みんなひとり、それぞれの地獄に優しくありたい
今日はパワーレスな日。処理しきれない感情がたくさん爆発していて、どうしたもんかなあ、と自分をうざったく思ったり。
そんな日でも朝からお化粧をして、レッスンの準備をし、レッスンをこなし、1人で遅い昼ごはんのラーメンをすすり、コメダ珈琲でキーボードを叩いて月末の仕事をこなし。
パワーのあるなしに関係なく日々は続きます。
今日レッスンに来てくれた人も、もしかしたら実は嫌なことがあって今日はちょっと歌う気分じゃないんだよねーと思っていたかもしれないね。
今をときめく歌手の藤井風さんの歌で、Workin' hardというのがあります。簡単にいうと、みんなよー頑張ってるね、という歌。
私はこの歌が好きで、まさにそんなことを考えていました。みんなよくもこんな健気にさ、頑張ってるよねって。みんなです。生きてるとしんどいことなんてたくさんあるし、自分に疲れちゃうことだってあるのにさ、毎日息吐いて吸って、本当にえらいなーと思うのです。みんなえらいえらい、よしよし。
で、ですね。ここからが今日の私の頭の中(笑)
実は以前このWorkin' hardが頑張れない人間に疎外感を感じさせる、とSNS上に書いている人を見かけたんですよね。
その時、あ、確かにこれはしんどいよな、と……この曲の内容ではなく、そう感じてしまう状態が、つらいよなあ、と思ったわけです。
必死に頑張ってる人にはその人の苦しさ、もどかしさ、やりきれなさがあって、頑張りたくても頑張れない人にはその人の苦しさ、もどかしさ、やりきれなさがあると思います。これはね、全く別物じゃないでしょうか。
その人だけの苦悩、葛藤、戦い。そういうのを私は「それぞれの地獄」と呼んでおります。
色んな人がこの言葉を使っているけど、そもそもは古代ローマ詩人ウェルギリウスの言葉「誰もがそれぞれの地獄を耐え忍ぶ」だそうです。
紀元前の言葉!なんと普遍的な観念なのであろうか。
それぞれの地獄……なんていうとなんてネガティブな言葉!と思ってしまうかもしれないけれど、
私はこれを心得ておかないと、人生はもっとハードモードになっちゃうんじゃないかと思ったりもします。
あからさまに苦しみの中にいる人だけでなく、お金持ちのあの人も、モテモテなあいつも、事業に成功している彼も、有名な芸能人も、みんなそれぞれの地獄を背負っているわけです。
そしてそれは決して理解し合えないもの。他人の地獄を少し見せてもらうことや、触れさせてもらうこと、自分の地獄に近しいと感じることもあるかもしれないけれど、決して理解できるものではないんですよね。
血が繋がっていても、家族でも、恋人でも、親友でも、本来は介入できないと思うんです。
それを心得ていたら、誰かのことを奇妙に羨んだり、妬んだり、「あんたはいいよね」なんて思わなくても済むはずなんですよね。
あんたはいいよね、そんな風に考え始めたら、本当に逃げ場がなくなる。私の方がもっと辛くて苦しくて可哀想で……地獄の深さ勝負、そんな戦い方するのが一番哀しいってもんです。
その人の地獄はその人だけのもの。私の地獄も私だけのもの。わかってたまるかいな。それでいいのだ。誰にも譲れないし、誰にも奪われない。ある意味、自分にとって、自分が自分であるかけがえのない証だし、自分だけの相棒でもある。
疎外感なんて感じなくていい。
そもそもハナからみんなひとりぼっちな訳です。それは全然哀しいことじゃなくて、なんというか世界の法則みたいな、もっと淡々としたものなんじゃないかと思う。
「みんなひとり」て松たか子さんに竹内まりやさんが書いた曲あったな。
まりや……本当に素晴らしいアーティスト……。
ハナからひとりぼっちな私たちが、決して理解できない多種多様な地獄を抱える自分以外の人たちを、否定せず、認めて、その地獄にせめて優しくありたいと思う。
それだけが光で、希望で、共に生きる意味なのかも……とそんなことを思ったりした本日です。
ただの体調不良から妙に壮大な思考になるタイプ🤣
今日も皆様おつかれさまです。