子の小説で描かれる構造が、まさに戦時中から作られてきた国家と産業の結びつき、つまり戦時統制経済の名残だという文脈で捉えられるのではないか、と思ったからです。さらに、チャルマーズ・ジョンソンの『通産省と日本の奇跡: 産業政策の発展1925-1975』に目を向けると、戦後日本の経済復興と高度成長を主導した官僚機構や産業政策の歴史が浮かび上がり、私たちの「現在」に繋がる大きな流れを再認識させられます。

「1940年体制」とは何だったのか――国家統制が生んだ影響

野口悠紀雄の言う「1940年体制」とは、戦時経済を支えるために国家が産業や金融を強力に統制し、大企業を優先的に保護・育成する仕組みを指します。戦後もその骨格は継承され、銀行を中心とした間接金融と、官庁の産業政策による規制や保護が長く続きました。これは一時期、高度経済成長や産業の急拡大を実現する上で大きな役割を果たしたことは否定できません。

しかし、バブル崩壊後の日本が長期停滞を脱せず「失われた30年(もう40年?)」と呼ばれるほどの状況に陥った背景には、この1940年体制的な統制や官僚主導の仕組みが、時代の変化に対応しきれなくなったという問題があると考えられます。高度成長期には、大量生産・大量消費の経済モデルが成り立ち、企業は国内外に製品を売り捌き、世界トップクラスの製造業大国としての地位を確立できました。しかし、情報技術やグローバル化が進んだ現代においては、当時の成功パターンが必ずしも通用しない局面が増えています。

「産業政策の奇跡」と組織文化――官民一体の光と影

チャルマーズ・ジョンソンが描いた通産省(現・経済産業省)の産業政策は、日本企業を世界のトップランナーへと導く原動力でした。戦後の復興期には、鉄鋼や自動車、電機といった基幹産業を育成し、輸出拡大によって外貨を獲得する戦略を推し進めました。官民が一体となった「日本株式会社」体制は、世界でも類を見ないほどのスピードで経済成長を実現し、多くの国が「日本の奇跡」と称賛する結果となったのです。

しかし、その官民一体の構造は同時に、組織内部の硬直化や既得権益の温存を招きました。私自身、大企業のコンサルティング案件に関わる中で、「お客様の視点で考える」という当たり前のことが組織内で十分に共有されていないことに困難を感じる社員の方々がもがいていらっしゃる場面に度々出会います。「技術的には素晴らしい」「品質は世界一」などの言葉はよく聞かれますですが、それが本当に顧客のニーズや潜在的な問題を解決しているのか――この問いが曖昧なまま、プロダクト開発やマーケティングが進められる構造にあるのです。

これは決して企業個別の問題だけではなく、戦後から続く保護政策や縦割り行政が生み出した「自分たちの枠組みの中で最適化を目指す」という発想の限界にも起因しているのではないかと、私は感じています。

現在のインフレと地域活動――私が「現場の需要を考える」必要性に気づいた瞬間

ここ最近、日本はようやく長引くデフレ局面から脱却し、インフレ傾向が明確になりつつあります。賃金や物価が本格的に上昇しているとは言い切れないまでも、円安と相まって海外からの輸入コストが上がり、生活必需品の値上がりを肌で感じる方も多いでしょう。インフレが進めば企業は値上げをせざるを得ませんが、賃金が追いつかなければ生活者の負担は増大します。さらに、円安から円高へシフトしていくタイミングで輸出と輸入のバランスが崩れないか、不安を抱える経営者も少なくありません。

私自身、個人として地域活動に関わる中で、「そもそも人々の需要はどこにあるのか?」と改めて考える場面が増えました。大都市圏の華やかなスタートアップイベントとは異なり、地方や地域コミュニティでは人口減少や高齢化、交通手段の不便さなど、多岐にわたる課題を抱えています。そこでは、大企業や国の政策が描く「大きな絵」よりも、目の前の生活の質をどう改善するかという視点の方がはるかに重要です。移動販売サービスやコミュニティバス、介護と買い物支援を組み合わせたソーシャルビジネスなど、地域の実情に即したアイデアこそが切実に求められます。

ここで感じるのは、戦後から続く巨大な産業政策や金融の仕組みよりも、「現場レベルで本当に必要としているものは何か?」を細かく拾い上げるセンスのほうが、いまの時代には重要になっているということです。かつては全国的な規模で「大量生産・大量消費・大量輸送」が当たり前でしたが、人口構造や社会ニーズが多様化した現代では、それぞれの地域コミュニティが抱える固有の課題を見極め、ピンポイントでソリューションを提供する柔軟性が求められています。

大企業で起こる「顧客価値への感度」の低下――コンサル現場が映し出す実態

一方、大企業へコンサルに入ると、組織の大きさゆえに「顧客の声」が埋もれてしまっている例を頻繁に目にします。担当部署が細分化され、どこが最終的に顧客の満足度を管理するのかがはっきりしない。加えて、意思決定プロセスに時間がかかり、市場の変化に合わせて素早く動くことができない。そうしているうちに、国内外のライバル企業が独自の戦略で市場を席巻し、気づけばシェアを奪われている——そんなケースは珍しくありません。

この構造は、戦後の大量生産時代には効率的だった「官民一体のピラミッド型マネジメント」の名残とも言えます。縦割りの中で組織が専門領域を磨く一方、顧客価値を俯瞰的に捉える視点や、現場の声を柔軟に反映させる仕組みが育ちにくいのです。私がコンサルの立場から言えば、「部門最適」ではなく「全社最適」「社会全体への貢献」を意識したプロジェクトデザインが不可欠であり、そのためにはまず「顧客にとっての価値とは何か?」を再定義することがスタート地点になります。

GAFAMが示すデザイン思考――顧客視点をいかに組織に根付かせるか

ここで、やはりGAFAM(Google、Apple、Facebook[現Meta]、Amazon、Microsoft)などの動きを見ていると、時代が大きく変わったことを痛感させられます。彼らの強みは技術力だけではありません。顧客の課題を徹底的に分析し、新しい体験(UX)を提供し続けるデザイン思考的アプローチが企業文化として根付いていることが大きい。特にAppleは「ユーザーがまだ気づいていないニーズ」まで提案することで、市場の常識を何度も塗り替えてきました。

デザイン思考では、「共感」「問題の再定義」「アイデア創出」「プロトタイプ」「テスト」というプロセスを回していきますが、このアプローチが日本企業においては「一部のイノベーションチームだけがやっている特別なもの」になりがちです。実際のプロジェクトに落とし込むと、承認手続きや意思決定プロセスに阻まれてしまい、せっかくの斬新なアイデアが形になる前に頓挫してしまうケースは皆さんも見たことがあるのではないでしょうか。

「需要を創る」とは何か――現場と顧客を結びつけるエコシステムづくり

コンサルとして現場に入る以上、私が常に意識しているのは、「需要を創る」ことの重要性です。これは、単に物やサービスを売るということではなく、「誰の、どんな問題を、どんな手段で解決するのか?」を一緒に考えることです。地域活動であれば、住民の方々と一緒に課題を洗い出し、小規模でもすぐに試せるソリューションを試し、フィードバックを得ながら改善を続ける。大企業であれば、顧客データや市場調査に加えて、現場の販売スタッフやコールセンター、時にはSNSの声まで総合的に把握し、いま本当に必要とされている価値を見極める。

この一連のプロセスを実現するためには、単なるトップダウンではなく、ボトムアップ的な創意工夫の余地を大切にするカルチャーが必要です。私が各種プロジェクトで強調しているのは、次の3点です。

  1. 共感を軸とした問題設定
    顧客や地域住民、あるいは関係者の声を丁寧に聴き、「何が本当の痛みや望みなのか」を掴む。

  2. 小さく試すプロトタイプ文化
    いきなり大規模な投資やシステム開発をするのではなく、最小限の機能やリソースでテストし、失敗を恐れずにフィードバックを得る。

  3. 組織を越えたコラボレーション
    部門間・企業間・産官学などの垣根を越え、知見を持ち寄ることで、自分たちの狭い視野に陥らない工夫をする。

こうした取り組みを実践している企業や地域コミュニティを見ていると、たとえ短期的なスケールは小さくとも、確実に「現場の需要」を捉えたサービスや仕組みが育っているという手応えを感じます。

お金をどう動かすか――信頼を伴う投資がもたらす未来

需要を考えることは、ひいては「お金の流れ」を変えることにつながります。投資先や資金配分の優先順位を変えるというのは、組織や社会にとって大きな変革ですが、その過程で必ず問われるのが「なぜそこに投資するのか?」という理由です。これは経営者の意思決定においても、地域行政の予算配分においても同じこと。最終的に、「その投資は誰にとって、どんな価値を生むのか?」が明確でなければ、継続的なリターンや理解は得られません。

戦後からの体制であれば、国が示すマクロな方針に合わせて銀行融資や予算が配分されるという手法が主流でしたが、グローバル化とデジタル化が進行する今、より機動的に「現場が本当に必要とするもの」に資金を注げる仕組みが求められています。クラウドファンディングのような個人からの小口投資、地方銀行や信用金庫のイノベーションへの取り組み、ベンチャーキャピタルによるスタートアップ支援など、これまでとは異なるチャネルが注目されるのも、その現れでしょう。

お金は単なる決済手段であると同時に、「この活動を支えたい」「この価値観を共有したい」という信頼の表明でもあります。地域コミュニティがクラウドファンディングで資金調達を成功させる事例には、「地元の人が地元の課題を解決するために立ち上がり、それを応援したいという想い」が背後にあります。こうした文脈を伴った資金循環が増えてくれば、結果として地域にも活気が生まれ、大企業や行政がいくらか失ってしまった「顧客価値への感度」も再び磨かれていくのではないでしょうか。

まとめ――「歴史を読み、現場の声に耳を傾け、未来をデザインする」

山崎豊子の小説から始まり、野口悠紀雄氏の『1940年体制(増補版): さらば戦時経済』、そしてチャルマーズ・ジョンソンの『通産省と日本の奇跡: 産業政策の発展1925-1975』を振り返ると、日本の産業政策は確かに壮大な成功物語を生み出しました。しかし同時に、その成功が基盤となって、次の時代への柔軟な対応を阻む要因にもなり得ることを学びます。巨大な組織と官民一体の統制体制は、当時の産業育成には欠かせないものでしたが、現代は技術革新や価値観の多様化が加速し、「一律の成功モデル」が通用しにくくなっています。

私自身、プロジェクトマネージャーや組織開発のコンサルタントとして、多くの現場で「顧客のニーズを本当に理解しているのか?」「現場の需要はどこにあるのか?」という問いに直面してきました。大企業の中には、かつての成功体験に縛られ、根本的な顧客視点を見失いつつある組織もあります。一方で、地方のコミュニティや新興ベンチャーでは、小規模ながらも顧客や住民との対話を重視し、リアルな需要に応える動きが芽生えています。

日本が再び活力を取り戻すためには、「1940年体制」が生んだ大きな流れを理解しながら、現場レベルでの創造力と柔軟性を結びつける必要があると感じます。従来の官民主導型の産業政策に加えて、ボトムアップでのイノベーションが価値を生み出す土壌を整える。そのために不可欠なのは、デザイン思考的な発想と、失敗を恐れず小さく試しては学ぶという文化、そして「誰にとってどんな価値を提供し、どんな世界を作りたいのか?」を問い続ける姿勢だと私は考えています。

歴史を読むことで国家や産業の動きを俯瞰し、現場の声に耳を傾けながら、人々が本当に必要としているものを見極める。そしてそれを未来のデザインに結びつけていくことが、今後の日本社会にとって大きなヒントになるのではないでしょうか。

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