スペインに引っ越しました
1. 出発
10月末に20年以上暮らした東京を離れ、家族でスペインにやってきました。
本当は2024年の6月中に渡航したかったのですが、想定していた以上にビザ取得のための工数がかかり、予定よりも3ヶ月ほど遅くなりました。
子どもの学校は9月から始まるので、それまでに生活を整えたいと考えていたのですが間に合いませんでした。
けれど、出発が延びてよかったこともあります。
ひとつは子どもの保育園のお友だちやその家族と6月の時点よりもさらに仲良くなれたことです。おかげで滑り込みで楽しい思い出がたくさんできました。
もうひとつはイベリア航空による成田-マドリッド間の直行便が復活し、それを利用できたことです。
昨年の6月にポルトガルに旅行した時は羽田からドバイ経由でリスボンに到着したのですが、往路は飛行機が遅れたために乗り換え時間が短くなり、かなり焦って広大な空港内を移動せねばならず、復路は深夜に長い時間ドバイ空港で羽田行きの便を待たねばならず、当時2歳の息子をとてもかわいそうに思いました。
今回はマドリッドまで直行便を使えたので、約16時間の長旅だったとはいえ、乗ってしまえば前回よりは気楽なものでした。
2. バレンシアへの移動
私たちはマドリッドに2泊だけ滞在し、ゴヤやベラスケス、エル・グレコなどの有名な絵画を見にプラド美術館に行ったり、マヨール広場近くの老舗カフェでチュロスとホットチョコレートを食べたりと定番の観光をしました。
子どもには絵画は退屈で恐ろしく、チョコレートをつけたチュロスは熱くて甘すぎると不評でしたが、いつか振り返るときに家族のいい思い出になっているといいなと思います。
その後マドリッドからバレンシアに移動しました。
日本でも報道されたのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、バレンシアでは10月29日に洪水が起こりました。多くの犠牲があったことはとても辛く胸がつぶれる思いです。謹んで哀悼の意を表すとともに、被害にあった地域とその関係者の方に衷心よりお見舞い申し上げます。
私たちがバレンシアに移動したのはその翌日の10月30日でした。
マドリッドでは29日は雨が降ったり止んだりしていたものの30日はお天気がよく、ニュースなども見ていなかったので、午後に空港に着いてマドリッド-バレンシア便が大きく遅れるという事態になって初めてバレンシアで起こっていることを知りました。
バレンシア空港には移動できたものの、予約していたタクシーは迎えに来られず公共交通機関も動いておらず、陸の移動手段が限られていたため、タクシー待ちの長蛇の列に並ぶことになりました。それでも、空港泊も視野に入れていた中では、覚悟していたよりは状況は悪くないと思いました。
息子は疲れ切って眠ってしまい、夫は眠る息子を抱いてスーツケース二つと自分のリュックを、わたしもスーツケース二つとリュックと大きい手荷物を持って、市街地は無事だったと聞いてはいたもののどのような状況なのか不安な気持ちで自分たちの番を待っていました。
とはいえ、タクシーは次々と空港に集合し、タクシー側でも数十台の乗車待ちの列を作る程でした。状況が安定しない中でこんなに多くのタクシーが空港まで来てくれることをとてもありがたく感じました。
1時間ほど待ったあとで乗車したタクシーの運転手は、おそらく多くの運転手がそうだと思いますがスペイン語のみを話す方でした。
夫が行き先を伝え車が走り出すと、泥だらけで動かせなくなって道路に放置されている車を何台か見かけました。運転手がそれらや現在の市街地の様子を説明してくれ、夫もそれに対して質問を返したりしていました。
夫が簡単にでも見知らぬ相手と会話ができるほどスペイン語を話せるようになっていることに驚きましたが、言葉が通じることに安心もしました。
なんとか21時過ぎにAirbnbの部屋に着くと、近くで待機していてくれたオーナーが迎え入れてくれました。
こんな状況の中でも、オーナーや運転手が明るく親切に接してくれたことでなんとかやっていけそうな気持ちになりました。
3. 市街地の様子
到着の翌日、時差ぼけの続いている私たちは家族は早朝に目が覚めてしまい、朝の早い時間からマーケットに行って新鮮な魚や果物、生ハムの原木などを見て周り、近くのカフェで朝食をとり、そのそばの公園で子どもを遊ばせました。
気候も人々も穏やかで、のんびりした柔らかな空気が流れていて、エリアが違うとはいえ、一見して洪水被害があったようには思えないほどでした。
けれどよく見れば、跳ね返った泥で車体の半分ほどまで汚れている車や、モップを手にし長靴を履いてボランティアに向かう人々、お店の入り口に貼られた支援物資を集めるビラなど、通常と違うであろう点はいくつもありました。
とくに、ボランティアに向かう人々の多さとその年齢層の低さ、それからそういった活動をし慣れている様子なのには驚きました。あとになって現地に住んで15年になる日本人の方から、時間が自由になる大学生の方が多くボランティアに参加していると聞きました。
また、お昼頃にカフェのテラスで休憩していると、自分たちや道ゆくすべての人の携帯がけたたましく警報音を上げました。急いで確認するとバレンシア州からの通達で、移動を避けるようにという内容でした。
この日、本来なら子どもの学校に見学に行き、ユニフォームなどを購入する予定になっていましたが、そういった州からの移動禁止令に伴い学校が休みになっていました。おそらく他の多くの学校や機関も同様に休みだったと思われます。
不測の事態が起こったために、言及することを避けられず、到着についての記述が饒舌になってしまいました。
家探しや子どもの学校については別の記事で紹介したいと思います。