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30代はほどほど。なるほど。

これ、宇多田ヒカルが以前行った配信イベントのタイトルなんですが、なんだか2025年始まってしばらくした36歳の私になんだかぴたっとはまる言葉。2025年をどう生きるべきかを改めて考えています。
30代はほどほど。まさに、それです。

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日々世界の文明というのは確実に展開していて(進化しているとも言い切れないことは多々あるだろうけれど)、私たちが10代の頃は考えられなかったようなテクノロジーを今のティーンは使いこなしていて感心します。歌を歌ったり作ったりする人間としては、驚くほど年若いアーティストが、思わずうなるような音楽を作り詞を書き歌を歌うなんてのが当たり前で、なんじゃこらドラゴンボールの世界やんけ……と思うわけ。
子、孫と戦闘能力が爆上がりする世界観ですよ。
クリリンを殺されてやっと悟空が得たスーパーサイヤ人の力を、孫は知らんうちに得ちゃうんです。能力値のインフレは留まることを知らないなと。

逆に30代というのはまさにハザマの年代で、若い世代の能力値のインフレーションに圧倒されながらも、とはいえまだまだ現役をひた走る実績や経験では到底かなわない上の世代がいる。20代というわずかながらも自分なりに試行錯誤しながらやってきた期間への自負もあり、上の世代が知らない新時代の知見を得ている可能性も……まぁあるかもしれないし、同時に未来への不安も、まだ己に足りていないことの自覚や焦燥もあるにはある……。
あら!こりゃ、なんと微妙な年ごろかしら。

以前ある先輩に「30代しんどいでしょう?40代になったら楽になるよ」と言われたのだけれど、その時は「そうでもないけどな、30代楽しいけどなあ~」と思っていました。でも、最近になってその「しんどさ」の存在みたいなものにはたと気づきまして。
確かに30代ならではの「しんどさ」の存在感ってのはあるある、なんだこれは?と。
それでずーーーっとその「しんどさ」の正体について想いを馳せておりました。

自分なりに思案を重ねて、一つ自分なりの答えが出たんですけど。
「30代の自分」に自分自身が抱く期待というのが「しんどい」の理由なのでは?
なんの経験もなかった20代の頃に比べたらきっと積み上げも多少はあるはずなので必然的に自分に課すハードルも高くなるわけですが、
その「ハードル」である自分への期待というのは常に自分への疑念や、空回りと背中合わせなのかもしれない。
自分が自分に抱く期待に応えられないかもと少しでも思えばそれは自分への疑念に早変わり、かえって自信を損ない不安になるばかりだし、
どうにか期待に応えたい応えられるはずだ!と思うとその裏付けが欲しくなって過剰な自負みたいなものを発してしまったり。
どちらも最終陥ってしまうのは、誰かに「あなたは大丈夫だよ」「あなたは素晴らしいよ」「期待通り、いや期待以上の価値があるよ」なんて太鼓判を押してほしくなったり、誰かの評価を頼りにしてしまって、
自分の足元が自分で見えなくなるというパターンなのかも。

30代のしんどさって、自分という存在の落としどころを見つけるというか、自分で自分の役割を取り決めることの困難さのことを言っていたのかも?
なんてふと感じて、「30代しんどいよね」の言葉に思わず膝を打った近頃でありました。

じゃあ、そういう「しんどさ」の存在を感じつつ、30代を健全に走りきるには何が重要なのかなあ?と考えた時、
「ほどほど」かも。
……とふと頭によぎったのです。

『20代はイケイケ、30代はほどほど、40代はいろいろ』
どれも、宇多田のネットイベントのタイトルなんですが、
はーーーーーーん、なるほどすぎるやろ!
宇多田ヒカルは昔から大好きですが、この絶妙なバランス感覚がたまらんのだなあと再確認(笑)
私の思う「ほどほど」は「適切」とか「いい塩梅」みたいなこと。
左右から引っ張られているような平均台の上でも、どっちかに偏ることなく、ゆらゆらしながらもふんわりと、一歩ずつ前に進めたらいいよね、という感覚のことです。

じゃあじゃあ、その「ほどほど」をどうやって体現するのよ!ってなると、自分を自分で大きくも小さくも見積もらず、自分の物差しで確かに測量していく必要があるんだろうなあと。
いわゆる「自分の棚卸」的なことなのかもしれませんが、多分30代の私たちにとって、それが健全にこの時代を走りきる鍵になってくるのではないかしら。

でもさー、これ、なかなか難しいぞ?
ふとした時に思わず「しんどさ」に飲まれそうになるやん?
自分を大きく見せたり、小さく見せたりしちゃうやん?
誰かに太鼓判押してもらったり、誰かの物差しで「あなたはすごい!大丈夫!価値がある!」って言ってもらいたくなるやん?
自分の中の「しんどいちゃん」がニョキッと顔を出すやん?
そこをさ、うるせーーーーーーー!!と「しんどいちゃん」の頭をハリセンでたたいたり、逆によしよししたりして、思い切って他人からの測量結果を破り捨てて、もう一度自分で自分の測量をする。
これの繰り返しやんな。
ループTHEループ。
葛藤ですねこりゃ。
で、毎度自分の測量を終えて、またちょっと冷静に、「ほどほど」モードに戻ることができる。「いい塩梅」を再確認する。
慌てず、縛られず、ゆるく、ふんわり、ほどほどに。

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というわけで、36歳の目標・テーマは「ほどほど」になりそうです。
2025年はほどほどに。今年もよろしくお願いいたします。


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