フェルメール、カメラ・オブスクラ、レンズと日本
レンブラントが生まれた頃、オランダで望遠鏡が発明されたことは、前回書いたけれども、この時代、オランダを含むヨーロッパでは、レンズ熱が高まっていた。レンズを使って絵を描いた画家の一人として、フェルメール(1632-1675)がいる。フェルメールは、カメラ・オブスクラも使っていた。カメラ・オブスクラは、ピンホール現象といわれるものを使った装置であるが、ピンホール現象自体は古くから知られ、日食の観測などに使われていた。このピンホール現象を見る装置に、いつ頃、レンズが取り付けられるようになったのかは、はっきりしていないが、16世紀の後半には、レンズが取り付けられるようになっており、レンズの取り付けられたカメラ・オブスクラは、画家にとって有益なものとされていたから、17世紀のフェルメールの時代に、こうしたレンズ付きのカメラ・オブスクラが存在していたのは間違いない。フェメールに誰がカメラ・オブスクラを教えたのかとか、フェルメールがどんな形のカメラ・オブスクラを使ったのかとか、カメラ・オブスクラがフェルメールの絵の様式にどういった影響を与えたのかということについては、数々の推測があるけれども、決定打はない。しかし、フェルメールの周囲に、カメラ・オブスクラやレンズに詳しい人々がいたのは確かで、例えば、レンブラントの才能を認めていたオランダ人のホイヘンスは、イングランドにいたオランダの発明家・技術者のドレッベルから、1622年にカメラ・オブスクラの装置を購入し、オランダに持ち帰っているが、このホイヘンスは、フェルメールと知り合いだった気配がある。また、レンブラントの弟子で、オランダ黄金時代の画家の一人で、フェルメールより五歳ほど年上のホーホストラーテンは、カメラ・オブスクラに夢中だったという。また、レンズを自作し、顕微鏡を最初に解剖学や生物学の研究に用いた一人とされるレーウェンフック(1632-1723)は、フェルメールと同じくデルフトで、フェルメールと同じ年に生を受けていた。レーウェンフックと、フェルメールが知り合いだったという証拠は見つかっていないが、上述のホイヘンスとレーウェンフックは友人関係にあり、レーウェンフックは、フェルメールが亡くなった時に、フェルメール家の遺産管財人に指名されている。とにかく、フェルメールの周辺には、このようにカメラ・オブスクラや最先端のレンズの情報に詳しい人物たちがたくさんいた。望遠鏡にしろ、顕微鏡にしろ、カメラ・オブスクラにしろ、この時代の光学機器はどれも、これまで目に見えなかったものを見えるようにしてくれるものであり、当時の人々に、新しいものの見方を授けてくれるものであった。カメラ・オブスクラは、当時、画家だけでなく、天文学者や測量技師たちにもよく使われており、カメラ・オブスクラは、地図を正確に描き写すことができたという。フェルメールには、≪天文学者≫≪地理学者≫といった作品があるし、測量技師や地理学者と縁が深い地図も、フェルメールは、自分の絵の中に たびたび描き込んでいる。フェルメールの絵には、光学機器がもたらした新しい未知の世界へ足を踏み入れた時代の息づかいが刻まれているのだ。
さて、新しい世界を感知したオランダ黄金時代の息吹は、日本にも伝わっていた。例えば、東京国立博物館には、1648年のオランダの地図が伝わっているし、カメラ・オブスクラは、レンブラントが日本の和紙を手にしたのとほぼ同時期の1646年に日本に入ってきたようである。このときのカメラ・オブスクラ(暗室鏡 doncker camer glassen=カメラ・オブスクラのオランダ語)は、持ち運びができる形式だったということはわかっているが、それ以外のことは何もわかっていない。ただ、日本側ではこの装置を含む品々が気に入らなくて返品したようで、このカメラ・オブスクラも、通詞の家か商館の蔵でにも入れられたのか、少なくとも日本の天文学者や絵師たちの手には渡らなかったようである。日本で、カメラ・オブスクラのような光学機器を使って絵を描かれるようになるのは、もっと後の18世紀(田沼時代)になってからのことで、例えば、円山応挙は、人物や鳥獣の形を正しく映すのに望遠鏡(遠目鏡)を使い、人間の手足を描くときは自分の手足を鏡に写して描いていたようだし、司馬江漢の書簡によれば、江漢がカメラ・オブスクラ(ドンケルカアモル、ドンケルカーモル)を使っていたのは確かなようである。18世紀末になると大槻玄沢の書物に箱型のカメラ・オブスクラ(どんくるかあむる)が登場するようになっていたから、この頃には日本でも国産かどうかわからないが、箱型のカメラ・オブスクラが存在していたようである。
ところで、オランダにおいて、レンズを通して新しい世界を発見することとは、カルヴァン主義を背景に、神が隠したものを見つけ出すことと同義であったけれども、日本のレンズ使いたちにとっては、レンズが見せる世界とは、どういう存在だったのだろう。少なくとも、当時の日本人には、レンズを通して物を見ることに慣れてしまった現代の私たちとは違う感覚があったのではないかと思う。
*表題の写真は、東京ディズニーシーにあるカメラ・オブスクラが映し出す映像を撮ったもの。
(参考文献)
☆『フェルメールのカメラ』フィリップ・ステッドマン著、鈴木光太郎訳、新曜社、2010年
☆『フェルメール デルフトの眺望』アンソニー・ペイリ著、木下哲夫訳、白水社、2002年
☆『フェルメール 光の王国』福岡伸一著、木楽舎、2012年
☆『フェルメールと天才科学者』ローラ・J・スナイダー著、黒木章人訳、原書房、2019年
☆『秘密の知識』デイヴィット・ホックニー著、木下哲夫訳、青幻舎、2006年
☆『カメラ・オブスキュラの時代』中川邦昭著、ちくま学芸文庫、2001年
☆『めがね絵新考』岡泰正著、筑摩書房、1992年
☆『大江戸視覚革命』T・スクリーチ著、田中優子、高山宏訳、作品社、1998年
☆『地図の歴史 世界篇・日本篇』織田武雄著、講談社学術文庫、2018年