広げていくのではなく、広がっていく
わたしは、すぐビクビクしてしまう。
相手によっては、怒られてもいないのに、からだがビクビク。
相手によっては、寒くて居られなくなる。
からだの防御を解いて、素のままで、心と身体が一致して、その状態で生きていけることが、わたしの願い。
それがすべて、と、いっていい。
たまに演劇の舞台に立たせてもらうことがある。自由自在になって、相手と、みんなと、無心で渦になっていく。稽古にいくのは、あの状態を味わいたいからだ。
たくさん味わいたい。
今、定期的にコーチングしてもらっている人に、ぜんぶ体験してみたら?と、言われて、一瞬、パッと、心に羽が生えたかのようになった。
ぜんぶ体験する。
それがわたしが人生でやるべきことだ。
ひとりでも、ふたりでも、みんなとでも、ゆるやかに、気づいたら楽しくて、わたしがちゃんとそこに”存在”して、自由自在になっている。
うまくそこに入れないときもあるだろうけど、滞っても、傷ついていても、またゆるやかに、その状態に向かっていくように。
今、この瞬間に、がんばるのじゃなく、今この瞬間に、ゆるやかになり、自由自在になる。
そういうあり方こそ望みであって、何者かになったり、何かを達成したりなんて、ひとつも望んでいない。それは、頭が、つい考えてしまうこと。
「活動」よりも、町中華や八百屋さんや大好きなバーのような、素のおせっかいがいい。
気づいたら、救われていくのがいい。
杉のこと(価値に気づいてもらって、この国で使われていくこと)は自分ごとになっていて、でも広げようと計画を立てるとか、いらない。意識の奥にはすでにもっている。
わたしは、わたしがなぜやっているかを、相手に、そのままの気持ちを伝えることができる。そのときに、お互いに満たされて、ひらかれていきたい。
戦略じゃなく、あり方。
広げていくのではなく、広がっていく。
杉のことじゃなくてぜんぜんいい。
そんなもの忘れてしまっていい。
出るときに出るから。
「わたし」と「あなた」でいい。
何かが起こるかもしれない相手と、セッションを味わって、楽しんで、心の可動域が広がって、ひらかれて、気づいたら、変化が生まれていく。
そうやっていきたい。