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「悦」を味わいつつ考えつつ

今日は夫とおでかけ。
美術館で文化的刺激を受けつつ、自分は疲れない程度でいいわ~という距離感のもと鑑賞。自分の好きなペースで芸術にふれる「悦」。

ランチに初めて行ったカレー屋さんが好みのタイプ。
スパイスたっぷりさっぱりカレーで、薬膳的思考を巡らせながらこちらも「悦」タイム。

いただきながら先日夫に提案した「理想の暮らしイメージを絵にする」案件について、夫から質問が。
「どういう家、立地、とか考える前に、言ってる週3-4日の働きかたとかがあるんだったら、そこが固まらないと難しくない?」
そうです。そのとおり!私もそう思ってる!
けれど、ありたい暮らし方(≒自分としては生き方に近いと思っている)が実践できるように、働きかたを沿わしていくパターンもありうる気もしていて。
片方だけでは成り立たないけれど、どちらも同時に育たないと嚙み合わないというか。

お金の授業後、ミニマルライフコストの話もかいつまんでしてはいた。
というかこれまで授業で「ほ~!」って思ったことはなるべく要点を共有しようとは試みていた。

しかしお互いが考える暮らしや働きかたの話をしていると、
私のアウトプットが下手すぎて、授業で学んだ説得力の数パーセントしか伝わってないことが再確認された。そりゃあもともと関心を持って講義を直接見ている自分と、咀嚼不十分な状態でかいつまんだ2次情報を放り込まれる夫とでは、同じテーマでも全然深さが違うよなあ、、、。

やはり夫自身も雇われて働くスタイルが前提にある。
私が自営業をすることにはイメージもわかないし、無謀だと感じているよう。

手っ取り早いのは夫にも各講義を共有できたらいいが、自分の時間を使って見たいとまで思ってない人に強要するものでもなし。
ならば説得力を持つぐらい私自身がばっちり咀嚼して、夫にアウトプットする必要があるが、、、人の潜在意識を変えることも相当難しそう!

カフェでまた「悦」タイム。
一連の時間全部が悦であるのだけれど。
最近は小麦を摂取するとき“安心作用があるからちょっとぐらいいいよね~”とか考える

自分の潜在意識を変えるのも一苦労。
さらに周りの人が温かい心からかけてくれる、他人の現状維持パワーに流されないことのハードルの高さ。
ゴリ押しじゃなく、しっかり説明できて、理解してもらえて、応援する形で味方になってもらうこと。

これも生きやすさを本気で見つめる修行の過程だな。

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