マーダーボット『システム・クラッシュ』覚書
【注意】この覚書はまるっとネタバレしています。そしてグダグダ長い。
2024年10月10日、マーダーボットシリーズの新作日本版がいよいよ店頭に!
ものすご〜く期待してひたすら待ち続けたあげく、だんだんと期待外れだった場合が心配になりだして、あれこれ混乱した情緒に陥っているところで発売日を迎えた。
正直なところ、読み始めてまず感じたのはとまどいだった。ARTとのお約束なやりとりはあっても、シリーズを通じての魅力だった皮肉なユーモアや爽快感が少ない。序盤の構造はネットワーク・エフェクトにも似てるけど、ワクワクレベルが桁違いに低い。ありていにいえばつまらなかったのだ!
これは過剰な期待の反動か。もしくは自分の感受性が低下しているのか……地下を進む弊機たちと同じ気分で黙々と文字を追う。クスッとくる箇所はあれど高揚感がない。何より弊機にキレがない。生気が感じられない。うわあ〜、やっぱりわたしのアンテナが鈍ってる?
もやもやと狭い通路を歩かされている感じで読み進み(でも三号は可愛いしアイリスはカッコいい)…………..p129~p133まで来てやっと意図がわかった。遅い!
最初からくどいほど出ていた【編集済】、これだ!てっきりF○CKとかだと思ってたけど、これが病巣。なおかつ今回のテーマだったのか。その視点で見直せば、低調な前半も敢えてそうなっていたことがわかる。そもそもあの弊機がろくにメディアも見ていない。一大事じゃないか。
カウントしてみると【編集済】は全部で12件あった。
初めの3つはまあ弊機のボヤキとして受けとめることが可能。だけど4つ目p38の「【編集済】がなければ」は、明らかに異常事態の発生を指してるじゃないですか。うーん、読み逃していた自分が悪い。
でもって驚いたのは5つめの【編集済】p64!!!!!
読み返してみれば、ここに弊機の葛藤がしっかりくっきり出てる。やれやれ系のふりをしつつも「あらゆるものに対応」して守りたいという強い願望と、それを許さない自分の状況が【編集済】の一言に集約されているじゃないですか。
さらに6つ目p66では2.0をしのび泣き言をいう【編集済】も。これ弊機らしくないし、2.0も弊機なのに自分とは分離して考える病的な傾向が出てる。後々の伏線にもなってるなあ。最初はここもすっ飛ばして読んじゃったけど。
もうそのあとは、これでもかとばかりに【編集済】=過去のクラッシュが出てくるんだけど、自分はどうしてこれを見逃しちゃったんだろう。何かトラブルがあったんだなとは思っていたけど、そのうち説明されるだろうと考えずに読み進んでた。
【編集済】をたどってみると、弊機が自分の「やりたいこと」と自己不信の間でめちゃくちゃ葛藤していることがわかる。あああ、気付かなくてごめん。
4章のラストp114に11個目の【編集済】がある。ARTドローンに「警備コンサルタントはおまえだ」と力強く言ってもらって安心する反面、それを遂行できない恐怖と自己嫌悪を無理やりにこの3文字の中に押し込めている。あああ、つらい。
最後の【編集済】は5章p119、三号がアーマーを貸そうと言ってくれた可愛いシーンに関連して出てくる。そうだね。自己不信に陥っていると逆に人に頼れなくなるよね。素直になれずプライドを回復しようと突っ張って墓穴を掘るよね。
そこで出てくるラッティの丸いハッチへの恐怖話。これもおもしろいなあ。根拠のない枯れ尾花の恐怖が、弊機の自己不信とリンクしてるなあ。いったい自分は何を怖がっているのか。正体がわかれば恐怖の8割がたは克服できそうだけど、その直視することがコワイんだよね。
p122 その"暗示に敏感な者"はただのおばかさんです。
いつもの人間批判がブーメランで自分に返ってきているのに、今回の弊機はそれに気が付いていない。これまでなら直後に「はい、わかっています。すみません」とかのフォローが付くところだよね。
弊機が怖がっているのは弊機自身。以前は大量虐殺した自分を恐れて統制モジュールをハックしたわけだけど、今回はクラッシュするかもしれない自分を恐れている。
その恐怖は実はずっと存在していたもの。人間を守りたいという欲望を自覚したとたん、守れないかもしれない(傷つけるかもしれない)という不安も誕生する。意志と不安は双子の兄弟だね。
以前に「何をしたいか」聞かれて答えられなかったし、感情について聞かれるのを死ぬほど嫌がっていた弊機けれど、それは自分と向き合うのが一番怖かったからだろうな。いくら能力がチートでも、最大の難関は自分自身の(いつも否定している)人間的な情緒と向き合うことなのかな。
弊機のトラウマを無視して楽しいアクションを展開することもできたろうけど、作者様はその道を選ばなかった。これすごいな。
そもそもこのシリーズは、下手すれば、転生系でよくある”オタクが無双する″物語の相似形にもなりかねないでしょ。やれやれ系のオタクな弊機が、皮肉を垂れ流しながら悪党どもをやっつけ仲間を守る爽快感。それはそれで確かに面白いし気持ちいいんだけれど、数回すれば飽きが来る。成長もない。何より自己満足ポルノになっちゃうことは作者様がよく知っている。
だって思春期ティーンズのように未成熟で不安定な情緒を抱えた弊機だもんね。そこを突破しないと次には進めない。物語がご都合主義の絵空事になっちゃう。
当初の弊機は、人を殺傷した(はずの)過去と、いつ暴走するやもしれぬみずからの状態に気が付いて統制モジュールをハッキングし、正体を隠しながら警備ユニット役を遂行していた。メディアに耽溺=逃げ込むことだけが唯一の喜びであり望みだった。
意志に反して奴隷として道具として殺人機械として使われるのだから、人間に対して怒ってもいいと思うんだけど、弊機はとにかく人を傷つける恐怖におびえていた。"弊社"を嫌ってはいても抵抗や復讐は考えず、自分の罪や危険性から目をそらすのに必死だったんだろう。
メンサーはじめプリザベーションの人々に出会って自分を受け入れることを少しずつ身に付けて行った。最初の反応はまた逃走だったけれど、それは自分と向き合う旅でもあった。またその過程で得難い友人ARTとも出会った。
ところでさ、ラビハイラルで慰安ユニットを解放したら暴走したって話、過去作に描かれていたっけ? ああ、違った。読み間違いでした。暴走を“覚悟した”だ。その覚悟をもって解放したって話だね。
しかし弊機は2.0の説得能力を過大評価しているね。追い詰められてとっさにやっただけで、たまたま成功したものの、あのとき三号が暴走して人間を殺さないという保証はなかった。ヘルプミーファイルを添付したのは大手柄ではあるけれど、もし2.0がこれを聞いたら「その恐怖を自覚したうえで実行する勇気を持つとはさすが1.0ですね」とかなんとか皮肉たっぷりの口調でしれっと言いそう。
弊機の世界が少しずつ広がっていく。顧客を守りたいという欲求が前面に出てくる。メンサーを守りプリザベーションの人々を守りたい強い気持ち。
自分を犠牲にすればできないことはない。その自分を人間が救ってくれた。何度も。
「やれやれ」の裏側にある恐怖や自己不信や自己嫌悪や厭世観やあれやこれや。メンサーにカウンセリングが必要なように、弊機にもメンタルケアがたっぷり必要。前にバーラドワジがケアの必要性を指摘してたけど、これまではそこんとこをすっとばしてきた。
で、今回は起承転結の転じゃないかな。
これまで積み重なり、何とか抑え込もうとしてきた矛盾が露わになる。ならざるを得ない。自分自身と向き合わなきゃいけない段階。
弊機のトラウマが、顧客じゃなく自分の右足が食べられるという形をとっている点も興味深い。あの”存在しない記憶”は、顧客が食われる恐怖と自分自身が損なわれる恐怖がシンクロしているってことだよね。だから他者ではなく自分の右足なんだな。
前向きに解釈すれば、弊機はやっと自分の感情と向き合うことを覚え始めている。自分自身を放棄しているあいだは、他者を大切にすることもできないしね。
で、中盤過ぎp199の怒りは感動した。
あきらめるべきか......いやです。ここにいるいまいましい人間たちを救いたい。
ここ!すごく嬉しかった。わたしとしては今回最大の山場!
何も知らず奴隷化されようとしている人々を救いたいと強い調子で言う。
人を救うことは自分を救うこと。
自分が物語に救われたように、三号がヘルプミーファールに共鳴したように、見捨てられた惑星の人々を(武力ではなく)物語で救えるかもしれないと気が付く転換点だと思うんだ。
怯える自分を救い、世界と健全な関係を結ぶためためには何が必要か。
MBDは傷ついた自己の救済と恢復の物語。
自分を救うことが人を救うことになるという物語でもある。
自分と向き合ったとき、弊機をとりまくたくさんの人々が見えてくる。
MBDはヒーローとしての弊機ではなく、たくさんの普通の(でも有能な)人々の力を信じる物語だ。
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