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地方から東大に入ってつらかったこと
地方出身で、去年東大を卒業しました。4年間で経験した漠然としたもやもやについて言語化してみたので、よければ聞いてください。
バックグラウンドの話
これは東大に入った頃から考えることが多かったことで、自分はいままで地方の公立の中学高校でやってきた雑草的なところがありつつも、家系は客観的に見ればエリートで、海外経験もないわけではないけど帰国子女を名乗れる長さではない、みたいなけっこうどっちつかずな人生を過ごしてきたなと思います。他人と話す時とかは、これまで自分が通ってきた道の中で相手と共通する属性とか体験とかを膨らませればだいたい話が続くから楽だけど、まあそれってイソップ童話のこうもりと同じことをやってるわけなので…。程度の差はあれ全ての人がやっていることだとしても、自分の場合(ありがたいことに)これで受け入れてもらえるコミュニティの幅がたぶん世間一般よりも広くて、常に頭のどこかに果たして自分の軸ってどこにあるんだろうっていう問いを抱えながらここまできてしまった印象が強かったです。小中高大と(ありがたいことに)定期的に会ってくれる人たちはそれなりにいて、基本的にそういう人たちとはお互いに深い話ができて居心地がいいからここまで関係が続いてるんだと思っているんですけど、あるコミュニティに他所の価値観を持ち込むのは個人的にNGだと思っているので、そういう意味でTPOを弁えると話さないほうがいいかなーってことも増えて、それに対して息苦しさが増えている感じがしていました。
10年来の目標が達成できたあとの反省
10年前初めて親の都合で海外で生活をして、自分の力でそのような国際的な環境に戻ってくることがそれ以来一貫したひとつの目標になっていたので、(自分一人の力ではないのは重々承知なんですけど)最低限金銭面は工面してちゃんと海外の大学や学生サミットで結果を残せたことがここ最近でいちばん嬉しかったことです。そこでこの10年間を振り返って、良くも悪くも自分が(単に中学生→大学生というだけにとどまらず)変わって、けっこう昔なりたかった自分に近づけてはいるけど、その過程で切り捨てざるを得なかったこととか、傷つけてしまった人が少なからずあった/いたなあということに思い当たってしまって罪悪感を感じてしまうことがありました。
気付き
このことについてわりとぐちぐちと考えていて、結果的に自分にとって救いになったのが「他人の人生を自分の価値観で測る権利はない」ということに気づけたことです。色々な人の話を聞いて、いい大学行ったりキラキラした生活をしたりっていうことと自分の生活に当人が満足してそうかは全く相関がないと感じます。特に東大生はメリトクラシー的なヒエラルキーの上の方に誰かを持っていくことが当人にとっていいことだと思い込みがちだと思うんですけど、これは100%正しいわけではなくて、けっこう自分もそう決めつけがちだから気をつけなくちゃいけないなあと思いました。
どこまでが価値観の押し付けでどこからが倫理的に正しいのかというのはケースバイケースで、そこはこの先考え続けなければいけないんだろうなと思います。ただ仮にエゴだとしても自分の信条として価値観を押し付けたくなる場合があるなあと思って、そういうときに適切な押し付けができるくらいの力量と経験はこれから積んでいきたいなとぼんやり思っています。まとまりのない文章ですみませんでした。