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鬼滅の刃の岩を探して秩父札所31番の観音院へ(小鹿野町)
私も姪っ子に聞くまで知らなかった『鬼滅の刃』ですが、竈門炭治郎が修行で岩を切るシーンがあります。
奈良県にそのモデルとなった石があるのだそうですが、同じく修行の身(私は巡礼の修行だけど)の私としては、秩父札所を推したいと思います。
鬼滅の刃は全部読んだわけではないですが、秩父がいっぱい出てくる「あの花」は、全部見ましたので、アニメ聖地に行きたい人の気持ちもわかります。奈良県よりも関東地方の人は秩父はいかが?
それに炭治郎や禰豆子の出身地は雲取山ではないですか?奈良県よりも、秩父(というか小鹿野町)のほうが近くありません?
埼玉新聞の記事に、「鬼滅の刃のシーンに出た岩に似ている」と載ったとかで、地元民の一部には人気が出始めている場所なのです。
それは、札所31番の近くです。秩父札所といえど、秩父市内ではなく、小鹿野町にある観音院です。
今回は、札所31番のご紹介を兼ねて、今、大ヒットの『鬼滅の刃』の岩の場所も紹介します。
わかりやすい場所なので、間違えることはないでしょうが、山は怖いですから、オンコースでないと思ったら引き返してください。
それと初夏から秋は、熊の出没にも注意です。しかし、他の聖地よりはわかりやすい場所だと思うのです。
鬼滅の刃の岩をご紹介、とはいえ、観音院に行った話から書いていますので(駐車場近く)その写真が後半になっています。
先に竈門炭治郎が切った岩に似ている岩が気になる人は、目次をクリックしてこの記事の中身は飛ばしてください。
炭治郎の岩も探すが、秩父の巡礼道からスタート
まずは、西武秩父から栗尾行きのバスに乗りました。
今回は、炭治郎の岩のこともあって、いつものように江戸巡礼古道からの道ではなく、バスに乗りました。
とはいえ、なるべく江戸巡礼古道を歩きたいので、バス停から5分ほど歩いて、三田川郵便局のそばからスタートです。
バス停すぐそばには鷲窟山観音院入口の寺標があります。
秩父札所31番観音院の周辺の概要図
今回は、この看板にある「茶色の道」を歩きます。
この看板は、観音院すぐそばにあったのですが、わかりやすいので、これで説明します。
この地図で国道のところに書いてる「郵便局」がスタートになります。
三田川郵便局近くの大竜寺温泉スタンドから入っていく
国道から入りますが、江戸巡礼古道を使うので、面倒ですが、30番からの江戸巡礼古道としては一番近い三田川郵便局まで行ってから、スタートです。
順打ち、順番で歩いてなくても、ここにはこだわると。
向かって右に「小がのみち」とひらがなで書いてある、千部供養塔です。
三田川郵便局近くの国道から入る道すぐのところにあります。
国道はさんで、後ろに見えるのは、国道沿いにある、温泉スタンドです。大竜寺温泉スタンド。ここで温泉を販売しているようです。家でも楽しめるということかな。
温泉を味わいたい人は、こちらには車で、どうぞ。
ちなみに、34番、結願寺である水潜寺の近くにも温泉スタンドありました。
温泉の話ではなく、巡礼道です。向かって左は、「三十一番道」と書いてあります。かなり薄くなってますが。
先程の概要図にもありますが、しばらく歩くと、岩殿沢の花桃で知られる岩殿沢に架かる宮平橋があります。
本来の江戸時代の巡礼道は沢のほうへと降りて、向こう側に渡るのです。
冬だからか、確かに水は少なく渡れそうな感じですが、道がわからない!
それで宮平橋を渡っていくことにしました。
三十一番入口の石碑
仕方なくそのまま橋を渡り、しばらく歩くと、三十一番入口の石碑がありました。
本来は沢を渡って上に上がると、この石碑のところに出るそうです。
この「三十一番入口」の石碑ですが、向かって右には、「従是二十五丁」と書いてあります。
ここから丁目が始まることになります。私も初めて観音院に行ったとき、本堂までの階段に「○○丁目」の石があっていったい、どこからスタートして決めた丁目なのだろうと思ってました。
そうしたらここから起点なのですって。いや、基点なのか。
しかし、丁目の順番ですが、めちゃくちゃな部分もあります。こうものに詳しい人がみたら、正しい順番につけてあるのかもしれませんが、私からみたら、順番めちゃくちゃに感じました。
前回は、花桃が咲く頃でここの橋、岩戸沢の付近は花桃の印象が非常に強く、こんなお社あったか?
赤い橋は覚えています。
赤い橋を渡ったら、たらちね観音です。ホント、ここら辺は、3月終わりから4月初旬くらいに来るとハナモモがきれいなのです。東秩父のハナモモが咲いたというニュースをみたら、場所は違いますが、時期としてはその頃がいいかと。
ハナモモの時期に行ったときの写真は、こちらの記事に。
観音院は岩殿沢のハナモモ、たらちね観音、地蔵寺を見ながら31番秩父札所
たらちね観音の八つの祈願が書いてありました。これは覚えています。
ただ、後ろの白い建物は忘れていました。
大日堂に立ち寄る
前回も大日堂とお地蔵様を入れて写真撮ったような。
お地蔵様と石仏と石碑が大日堂のそばに立っています。
中をみたら、本当に大日如来像がありました。双体道祖神も祀られているそうなのですが、そちらはわからなかったです。
他にも仏像はありました。
七丁と書かれた謎の丁目の石碑です。
突然、七です。
大日堂から歩いた先、道の左側、草の中にあるとのことで、大日堂からずっと景色も見ずに左を探していました。
大日堂から4分ぐらい歩いたところだったかな。探しながらだったので、200m程度歩いた場所だったか。
通り過ぎてから付近の様子を、と思って振り返って撮った写真。
七丁目石は、この先になりまして、写っていないみたいだった。
しかし、このような道を歩くのだとイメージしやすいかと思い、載せておきます。
水子地蔵で知られる地蔵寺の手前です。
茶店の先に、十二丁目の石と馬頭観音のような石仏がありました。
水子地蔵の多さと、桜満開の様子は、前回、行った時の記事を。
こちらの記事に。
岩殿沢のハナモモ、たらちね観音、水子地蔵寺を見ながら31番秩父札所
水子地蔵寺からさらに歩くと、その先に観音山トンネルがあります。
本来の巡礼道は観音山のトンネルに向かって左側にあるとのことでしたが、これは歩けるのかと思いました。
が、帰り道側の反対側からだと歩ける道だとわかりました。
観音山トンネルを抜けたら十五丁
埼玉県の報告書では、地蔵寺近くにあると書いてあったのに、トンネルのところにあった「馬頭観音の石碑」と石仏です。
馬頭観音と書いた横に、十四町?目。丁目が、なんか変です。
七丁目の次が、十二丁目、これは十四。
帰りにトンネル横の巡礼道を通りましたが、行きは観音山トンネル内を通りました(帰りに見たら、道がわかったため)。
なぜならこの石仏付近は笹の木や草が生え放題です。
トンネル出たところに、十五丁目の石。
トンネルを出るとなぜか、西国や坂東、秩父もだと思いますが、百観音のお寺名を書いた札が道の両側のガードレールの下などにありました。
山門の仁王門に到着。
山門手前にあるという「右 巡礼道」の石碑は、どれなのか。
近寄ることができず、向かい側から写真を撮りました。
仁王様は一木造りならぬ一本石造りです。日本一の仁王尊です。
高さ4メートルだから日本一なのかな。明治元年に完成です。
山門前の橋を渡って近寄ってみましたが、分かりません。
三十一番の石碑はあるのですが。
いずれにせよ、巡礼道ではありますが、ここまでの写真を見てもわかるように、舗装された道ばかりですので、昼間歩くには、山で遭難ということにはならないでしょう。
山門に向かって左は、渋沢誠室書の石碑。
供養塔と兼ねた三十一番入口の石碑です。これはすぐにわかります。
小鹿野町の観光八景は「札所三十一番と日尾城址」です。
昭和60年に制定とのこと。城好きの人は、札所より日尾城址でしょう。
山門を入り、向かって左は手助け仁王の手。1年間、あなたをお助けします、とのこと。
札所二十五番みたいなお手判があるのかな。
「念ずれば花開く」です。仁王様の手が大きい。
296の石段を上る
向かって右は平成13年8月に岩盤が崩落したことの注意書きが。
観音院に本来ある西の奥の院もこのことがあって、今は入れず、なのです。
ここからは、296段の階段をのぼります。般若心経と廻向文を階段上るごとに一文字唱えたら、それで終わり、です。
廻向文は、「願わくばこの功徳をもって~」の文ですが、「願以此功徳~」と漢文で読む場合と両方ありますね。
ここでは、漢文読みと般若心経をあわせると、296文字=階段の数、ということみたいです。「佛説」は抜かして276文字+20文字です。
その後ろに、丁目の石を見つけました。
廿一丁目です。
山門裏は、廿一丁目から。
階段は曲がったり変化に富んでいるので、札所26番岩井堂前の階段のような辛さはないです。
途中で句碑など読んで休みながらでいいのです。
廿一丁目の先は、石の階段供養塔です。
天保十四年に、石段供養塔を比企郡熊井村(今の鳩山町)の人、根岸惣右衛門さんが、奉納したようです。
わかります。階段多いし、岩多いし、落ちたら怖いですものね。供養塔を造りたくなります。
さらに登ると、廿ニ丁目の石を発見。
次は廿三丁目の石。
お地蔵様や俳句を書いた石碑も多いです。
その後に、十二支霊場としての菩薩など。千手観世音菩薩、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩など。十二支の守り本尊ですね。
これは比較的新しい廿四丁目の石。作り直ししたのかな。
まだまだ登ります。般若心経は唱えてないので、あと何段だろう。
左に、秩父歌舞伎の先祖、坂東三十郎が建立の石碑です。
手前にはお地蔵様、後ろには句碑。句碑は多いですね。
もうすぐ到着。
西の奥の院への道が、通れないようになっていました。
もう二度と行けないのかな?せめて、御開帳の時には行けるようになっているといいな。
廿五丁目で観音院の本堂に到着
到着です。
二十五丁目の石碑。これも新しい石碑です。
宮平橋を渡ったところにあった「三十一番入口」に向かって右に書いてあった「従是二十五丁」のとおりです。
この石は鐘の前にあります。
お地蔵様の後ろの鐘を叩きます。
鐘は、必ず、参拝前に。帰りに叩くのは、縁起悪いそうですよ。
釣鐘の上は、龍の形です。釣り鐘を釣っているところの柱にも何か模様があります。
鐘の彫刻は天女が舞う姿。下は、龍かな。
西の奥の院に入れないので、ここに書いてある「滝の上の洞窟石仏」は近くで見られず(ただし、東奥の院に行く途中で、振り返って本堂を見渡すようにすると、その先に遠くからですが見えます)。
境内の目立つ場所には、宝篋印塔。
その後ろには、磨崖仏。
弘法大師像、
後の穴の中のが弘法大師像みたいでした。
手前の記念碑ではなく。
今、見ると、大きい石仏が弘法大師像みたいですね。半分しか写真に写っていません。
横の小さいのは弘法大師ではないみたいでした。これだけ前のほうに出ていたので、間違えました。前回の時に写真は撮っていたから、ヨシとします。
手前に句碑がありました。
春秋庵加舎白雄が天明年間に来訪した時の句。
江戸中期の有名な俳人だそうです。
「江戸に春秋庵を開く。蕉風の作法を説いた『俳諧寂栞』などがある」
「かくのごとく瀧にぬれけり旅ごろも(御呂母?)」
よく読めませんが。
階段のところには、たくさんの句碑がありましたが、明らかに、この句碑は扱いが違います。
礫質砂岩の磨崖仏
磨崖仏です。
石や岩好きの人にも興味持ちそうなところにあります。
岩肌の上部には、「南無阿弥陀仏」と掘られているのだそうですが、それに気が付かなかったです。
それよりも、蜂の巣みたいにボコボコ穴が開いているのが気になります。
磨崖仏は、ボコボコ穴も開いている岩肌のしたのほうに、密集してあります。
弘法大師の爪堀りの石仏だそうです。十万八千仏あるそうですよ。
地中にも残っているそうです。
ブラタモリでも紹介されたように、そもそも大昔は、秩父湾、海の底でした。
海底に小石や砂が積もってできた礫質砂岩に掘られています。
清浄の瀧。今の時期は水が少ないみたいでした。写真ではわかりにくいですが、たしかに滝の水は落ちています。
お不動様の上の岩。
こういうのは、もっと遠くから撮ったほうがよかったかな。
不動明王を中心にして、岩壁を写真に。
これでお不動様の上にある岩がてっぺんから、下までわかるかと思います。
合体させたらもっとわかりやすいでしょうが。
不動明王の前の石仏、お地蔵様、石碑など。
まずは観音堂の階段を上りまして、般若心経を唱えます。
観音院と書いてある額が立派です。
観音堂から降りて、向かって右手に大師堂。そのさらに向かって右は慈母観音のお堂。
慈母観音の後ろの岩肌にもお地蔵様。
納経所の前に、高桑闌更(たかくわらんこう)の句碑
「山蔭や 烟の中に 梅の花」
隣はお社?だったかな。
東の奥の院へ
東奥の院のミニハイキング。
ミニなので、一周15分くらいです。
まずは新生代第三紀の岩を見ながら。
花崗岩砂礫、ノジュール。核になっているものがボコボコみえます。
まるでボルダリングの壁にある出っ張りのようです。
奥の院は、けっこう、ワイルドなく道なので、靴はスニーカーやトレッキングシューズを。
ハイヒールやサンダルは、ムリです。
誰かが参道の石に、掘った「一九八一 七月」漢字だから、若い人ではないだろうな。
前回来た時とは、逆周りに。
見える景色も異なります。
観音山に至る、という矢印も覚えていません。
ハイキングできるのですね。そういえば、縦走できる、とか以前来た時書いてありました。
みえてきたのは、石仏群。
「馬の蹄の跡」と言われる場所があるところです。畠山重信の馬を休ませた場所、と言われるところに蹄の跡らしきものがあるのです。
こちらから見ると、岩がせり出しているのがわかります。
お社があったのは覚えていましたが、天神様だったとは。
ここら辺も、石や岩の好きな人にはいい場所。
大きな岩が覆っています。
洞穴にあると言うべきか。
これぞ、かぶり岩。石仏の上に、かぶっております。
先ほどのものより、かぶり具合がわかりやすいです。
ぐるりと回って、丘というのか、登っていきます。石仏が眺める先を一緒に眺めます。高所恐怖症だとつらいかも。
座っているほうは、弘法大師像なのかな。
芭蕉の句碑。香塚と書いてあります。
「清く聞かん、耳に香たいて、子規」
子規かと思ったらほととぎす、です。
こちらが、東奥の院。
まだ、ひとつ、松が付いていました。
正月用の飾りでしょう。
このすぐ横が宝篋印塔だったのに、台座しか写真に写っていません(笑)。
いかに松の木に目が行っていたかの現れ。
東奥の院に来ると、高台なので、山もよく見えます。
観音山と大石山。前回来た時はもっと緑多い山でしたが、さすがに冬です。
山登りの人には、有名なのかな?
矢抜け穴はどこか
以前に来た時は、どこをどう探してもわからなかった、「矢抜け穴」。
畠山重信の家臣が射った矢が通したという岩穴らしいのですが。
なんとなく、これかなと思うものが、冬だからなのか、わかったような。
まったく自信はないですが。
即身仏の墓を拝んでから下りる
東奥の院のミニハイキングコースをひとまわりして、本堂まで、戻りました。
最後に、即身仏を拝んでから、元来た道を戻ります。
登りの時は、清浄の滝に気を取られますが、観音堂前に到着したら振り返ると、この即身仏が見えます。振り返らないとわかりません。
即身仏は明治の時代でも、あったのですね。
87歳におなくなりになったようです。
日高市の霊厳寺近くにも、即身仏の入定塚があります。
観法法印の即身仏の墓を見ながら、階段を降りまして、今回のメインとなる、鬼滅の刃の炭治郎が切った岩に似てる岩を探しに行きます。
住職さまに道を聞いておいてよかったです。ホント、間違うところでした。
鬼滅の刃の岩に似ている場所へ
観音院の山門から更に奥へ向かうと、駐車場があります。山門に向かって左側です。
車で来たことないから意識していなかったけど、トイレがあります。
新しい感じがするので、できたばかりかな。駐車場もきれいです。
その後ろの山へ少し入るのです。
橋を合計二回渡ります。
前からある橋(古い橋)と、簡易的な橋(新しい橋)。
まずはこの日尾城址や牛首峠に向かう入口から山道への橋を渡ります。
「札所三十一番入口ではありません」と書いてあります。わかりますよね。
西の奥の院が行けた時は、こちらからトライする人がいたのかしら?
他にも間違いやすい岩があるそうですが、私が間違えそうになった岩です。
すぐに見つけて、これか!と思ったのです(早すぎ)。
しかし、やけに切り口が広い。間に木が生えてるのがおかしいと、思いました。
そういえば、回り込むようにしてから、その先ある、と住職さまが言っていたことを思い出しました。
炭治郎が切った岩は木の橋が目印
カーブした道を歩いた先に、この橋です。
真新しい木の橋です。日尾城址や牛首峠に行くハイキングの人は、これができて通りやすくなったことでしょう。
ここの横がまさに、切った岩。
そばに目印なのか、太い枝がありました。
これを使って岩を切ります!
本人は、刀と思って切ってます。
岩って、切るものだっけ、からの、スパっと。
もっと遠くから写真を撮りたいですが、なんせ先程の木の橋が落ちそうで怖い。
橋のこちら側まで来ると、岩の「切り口」が見えるのですが、
このようにカーブした道なのです。だから通り過ぎてしまいそうな。
私が間違えた岩から先程の炭治郎が切った岩に似ている岩をながめます。
岩の手前に木の柱が置いてあるので、それも目印になるでしょう。
かと言って、あまりに奥まで行くと、前もって牛首峠に行く人ならともかく、山道を間違えるおそれもありますから、駐車場からは、それほど離れないうちに戻ってきましょう。
駐車場へ戻り、山門に戻りました。
国道、栗尾バス停を指し示す方向へ戻ります。
元来た道ですが、三十一番入口の石碑(横に従是二十五丁と書いてある石碑)で宮平橋方向に行かず、そのまま真っ直ぐに歩きます。
三十一番入口の石碑の近くで、沢から上る途中にあるという馬頭観音を再度探しても分かりません、
三十一番入口の石碑の隣には、なんとなく、神社の入口みたいな石柱がありました。
「明治三拾八乙巳三年?建之」の石柱と隣は、「氏子中」とあるので、神社かなと。
ここから下に降りて見ましたが、見えるのは行きにみた宮平橋
さらに降りたら、岩殿沢なのでしょうが、道がよくわかりません。
住宅地だから、遭難することはないでしょうが。
しかし、これくらいにしておいて、上にあがることにしました。
なんか文字が浮かんでいる石はあったけど、これは違うでしょう。
今度は宮平橋方面に向かうことなく、右に行かないで、真っ直ぐの道を歩きます。
しばらくすると、ちちぶ路吉田牧場みたり(ただし冬期間は休み)、お寺をみたり。
神変嶽参道入口と書いてある場所もありました。
私は札所めぐりなので、いつの日か行ってみましょう。
神変大菩薩は、役行者ですよね。ここ岩殿沢に修験道でもあったのか?
神変嶽刀利天大延寿神の由来などが書いてある場所がありました。
佛の里、花街道の看板もありました。
新柏木橋と思われる橋の前には、このようないろんな石碑ありました。
とにかく、ここまで来れば国道はすぐ近くです。
国道に出たら、バス停は近いです。
バス停近くにあった石碑と石仏、如意輪観音さまっぽいですね。
それと赤い屋根の観音堂です。
観音堂には、十一面観音と書かれた額がありました。
中をみたら、十一面観音様でした。十一面観音座像かな。