マンジョー・イッチーって誰?
ある日突然赤紙が届く。
それを万歳と言って喜ぶ。
ありえない。親の気持ちとしてありえない。
東北の、昔からあるお寺に行った時のこと。本堂はぐるりと肖像画で埋め尽くされていた。大きな本堂に、ずーっとだ。
お母さんに抱かれている絵だったり、立派な青年の絵だったり、家族全員が幸せそうに笑っている絵だったり。
聞けば、亡くなられた方々が来世で幸せに過ごしていることを描く供養絵という風習らしい。多くが軍服の子どものような男の子。
仏教には殺生をしてはいけないという戒律がある。蚊を殺さずに逃してみよう!などと現在ならば気軽にチャレンジ!となるところである。
が、そんなお寺の子どもたちも徴兵されていく。
考え抜いた末に、銃の引き金を弾けないように、と指を切り落としてしまった時いた時は自分の指の付け根が痛くなった。
パートナーの祖父が綴った戦争体験の本では、生々しい記憶と記録が沸騰したお湯みたいにボコボコと音を立てていた。初めて読んだ時は『こんな時代があったんだな。自分には遠いけれど』くらいにしか思わなかった。が、気づけばそんな私も、あと何年生きているのかわからない。
世紀の大発見をしたわけでもないので、何かを記録にとどめておこうなんて気は無かった。でも、知られてなければ無かったことと同じ。
全ては無かったことにするのが得意技なダークマターに抵抗するのは、声をあげていくこと。そう!いい大人なんだから声をあげよう。
満場一致なんて決議は子どもの喧嘩にだってありえない。初めて聞くその言葉を人の名前と思って質問してくる子どものように、おかしいな?ってことには声をあげてみたい。