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夏休みの思い出
小学生のときの思い出
夏休みと言えば、大量に出される宿題がなんとも厄介でした。
最初に片付けてしまうぞ!と意気込みで、図書館に本を借りに行くものの、全然読む気にならず、貸出期間(大体2週間)はとっくに過ぎた頃、夏休みも終わりが見えてくると、ようやく本を手に取る。
しかし、全部読んでると時間がかかるので、はじめに、と後書きだけ読んで読書感想文の宿題を仕上げる。
学研の付録だったか何かを活用して、図画工作作り上げる。
学校に行くと、何人か同じようなものを持ってきていたものです。
小学生の頃から、締切ギリギリでパワー全開してやっつけるのが得意で、帳尻を合わすということは、子供の頃からしていたんですね。
夏休みのランチタイムの戦い
母親にとって、いつもは独占しているお昼のワイドショーも子供がいると勝手にチャンネルを変えられるわけです。
体温の高い子供が、家の中で好き勝手するわけですから、早く学校始まって欲しかっただろうな。と、今なら思えます。
しかし、小学生の子供にそんな大人の気持ちはわかりません。
そうめんを食べながら、テレビのワイドショーは怪奇現象の夏休み仕様。
私が子供の頃、家にテレビは1台しかない!
そんな番組を観たら、夜寝るときに思い出して寝れない私は、その番組が大好きな母親といつもチャンネルを変える!変えない!で闘っていました。
好みが真逆すぎるし、どちら頑固!
一歩も譲らない真剣勝負でした!
エンパス気質が関わっていた?!
我が家は1階が工場で、2階が自宅でした。
お昼時になると、父親がランチを食べに2階に上がってきます。
私は、助けを求めるように、父親にその番組のことを伝えると、
「自分の子孫を守ろうとする先祖はおっても、墓参りに来ないからと言って、子供らをたたるなんてそんな先祖はおれへん!」と一言。
そう言われて、安心。
そして、その言葉は今でもずっと真実だと思っています。
ただ、そう言われても・・
母親が大好きな怪奇現象のテレビは嫌で嫌で今でも嫌です。なぜ、つくりものの映像が怖かったのか?
今にして思えば、逆エンパス気質で目に見えない何かを感じていたのかもしれません。
子供の頃から、そういう世界があると何となく思っていました。
もちろん、逆エンパス気質でもホラー系、気持ち悪い系が平気な方もおられます。
人それぞれ、どう感じるかも違うし、何を感じるかも違うわけです。
平気な方は、怖いからこそ、本当はどうなのか納得したいという気持ちが強く働いているのかもしれません。
また、作り物だと明確な怖いものを観ることで、自分は安全なんだ(=ここにいてイイんだ)と思える心理作用があったのかもしれません。
泳がない母親をムリにプールに連れていった
小学校のプールは開放される日が限られており、夏休みに、母親にプールに行きたいと、せがんで何度か連れていってもらいました。
母親は泳がないので、日傘をさしてプールサイドに立っているしかありません。おそらく少し離れたところに日陰とベンチがあったのですが、それだと一人で私をプールに放置することになるので、できなかったのでしょう。
嫌々、渋々プールに連れて行ってくれた母親に、子供の頃はめっちゃ不快感をハッキリ現わしてました。
そして、母も負けず劣らず、不快さを私に伝えてきました。
高学年になると、毎日開催される水連学校に入りました。
毎日へとへとになるほど、結構スパルタな水連学校でした。
きっと、そんなこんなで、一人で電車に乗っていける学年になったら、水連学校に入れたのだと思います。
おかげでクロールや平泳ぎができ、水泳は楽しかったです。
どちらも譲らない頑固さ
小学生のときは、どうしても子供が不利です。
自分一人では生きていけないのをわかっているからです。
私はお年玉をもらうとキープしていて、何か我慢できないほど嫌になったら〇〇の親戚の家に行ったら受け入れてもらえるだろうと思っていました。
父も母も頑固だし
兄弟も絶対折れない、頑固者の集団が家族として暮らしていました。
特に、父親絶対な昭和な時代。
母親からすると、それでも折れていたんでしょう。
食べるものについては、母親の分まで食べてしまうことがありましたが、
「全部食べたら、私の分ないやん。」と、言われたことは何度もありますが、それ以上怒りをあらわにされることはなかったので、折れていてくれてたんですね。
楽しいと思わなかった小学生時代
私の人生が混迷を極め、両親に対する不満をいつも口にしていた頃、知人のコンサルから人生棚卸を勧められました。
と言われても、私の人生は損ばかりさせられて、特に小学生とか全然思い出せないと思っていました。
小学生時代は、イジメにあってたし、そのことがあってから自覚しているほど人の様子を見て自分の行動を変えていたので、家にも学校にも安心できる居場所がないと思っていました。
でも、人生棚卸をしていくと自分の中に残っている記憶はあくまでネガティブなことだけだったことに気づきました。
言い訳なんて聞き入れない、とにかく怖い父親と
父のグチを言うし、何かしてというと面倒くさそうにする母親
きっと、私には優しい本当の両親がいるはず。
それを信じていた小学生でしたが、そうでもなかったのです。
人生棚卸で見えてきたこと
自分の中に、ポジティブなことは必ずあります。
ネガティブだと思う出来事にもポジティブな側面がくっついているものです。それを、思い出すことができたのが人生棚卸でした。
大人になって、会社勤めして、一人暮らしできるようになっても、両親から褒められた記憶は一つもありません。
「あんたに何ができるねん」
大人になってからも、母親によく言われた言葉でした。
だから、結婚話や起業が上手くいかなくなったとき、実の親が信用していない私を、誰が信用してくれるんだ!そんな私にしたのは親の育て方が悪い!!と、心底親を恨んでいました。
ところが、思い出せることを紐解いていくと両親は両親なりにちゃんと私を育てていてくれたことに気づかされました。
そして、私もそれなりにヒドイ仕打ちを両親にしていたことにも気づきました。両親はそれを許してくれているのに、私はずっと執着していました。
執着は気づくことから解放される
逆エンパス気質ゆえに、自我が強すぎるところはあります。
私は、頭で両親の思いや、両親が許してくれていることを受取ってからでも、自分と向き合うまで、何かにつけて両親のせいにしてきたことがありました。
美談にする必要もなく
相性が悪いことを否定することもなく
育ててくれたから感謝しなければでもなく
こういう両親を選んで生まれてきたのは、私だから。
その考え方を受け入れ始めたときから、執着が徐々に緩んできました。
あんな両親絶対に許せない!
と、思うのがダメではなく・・・
自分が自由でラクになりたいなら、そんな両親を選んだ自分を許そう!
能動的に受取ることで、そんな気持ちになってこれたのです。
何て言っても、相当ドМな変わり者ですから、私(^^♪
50代とは言え、まだまだ人生何十年とあるわけです。
だからこそ、これからは自由で気楽にあるがままの自分で生きて生きたい♪
そう思うのであれば、人生棚卸はおススメですよ!
夏休みのように、思い出すキッカケが多いタイミングにぜひ。