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『金持ち課税』と『希望は戦争』の違い

今年の7月に出たシーヴ&スタサヴェージ著『金持ち課税』という本が一部で話題になり私も面白く読んだ。
ネットを検索すると赤木智弘氏の『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。』(以下『希望は戦争』)という評論と結びつけた感想をよく見かけたが、両者の違いに言及したものが少なかったので違和感を感じた。なので私なりに違いを書いてみようと思う。

『金持ち課税』の要約
「いつ、どのような理由で、富裕層への課税ーー特に所得税が実施されるのか20か国の過去200年間のデータから比較研究をした。全ての国は第一次世界大戦まで所得税が存在しないか1桁%であった。2回の大戦中と戦後すぐに最も激しく税率と累進性が上昇し、それ以後は税率も累進性も下落傾向にある事が分かった。大戦時は政府によって庶民が総動員という形で物納税を払わされる一方、富裕層は莫大な戦時利得を獲得している様に見える。国民の犠牲の釣り合いを取ろうという「補償論」によって富裕層課税と再分配がなされる。民主制で大戦を経験すると権威主義体制より上昇率が高い。それ以外の要因ーー平和な時代の民主制、格差拡大、財政赤字、との関係は極めて低いか見いだせなかった。」
『希望は戦争』の要約
「2007年現在、私は月収10万円弱のフリーターでありそこから抜け出す希望を持たない。世間の人々は私のような階層に冷淡である。労働組合でさえ正社員の権利追及以外に関心はなく、それを基盤とする左派も同様である。佐藤俊樹氏は『不平等社会日本』において戦中から高度成長期の階級的流動性の高さを示している。だから私にとって平和な社会が継続するという事は階級社会の継続であり、戦争による大量死と破壊と流動化と国民全員が苦しむ平等は希望である。「希望は戦争」と言わせないために、まともな生活を与えよ。」

『金持ち課税』は戦争の大量死や破壊によって直接に格差の縮小が起こったという内容ではない
大規模な戦争は庶民が大量動員という物納税を払わされる一方で富裕層は戦時利得を得ているように見える。政策による命がけの貢献と戦時利得の発生が、人々を政策による過激な補償に向かわせる。その結果、平等主義な社会制度ができるという筋書きだ。
そのため合衆国のように相対的に死者や財の破壊が少なかった国や、スウェーデンのように動員をしつつ中立を維持した国でも、高額の累進課税が発生していた。「国民全員が苦しむ平等」ではないのだ。少なくとも当事者はそう考えていなかった。
戦争そのものは利害対立を孕んだもので、利害調整の為に平等主義な制度が作られ、米英でも1970年代までワークしていた、と言う感じだろう。『金持ち課税』は総動員を実施することが平等をもたらすと主張している。だから損害の少ない戦勝国のアメリカ合衆国と、戦時体制を実施しつつ中立を維持したスウェーデンでも格差が激減したというのがこの本の重要な所だ。革命や破壊は必要ないのだ。

それから『金持ち課税』は評論とは違って、歴史的にこうであった、という内容である。こうあるべき、についてほとんど語ってない。だから富裕税に反感を持つ人が読んで「我々は平時では優勢なのだ。安心した。」という感想を持つことだってできる。

もちろん過程はどうであれ戦争によって格差の小さい社会がもたらされたという認識は一致している。『金持ち課税』では富裕層に戦時利得が有ったという有権者の認識が示されているが、実態としては戦後の高インフレや債務不履行によって財が破壊されていた可能性が示唆されている。
「有権者の認識」は「戦争が実際にどう働いていたか」とは別のことで、後者は『金持ち課税』の範囲外に出る。誰かが研究していたなら興味がある。

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