【日本の離島】薩南諸島と吐噶喇列島でダイビングしながら漁船で移動する①
現在ドリアンパン学校授業のキーワードは「ドキドキポイント」「冒険心を刺激する」。
自営業者が周りからの「応援」をいただけるようになるためには、ついつい応援したくなるような「野望」をミッションとして掲げることが重要という。
田村校長の指す「野望」は、夢や目標という言葉より「野望」がぴったりな、無謀感ただようスケールの大きいもの。それでないと周りは応援できない仕組みなのだとか。
自分が開業するときの、社会に対する「野望」って何だろう?
でっかいスケールのこととは、、、。
校長の冒険談は引き出しが多く、どれも個性的。
間違いなく「ドキドキポイント」の貯蓄が半端なく多い人だ。
私も自分なりにこれまでの冒険をふりかえってみて、「ドキドキポイント」を探ってみたい。
そのなかでこれもアホだったな~と思い返したひとつがコレ。
真夜中、時化た海を突っ走る漁船に乗って
たしか30歳をちょっと過ぎたぐらいの頃。
鹿児島離島の海がもつ手つかずの美しさ、壮大さにとりつかれていた私。
同時に日常の余暇をダイビングに注力し、生きる活力にしていた時期。
この時もすっかり馴染みとなったダイビングショップが企画する島めぐりツアーに参加したのだった。
薩南諸島と吐噶喇列島の一部を漁船で移動しつつ、ダイビングポイント(海上)に停泊して潜ったり、夜は島の民宿に泊まって宴会したりというツアー。
行程は鹿児島の枕崎港~竹島~中之島~諏訪瀬島~口之島~口永良部島~枕崎港。
参加者は各地から平日の仕事終わりに飛行機やら新幹線やらで集合するため、出発は夜11時ぐらいだったような。
鹿児島空港から市内まで高速バスで1時間、そこからお迎えのワゴンで枕崎まで1時間。着いた枕崎港は真っ暗で静かだった。
乗り込む船はダイビングにも使える整備がされた漁船の類。どうやら沖釣りをする船としても活躍しているようだ。
収容人数は10人ぐらいだったろうか。
椅子は船長エリアとトイレの便座のみで、船内は平面にマットを敷き詰めた4-5畳ほどのスペースのみ。ここで雑魚寝、着替えなど一通りを済ませることになる。
ダイビングに使える船の構造といったのは、船首と船尾の足場が平面的で、ダイバーが安全に歩けるのと、船の脇に腰かけてそこからエントリー(海へドボン)できる構造になっているということ。
船内を覗き基本は風よけがないため、運転中は船内かちょっと引っ込んだ部分でじっと耐え忍ぶのだ。
このツアーで潜った海はどれもとても素晴らしくて、人間の手が入っていない地球そのものを感じた。
けれどその記憶を上書きするほど強烈に覚えているのは、行きも帰りも海が時化時化で尋常じゃなかったこと、、、。
翌日以降の海況やルートを読んで、安全な航海をしてくれた船長。
でも、時化た海の波に小さな船がぶっつかるときの衝撃ってものすごい。
海水表層を走っているはずなのに、さながら凸凹の地面を走行しているような衝撃と振動。波を乗り上げる度に船体がギッコンバッコン叩きつけられ、その都度人間は慣性の法則を体感するのだった。
真っ暗ななか波を読んで進む船長もすごかったけれど、自分は恐怖と嘔気でミノムシのように寝っ転がって固まっているしか選択肢がなかった。いや、固まっていても船内で打ち上げられるほどの振動だった。
これ何の試練だろう?
猛烈に眠いのに寝れない、、、
てか何で真夜中の南の海でこんなことしてるんだっけ?
もうダイビングとかどうでもいいから本気で帰って寝たい。
こんなことしてるアラサー女って一体(汗)
好きなことしてるだけだけど、自分の方向性がわからなくなってきた、、、云々
もう、もう気持ち悪いから考えるのはやめて無になろう。
(沈黙)
そんな感じで数時間ひたすら突っ走り、真っ暗な港に到着。
闇夜に紛れて上陸する落人ってこんな感じだったのかと思いつつ。
記憶では中之島だったけれど、竹島だったかもしれない。
着岸して船から上陸したときは、「地面が動かない!陸地って素敵!」と心の底から思った。うわぁー、コンクリート最高!思わずそのへんに身を転がして冷たく固い地面を堪能した。
ツアー一行は島の宿で仮眠をとったが、さすがだったのが船長とそのスタッフさん。
彼らにとって自前の船は快適な居住空間でもあり、そのまま船内で就寝。
長時間の運転と酔いなんて存在しないのか?停泊後はバッチリ差し入れの焼酎を飲み干して翌朝には回復していたのだった。
つづく