映画「コーダあいのうた」から学ぶ勇気
家族の犠牲のなるのが愛?
聴覚障害者の家族で唯一健聴者として生まれた高校生ルビーの人生、家族との関り、社会との関りをコミカルに描かれている作品です。
家族の中で唯一の健聴者であるルビーは、いつも家族と世間との通訳者。
漁に出るのも、病院に行くのも、飲みに行くにも、
手話だけでは話が通じないところには、ルビーの存在が必要です。
ずっとそうして育ってきて、
それが当たり前だとルビーも家族も思ってきたけれど、
これからの人生、進路を考える時期を迎えた高校生。
本当は、歌の才能があるのに、
私がいなくなったら家族が困ってしまう。
家族みんながその葛藤に苦しみます。
家族の犠牲になるのが、家族としての役目?
それが愛なんだろうか?
そう思えることが、すでに恵まれている。
そんな気がしました。
歌は聴けなくても感じるものはある
どんなに周囲の人が認めても素晴らしい歌声であっても、
一番聴いてほしい家族には、その歌声を聴いてもらうことができません。
お互い寂しいだろうなと思います。
しかし、例え歌声が聴こえなくてもお父さんは思いがけない方法でその才能を感じていくのです。家族の誰もがそれを感じて、家族の犠牲にしてはいけないと思うのです。
私たちは、五感が全て使えるからこそ、観たもの、聞こえたものが全てだと思い込んでしまうところがあります。
でも、それって真実を感じ取れてるんでしょうか?
と、尋ねれられたら、ちょっと不安になります。
家族の中で一人だけ違う個性
この家族の中では、健聴者であることが異質な個性。
高校生ルビーも、自分一人だけが、他の家族と分かり合えない気がして寂しさを感じていたりします。
ここまではっきりわかる違いではなくても、私もずっと家族の中に自分の居場所を見つけられなかったのは、ここに理由がありました。
本当は、誰もそうは思っていなくても、子供のときに勝手に自分だけ異質な存在だと決めつけてしまう。
自分は必要のない子供なんだ
こんな自分じゃダメなんだ
もっといい子でいないと
と、思い込んでしまうのは、こうしたことがきっかけだったりしがちです。
親だって不安、神様じゃない
映画の予告編に「あなたが健聴者だとわかって、わかりあえるか不安だった」とお母さんが高校生のルビーに告白するシーンがあります。
子供にとって、親や大人は神的な存在。
何でもできて、何でも知ってて、何でも叶えてくれるから、親が不安だなんて想像もできません。
しかし、自分と個性が違う子供に戸惑う、不安を感じるとしても、それはそうだろうと大人になると理解できます。
誰だって、経験したことないことに不安や怖れを感じるものです。
家族という宿命を受入れよう
私も散々、こんなに私の人生がツラく苦しいのは、両親のせいだ、家族の中に居心地の良い居場所がなかったからだ、と思ってきました。
いえ、そんな可愛いものじゃありません。
相当恨んでました。
表面的には感じてなかったけれど、どうやって思い知らせてやろうかと思っていました。
ひと言褒めてくれたらそれで気がすんだのに、絶対褒めてくれなかった両親や家族。
転勤して家を離れていたので、携帯を変えて、消息不明になれるなと真剣に考えていました。
家族仲良く笑わせるな!こっちから折れたら負けや!と、思ってました。
まさか・・・
自分と向き合って、ようやくあの家族だったから、今のこの私がいるんだなあと思えてるのが不思議なほどです。
高校生のときの私に主人公と同じような勇気があったら、
きっと全然違う人生でした。
家族が本音でぶつかり合うなんてしてこなかったです。
家族でぶつかりあったことがないから、
当然、他の人たちともぶつかりあえない。
一番ぶつかりあえる家族とぶつかるのが怖いのに、
他人とぶつかったら、そうでなくても嫌われて避けられてるのに
本当に孤独で寂しくなってしまう。
それなら、自分の気持ちを誤魔化して、この場を丸く収めよう。
それが、ここまで尾をひくとは、高校生のときには想像もできませんでした。
勇気が出ないのは、環境や条件が整っているから?
勇気ってどうやったら出せるんだろう?って考えたことありませんか?
私もずっと、勇気が持てなかったんです。
自信が持てない。だからこんな自分が何かやろうとか、新しい世界へ挑戦しようなんて怖くて仕方がなかったです。
しかし、今の状況に不満があって、変えたい気持ちが強くても、それなりに生活できてたら、まあ、今じゃなくてもいいか!ってなりがちです。
私もそうなってました。
ところが、そうしているうちに50代に突入。
40代と違う変化が現れてきます。
周囲と比較したときに、自分の状況に愕然としました。
もう、今やらんで、いつやるねん!
勇気というより、もうこれ以上同じ状態が続くのは嫌だーーー!
という、この状況を避けたい気持ちに火が点いたとき、勇気とか思う間もなく自分と向き合うって決めて、プログラムの申込してました。
1秒に1回、勇気を出して進む方を選択する
タイトルやポスターの写真からしても、ハッピーエンドなのが想像できますよね。
そうなんです。
ホントに笑って泣けて、すごく感動する映画でした。
主人公のルビーが自分の夢を叶えるために、やっていたことは、
やっぱり、やり続けることでした。
人間は、1日6万回判断をするそうです。
起きてる間、1秒間に1回の割合です。
無意識のうちに脳が瞬時に判断していることがほとんど。
だから、意識していないと、これまでの知識や経験のパターンで判断されてしまうのです。
勇気を出して一歩踏み出しても、そこで歩みが停まってしまうとするのです。
どれだけその夢や目標をいつもフォーカスしているか?
時間もエネルギーも集中するほど、それが信念になって現実化が進みます。
無意識の判断に気づいたらリルートする
夢や目標に進みたい自分を応援する
今できる小さな一歩を選択しているという意識をもつ
こんなところから勇気が大きな力になっていくのです。
全ては自分が選択しているだけ
色んな家族がいます。
それぞれの家族なりの家族愛が異なります。
サザエさんのような家族が家族なんだと信じ込んでいた私にとって、我が家は全く対局でした。
これも勝手な思い込みです。
そして、だから愛されてない、必要とされてないと思い込んでしまったのもまた勝手な思い込みでした。
身体に障害がある
経済的に豊かでない
両親が揃ってる、そろってない
色んな家族があって、勝手に理想だと思う状態から足りないものを挙げて、だから自分は幸せになれないんだ。と思ってきました。
この考えでいた間は、何をやっても改善しませんでした。
しかし、それは全部自分で決めてること、嫌なら自分の選択を変えればいい!というアドラーの考え方は、めちゃくちゃ抵抗があって、でも、それを受入れたから自分と真剣に向き合えてきました。
だから、いつでも選択し直して自分の人生創造できる!
高校生には戻れないけど、今からでもこのやり方で自分の人生もっと楽しめると思うと、勇気がわいてくるのです。
ここで立ち止まっているのも
ここから一歩前に踏み出すのも
すべて自分が選択していることです。
家族と向き合うのも勇気
他人と向き合うのも勇気
自分と向き合うのも勇気
大切な存在だからこそ、お互いの思いをわかりあおう、分かち合おうとする勇気が大切なんだと、改めて気づかせてくれた映画でした。