人生はクロースアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ
世界の喜劇王チャップリンの名言
チャップリンの名言は数々ありますが、私はこの名言が好きです。
何かの出来事の渦中にいるときは、何でこんなに人生上手くいかないんだ。と嘆きたくなったり、逃げ出したくなった経験は、あなたにもあるのではないでしょうか?
以前にも似たような嫌な出来事が起きたりすると、尚のこと、なぜ自分ばかりがこんな目に合わなくてはいけないのかと落ちこんでしまいます。
それでも、ある時点でそこから抜け出している。
だから、今、こうしてこれを読んで下さっているのだと思います。
わかってしまうと、みんな喜劇
コントでありがちなこと。
眼鏡がないと探す人に、頭に上げてるだろうとツッコミが入る場面です。
本人は、ナイナイと必死。
隣にいる人は、眼鏡が見えているのでその様子が滑稽で仕方ない。
本人には、悲劇。
周囲には、喜劇。
わかってしまうと、みんな喜劇。
人生にも、こんなことよくあります。
わからないから、悲壮的になる。
わかってしまえば、なんだそんなことだったのかで終わる。
ちゃんちゃん。
喜劇俳優ムロツヨシさん
ムロツヨシさんのご両親は、幼い頃離婚されて、ご親戚に預けられて育ったということは、著書でもテレビでも公表されているところです。
子供ながらに、面白い家だなと客観的に見ていたそうです。
そんなところから、すでに人生は喜劇だと悟っていたのかもしれません。
凄く珍しい苗字らしく、本名は公表していないそうですが、先日、あるテレビに出演していたムロツヨシさんをお母さんが、私が産んだ息子だと気づき40年ぶりの再会を果たしたという記事を見ました。
お母さんにしたら、小さな子供を手放さざるを得なかったことは悲劇でしょうが、自分のことを恨みもせず、立派に成長した息子さんと再会できたことはどんなにうれしかったことでしょう。
40年という長い月日
かなりのロングショットですね。
喜劇とは、ワッハッハーと、笑いを誘うだけでなく、観客を笑わせながら人生の真実面を劇だと辞書に記載されています。
なので、この親子の再会も喜劇ですね。
影があるところには必ず光がある
あなたが、もし何かご自身の過去や今抱えている状況が悲劇だとしたら、それは人生の影の部分とも言い換えられます。
しかし、影が落ちると言うことは、光が当たっているところがあるからです。でなければ、影は落ちないのです。
影の部分だけではなく、少し視点を変えて光が当たっている部分を探ってみてはどうでしょうか?きっと、何か違う景色が見えてくるはずです。
人生を喜劇にするために
まだ人生の途中なのでわかりませんが、きっと一生を通してみたら、人生は喜劇なのだと思います。
そのために、どれだけ人生を楽しむか、興味のあることを体験できるのかが大切なのだと考えています。
いっぱい失敗もしてきているし、いっぱい悔しい思いもしてきたし、何でこんなに上手くいかないんだろうと思うこともあるでしょう。
でも、それはあなただけではありません。
私もそうです。そして、きっとそういう人が大半です。
そこに引き摺られて生きるより、それをバネにしてあなたらしく自由に表現出来たら最高だと思いませんか?
心理学者アドラー曰く、人生を変えるのに手遅れはない。前日まで変えられると言います。
映画「最高の人生の見つけ方」でも映像化されていますが、それまでどんなにツラい人生だと思っていたとしても、最後に最高の人生だったと思える出来事が起きたらきっと、あー、いい人生だったなと思えるはずです。
それこそ、すごい喜劇!!
悲劇があるから、喜劇よろこびがわかる
ずっとよろこびばかりだと、それはよろこびではなく当たり前になってきます。すると心底よろこべない。
だから、適度に悲劇が起きて、あー、当たり前じゃなかったなと気づかされるのです。やり方ちがってるよ。考え方ちがってるよ。と気づかされるのです。
渦中にいる間は、なかなかそうは思えませんが・・・
書き出していくと、実は喜びのほうが断然多いことに気がつきます。
折角の人生ですから、失敗しても後で笑える喜劇な人生目指しましょう!
笑えないのは本人だけで、周囲は笑ってくれます。
あ、嘲笑ではなく、大丈夫!大丈夫!と微笑んでくれているはずです。
周りからみれば、全然大丈夫が見えているのです。
カッコ悪さをさらけ出せる人ほど、カッコイイ!
そんな喜劇的な大人な人生もアリではないでしょうか。