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思い込みは脳の勝手な解釈だ

色だけで南国の花だと思った

桜が終わり、町には様々な花が咲き始めてきました。

どれも色鮮やかで春のお花は元気を与えてくれますね。

さて、この写真の花を目にしたとき、すごく鮮やかなローズピンクだったので、もう勝手に南国の花だろうと思い込んでしまいました。

そして、近づいてみたら「シャクヤク」と標識がついていてビックリ!

あの漢方薬としても使われている「シャクヤク」
こんな鮮やかな色の花だったのだと初めて知りました。

思い込みは勝手なもの

どちらかと言えば、寒さに強く、
どちらかと言えば、内陸が原産地
色は、白色っぽいものも薄いピンクもあるようです。

私が街中で見かけたものは薬用ではなく、観賞用としてビルの公開空地に植えられたものなので、また種類が違うのかもしれません。

それにしても、全く真逆だあ。
本当に思い込みって勝手なものです。

思い込みとは、脳の勝手な解釈

私たちは、すごくたくさんの思い込みを抱えています。
それが、良いように働いてくれることもありますが、、、
往々にして、行動にブレーキをかけることに働く方が多いように感じます。

もちろん、この辺も個人差が大きく出るところですが・・。

今回の花の原産地を思い違いした程度であれば、大勢に影響はありませんが、これが人間関係や仕事のことになると何かと影響が出てくることもありがちです。

そこで、どういう仕組みになっているかをまとめてみました。

今回の花の場合、目から入ったローズピンク色の鮮やかな花という視覚情報が脳の後ろの方で映像を結びます。

それが、信号で記憶を司る側頭葉に届き、過去のデータと照合して、私の場合は南国に同じようなローズピンクの花があったなあと引っ張り出してきたのです。
「きっと、南国の花なんだろう」と勝手な思い込みを持ちました。

そして、その勝手な解釈をつけた情報が前頭葉に届いて、美しいから写真を撮ろうという行動を取りました。
ところが、標識には「シャクヤク」と書かれていたのです。
期待に反した情報に、私の脳は新しい記憶を書き込むこととなりました。

だから、同じ花を見ても、人それぞれ何を感じるか、どういう行動に出るかが変わってくるのです。

地元の言葉を聞くとホッとする理由

ずっと地元にお住いの方でも、旅行に出かけて、地元が近づいてきたときに、駅のアナウンスのイントネーションに「あー、帰ってきたなぁ」と安堵感を感じることありませんか?

私は、地元を離れて生活しています。
先日、戸籍関係の書類が必要で、地元の市役所に電話しました。

もう、イントネーションが地元ならではなのです。
言い回しが地元ならではなのです。
久しぶりの地元の方との会話がすごく懐かしくホッとしました。

これも、脳の後ろでキャッチした感覚(聴覚)が、側頭葉の過去の記憶を経由し、前頭葉で、心地いいからもうちょっとしゃべっておこう。という気持ちになりました。

今では全然平気ですが、20歳頃に勤務していた会社には東京出身の男性社員もたくさんいました。当時は、あの話し方がすごく違和感がありました。忙しいとイライラすることもあり・・・、それもこの脳の仕組みからすると、私の記憶にない情報が不快感を発していたのですね。

豚まんで育つと肉まんになびかない

幼少期からよく食べたのが、豚まんでした。
主要な駅や百貨店、地下街で見つけられるその店舗の豚まんは、出かけた帰りに、母が晩ご飯を作る手間を省くために買って帰ることもあり、家族中が好きなので、よく買って食べさせてくれました。

子供の頃から好んで食べているものも、もちろん側頭葉に記憶として記録されているので、今では、その店舗の紙袋を見ただけで、あの味、触感、匂い全てが蘇ってきます。

それだけ、その豚まんを食べれることが、とても楽しいひと時だったのです。

お陰で、中華街や有名な中華料理店の肉まんが美味しくないとは言わないけれど、どうしても豚まんを抜くことはできないのです。

それは、ただ美味しいという味覚だけではなく、子供の頃家に豚まんあるのを発見したときのよろこびが強烈だったからです。

それもこれも、すべて脳の勝手な解釈「思い込み」だとしても、私の脳はそう自動的にそう反応するようになっているのです。

食は、過去の記憶が蘇る機会

この時期、タケノコが出てくると母が若竹を炊いてくれたのを思い出します。
大きな鍋であく抜きをするところから始まった若竹煮。

大きな器に盛られた若竹煮が美味しくてパクパク食べて、家族が食べる分も残しておくよう、よく母に注意されました。

その母も亡くなり、若竹煮をもう炊いてもらうこともできなくなりましたが、それでもタケノコを見かけると、その記憶が蘇ります。

母は、支度から大量の煮物をして、自分はあまり食べれなかったと思います。私が食べ過ぎて(汗)
でも、自分が食べれないことには文句は言われたことがありません。

そう思うと、愛情をかけて育ててもらったんだと気づきます。

時間を経て、出来事を客観的に見れるようになったから、そう気づけるようになってきたのです。

感情に振り回されていると気づく

私は、子供の頃からこの家族にとって自分は必要ではない存在だと思い込んできました。

だから、愛情をかけてもらっていることもたくさんあるのに、かけてもらえてないと思う記憶が勝って、自分の存在価値がない、消えてしまいたいと思うことも何度もありました。

しかし、脳の勝手な解釈に振り回されてきただけとも言えます。
なぜなら、学校でも職場でも、仲間内でも、上手くいかないことや、言われたくない事、されたくない事に出くわすことがあります。

ストレスにさらされると、自分をどうやって守ろうかと不安や怖れが強まるのは当然のことです。
そのとき、同じようなストレスを最初に感じたのが親だったとすると、やはりそこにネガティブな感情を意味付けてしまいます。

何度も繰り返すほどその思い込みはより強く脳の記憶に刻みこまれます。
そう思えば思うほど、それが現実として現れるので、その負のループから脱出するには、振り回されていることに気づくことです。

気づいて、客観的に状況を判断して対処していくことで脳に新しい回路が作られていきます。

ぜひ、自分に気づく!から始めていきましょう♪






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