ジャッジしないをオススメする理由
このイラストから何を感じますか?
人によって、
色に着目する人もいれば
唇や目のパーツに意識が向く人
そして、表情から誰かを待ってるのかな?とか
あるいは、仲間に入れなくて、みんなが楽しそうなのを見ているだけとか
様々な受け取り方ができます。
あなたは、このイラストから何を感じましたか?
同じ場面に出くわしても受取り方が違う
ご近所の男性はいつも絶叫しています。
「行け――!!」
「ギャッハッハー」
毎日、朝から晩まで時間を問わず、ずっとではないけれど、何かゲームにでも興奮しているのか絶叫します。
私は、この人が今、登場しているのは、人目を気にせずにもっと自由に振舞いたいという願望があるのだなあと受け取っていました。
先日、友人が遊びに来てくれた時にも、雨音にかき消されることもなく、この男性の絶叫が飛び込んできました。
友人は、この男性の叫び声になんか、さみしさを感じると言いました。
同じ場面に出くわしても、人によって受け取り方は違います。
どちらが正しいわけでもない
自由奔放だと思う私と、さみしそうだと感じた友人。
どちらが正しいわけでもないし、私たちがそれを決める必要もありません。
得てして、こうしたいわゆるご近所迷惑な方は、無自覚で自分の存在を誰かに知ってほしいと思っている深層心理があります。
だから、友人の感じたとおり、心の叫びなのかもしれません。
あるいは、そうであるとしたら、何かに捉われているからで、そこから自由になりたい表現が絶叫なのかもしれません。
しかし、色んな要素が絡まっての絶叫でしょうから、答えを一つにする必要もないわけです。
自分の常識という物差し
おそらくこの男性の階上の方が一番この絶叫を耳にされているはずです。
しかし、とても温厚そうなご夫妻で、この絶叫に悩んで暮らしておられるご様子でもありません。
「そんな近所迷惑な人、警察に通報したほうがいいよ」という人もいます。
「あかんやろ、それは」と、ジャッジする人もいます。
そう思うのは、その人の常識という物差しが、その行為は、常識の範疇ではないと言っているからです。
スカッと〇〇が気持ちいい理由
数年前のTV番組で「スカッと○○」がありました。
(ここ1年ほど全くTVを観ないので今も放送されているかもしれません)
電車や、職場、家庭で、「何よ、この人」と思う人に、正義の味方が登場し、ユーモラスに一喝し、撃退するものでした。
私も、好きでよく観ていました。
まるで、現代版水戸黄門のようで、痛快でした。
これが何を表しているのかと言うと、自分の価値判断が間違ってなかった!=正当性を証明できるからです。
そして、多数の人が、やっぱりそうだよな!
と、思うようなものが取上げられているわけですから、もうそれって、常識のお墨付きを得たようなものです。
自由なような不自由
こう言うのを群衆心理と言うのだと思うのです。
みんなと同じであることで安心できる。
あー、自分だけじゃなかった!
と、ホッとするのもわかりますが、そこに寄りすぎるとはみ出た時に、あたふたしてしまいます。
なぜなら、他者と違うと不安になるからです。
そして、自分の感覚を手放し、周囲に寄せていこうとします。
誰もが自由に感じて、自由に発言したり、行動することができるのに、多数派でないと、それをしづらくなるなら不自由です。
お互いが認め合えると自由
話を元に戻します。
ご近所の絶叫する男性について、然るべき方が注意をしたとすると、自分の存在を認められたという経験が生まれ、さらに絶叫するかもしれません。
あるいは、それでもあなたは愛すべき存在だと認められたら、もう絶叫する必要はなくなって、本来の自分に気づかれるかもしれません。
同様に、ベランダから布団を干して叩いたとするとホコリが出ます。
それは、やはり近隣にホコリを撒き散らしているわけです。
みんな当たり前にやってるから迷惑をかけているつもりはありません。
でも、ホコリが苦手な人がご近所にいたら、それはとても迷惑です。
だから、自分も知らないうちに迷惑かけてることもあるし、と、お互いが認め合えるとスゴく自由になります。
少なくとも、自分がそう思えることで、イラッとしなければ波動は落ち着くので、気分も悪くならないし、それに応じた未来を引き寄せることができます。
相手のためでなく、自分のためです!
ジャッジは自己防衛にならない
私たちは、とかく自分の常識という物差しに照らし合わせて、誰かをジャッジしがちです。
しかし、ジャッジして誰かを責めてイラッとしても自分の波動を下げるだけです。
人それぞれ、常識という物差しが違うと自覚してジャッジしないにこしたことはありません。
どうしても、ジャッジしたくなるほどイラッとするなら、そのときは自分の中にその原因があって、気づかせようとしているのだと思って、自分と向き合いましょう!
なぜなら、相手は自分の心を映す鏡だからです。
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