杉を敷いて森とつながることの意義を考えました。
百年杉はすごい。
精油が濃く、香りと波動が強くて、あからさまに癒す力がある。
私が杉を敷くようになったのは、東京の多摩産材を以前住んでいたマンションに敷いたのがキッカケだが、尾鷲の百年杉に出会って木の「質の違い」というものを知った。
これまで南三陸杉、日田杉などを敷き、去年は三重県美杉村・三浦林商さんの杉を敷かせてもらえるご縁に恵まれた。
三浦林商さんは葉枯らし天然乾燥、新月伐採にこだわり続けていて、材の質も、細胞が壊され精油が流出してしまう高温乾燥材とは全然違う。
ただ、私の感じたまま言ってしまうと、百年杉の“ちから”はそれら優れた材のさらに上をいく。
それゆえ値も張るけど、広めないといかんよなあ、と、思わせられる。
その理由を、生育環境や、樹齢や、「愛工房」で乾燥していることや、カンナ仕上げであることなど、いろいろ想像はできるけど、コレ、と、特定はできない。
お米が旨いのが、品種だけでなく、その土地や、育て方や、炊き方が影響するのと似たようなことだと思うし、製材している畦地さんが、いつもすごい材を選んでくれているはずだ。
でも、私が言いたいのはそんなことではない。
三浦林商の三浦妃己雄さんは、加藤木材さんにお引き合わせいただいた。
今の時代にこんな人が、ホンモノの杜人がいるんだ、と、驚いた。
そして、2度泊まりに押しかけた。
三浦さんのように森と対話する林業家が林産地に増えれば、日本のほったらかしの森が、”神々しい森”になっていくに違いない。
私は林業を何もわかってないから、こんな大雑把で楽観的なモノ言いができるのだろうけど、三浦さんは素人の私にそう思わせてくれる。
エルヴィン・トーマが「木とつきあう智慧」で、「枝葉をつけたまま伐採し寝かせて水分を抜く」「下弦の月から新月にかけて伐るとよい」と、自然の理を書いたけど、三浦さんはとうの昔から葉枯らしを実践していて、新月伐採をすぐに試し、観察と試行錯誤で「最適解」をみつけていく。
そして猟犬キュータとともにいつも鹿と格闘している。
見えないものを信じて感覚を開いて生きる姿に、私は、人間の可能性をみせてくれている、と感じた。
三浦さんの木を扱うNPO法人「もりずむ」さんや、加藤木材さん主催のツアーに参加した人と話していても、その思いは私だけではないことがわかる。
私が言いたいのは、
百年杉はすごいし、
三浦さんもすごいということ。
いのちを最大限に活かしている。
私たちはつい、どっちがいいの?
百年杉がいいんでしょ?
睡眠が改善するのはどっち? と、自分にとっての”効果”にしか関心がいかない。
お金を出して買うんだからそれは当然だけど、その後ろにある、いのちを活かす営みがワンダホーなのに❗
あの「愛工房」をリースし続けて、すごい材を届け続けてくれる畦地さんがすごい。
それをあの熱量と覚悟で売り続けている加藤さんは言わずもがな。
森と田んぼと畑を管理して、鹿と格闘し、森を豊かにし続けている三浦さんがすごい。
そもそも木という存在、
杉という存在がすごいし、
それを育む土と水と太陽と微生物がすごい。
私たちは、それらをひっくるめてお金で買おうとしている。
本来、お金で買えるようなものじゃない、と、思うのがフツーの感覚だ。
それを、三浦さんにお金を払って材を使えば、その営みを支えることになり、家にいながらつながれる。
本来、手に入るはずのないものに、お金という道具を使ってつながれる。
満足感と誇りと愛着が持てる。
人生が変わる。
なんか勢いでカッコいい言葉を並べてしまったけど・・
はじめて百年杉をみてしまったときは、私は自宅の徳島杉の床の上に百年杉を敷きたくなってしまった。
徳島杉がみえなくなった。
でも、徳島杉の床に寝転がり、ああ、やっぱり好きだ、と思ったし、それ以来、徳島杉の床にもっと愛着を持つようになった。
家にある徳島杉が、尊く、愛しい。
杉の質が身体に作用して幸せにしてくれるのは、確かにそうだ。
でも、
自分自身から、尊く、愛しい、という感情が湧くことが、もっと大事だ。
杉を敷いて得られる幸せのなかには、
その後ろにある営みとのつながりを感じて、杉に愛着をもって暮らせることが含まれる。
買い物を通して何がしたいのか。
それを本当に考えてもらうことが、
”つなげる”ことだと感じている。