150年の杉聖地で、杜人・三浦妃己郎さんと語る。
年末に、三重県美杉村を再訪しました。
まず、行けるということが恵まれています。そうしたくても動けない人が多いのに・・家族に感謝です。
登戸のYさん宅に敷いた杉の生みの親である三浦林商の三浦妃己郎さんと、150年の杉の植林地にどうしても会いたくなったのです。
森の中で焚き火しながら語らいました。
なんという贅沢✨
三浦さんは、この杉を、月齢伐採、葉枯らし乾燥し、製材してからさらに自然乾燥しています。
葉枯らし乾燥は、エルヴィン・トーマの「木とつき合う智慧」という本で紹介されていますが、それをすぐに試したそうです。
木は、伐採後も枝と葉が付いていれば「生きようとして」幹から葉へと水分を吸い上げます。その「生きようとする力」を利用して、伐ってから数ヶ月間森に放置して乾燥させるのです。
三浦さんは、葉枯らししている間に、赤身の油分が周辺部に拡がることに気づきました。精油が材に染み渡り、香りがある身体が気持ちいい材に仕上がっていくわけですね。
また、本では、梢を下にする、とありますが、いろいろ試した結果、梢は上か水平にして寝かせたほうが良いとわかったそうです。(長くなるので理由は割愛^^;)
こんなふうに、三浦さんが自然のはたらきへの気づきをいろいろ語ってくれて、またそれを踏まえてやり方を決める・・聞けば聞くほど面白く、心がときめきました✨
ところで、間伐というと劣性の木を伐るイメージですが、三浦さんは基本的に材として価値あるまで育った木を伐り出すそうです。
同時に、そもそも山は自然淘汰で枯れるべき木を枯らすので、それを観察して、自然のはたらきを助けるように伐り、将来、森が豊かな複合林になるよう育てています。
・・と、なんだか知ったように書いていますが、三浦さんに聞いたままです。どうしたらどうなるのか私はさっぱりわかりません(笑)💦
ただ、森にいない人が「ここからここまで」と図面で指示し、依頼を受けた伐採業者が一斉に皆伐するのが”普通の林業”だとしたら、三浦さんは目の前にある自然をよく観察し、感受性をひらいて木と対話しながら、1本1本見極めて最適解をとっている。
なんとかそう理解しました。
三浦さんは、そうやって、今だけお金になればいいんじゃなくて、将来もっと豊かになるように森を(場を)育てているんですね。
下の画像を見てください。
ぜんぜん違いますよね?
ぜんぜん違いました。
まったく違いました。
適切に手を入れると、場に何かが宿る。
まさに、“杜人”。
昔はこんな“杜人”がそれぞれの山にいたはずなのに、今となっては稀有な存在です。
【最後に】
三浦さんとは、加藤木材さんがつなげてくれましたが、そこには見えないものの力が働いているはずです。
木ならなんでもいいわけでもないし、どこの杉でもいいわけでもない。やっぱり、加藤さんや三浦さんとつながって、その杉を敷きたい。
木の質は当然ですが、それ以上の見えない何か、思いあう気持ちが一番大事です。
日本には杉がある。
宝を、宝として見るようになれば、
すべてが変わるはずですが、
その恩恵を受け取る手段として、床の上に杉を自分で敷くのは、ド直球の大発明!
(私が発見したわけではない^^;)
ただ、床敷き(住まい)に留まらず、ヨガや医療や発酵など、垣根を超えて杉の価値を掘り起こしていくような動きが起こらないかな、と、思います。
医療現場や、被災地の避難所、学校なんかはすべて杉の床になって、人の心と身体を下支えすればいいのになあ・・