コーチングってすごい
2ヶ月にいちど、コーチングを受けています。私はコーチをえいみーさんと呼んでいます。
定期的に同じ人に会って、振り返るリズムがあるのはありがたいです。
半年すぎたころから信頼を感じて「神回」が続き、どんどん深いところを掘り起こされるようになりました。
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杉の活動のことよりも、いつも人間関係について、特に家族のこと、連れあいのなおちゃんとのことが焦点になります。
えいみーさんが、私の反応をみながら、そこに何がある? という感じで問いかけてくれるのですが、こないだ、
なおちゃんとの共通のゴールは何?
と、問われて、言葉に詰まりました。
そのときは、ふたりで何を目指したいのか、どこを向かって歩くのか、というイメージで自分の奥底を探ったのですが、言葉がみつかりませんでした。
それで、どんな状態が理想?
と、問われて、
なおちゃんが、
″クルッポークルッポー" と言いながら、大きな段ボールの中から出てきたことを思い出しました。
結婚したてのころ、ソファを梱包していた段ボールの中から、なおちゃんが鳩になったつもりで出てきたんです。
”安心して居られる”
音楽が流れて家族みんなが踊り出す、ふざけあう、いっしょに寝床に入ってくっつきあう・・・そういう安心しきっている状態が浮かんできました。
そして、えいみーさんの何かの言葉で、結婚前に私がうつになって、なおちゃんといっしょにいたときに、心に刻まれたものが出てきました。
何か思い出が浮かんだのでなく、自分に刻まれた感情が、パーーッと再現された感じで、感極まったのです。
あれは「悲しみが溶けた状態」だったと思います。
それで、”安心して居られる” という言葉が出て、そのあと、トイレにいって間をとると、家が愛しい、という気持ちが湧きました。
もともとわかっていることでも、奥底に沈殿してしまっているものがあって、刻まれた感情が再現されて、また身に染みた、という体験だったように思います。
沈殿した感情が新鮮に掘り起こされるようなことが、コーチングで起こるんですね。
あのころ、悲しみを自分の中心に据えて生きよう、と決めたのに、悲しみを忘れていました。
元気なときにいっしょに楽しめる仲間は嬉しいけど、どん底のときにいっしょに幸せでいられるのは、涙がでるほどです。
”いっしょにいてよかった”
えいみーさんが「羽を寄せ合う」と言ったのですが、そのイメージがピッタリです。
もし、なおちゃんと何かを目指すのなら、いっしょにいて「悲しみが溶ける」つながりを、周りにも広げることなのかもしれません。
でも、そんな思考の産物よりも、”いっしょにいて嬉しい”と、ちゃんと感じる時間をもちたいです。
どこかに目指すものがあるんじゃなく、自然とつながる瞬間も、つながって悲しみが溶ける黄金も、思いがけずおこります。
今までどおり、導かれながら旅を続けよう、と、思いました。
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振り返ると、えいみーさんは、私に問いかけることで、私に体験のダイブをさせているんです。
どうしたいかよりも、どうありたいのか、自分という深海に潜って、ありたいわたしをその場で取り戻しています。
えいみーさんにとっても、私のコーチングは深海に潜るような体験だそうです。
コーチングが、私にとってなくてはならないものになってきています。