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誰にも影響されない安心できる居場所

男性を立てろ!と言われた昭和世代

昭和世代は、年長者、目上の人、男性を立てるように躾けられました。

社会に出ても、男性優位。
これまでが男性社会で、女性は結婚、出産を機に家庭に入るのが当然だと思われていた時代の親や先輩たちから、その常識を教えられてきました。

1985年に男女雇用均等法が施工されても、まだそれは残っています。
同期入社の男性が先に昇格、昇給していました。

あれからもうすぐ40年
それでも、上場企業の女性役員比率は7.5%
まだまだ、男性社会が残っている令和4年です。

平成っ子たちは合理的?

2015年の国勢調査で専業主夫の割合は5%、1万人ほどいたようです。
今はもう少し増えているかもしれませんね。

縁結び大学が実施した20代の男性の結婚観についての調査で、結婚したら専業主夫でもOKと30%もの回答があったという記事を見つけました。

妊娠出産は女性にしかできないけれど、
どちらが稼いできても、どちらが家事を担当しても、
共稼ぎで、家事分担でも
性別ではなく、お互いの価値観や仕事したい度で決めればいいんじゃない。
という、合理的な人たちが平成っ子辺りから増加しているのでしょう。

昭和女性のスタンスは変わらない

時代は変わっても、なかなか子供の頃から身につけてきた常識は変えることができません。

昭和女性は、有職者でも家事は自分がしなければと思う人も多いでしょう。
専業主婦なら、養ってもらっているからと夫婦で上下関係を自動的に作り下に入ってしまう人も多いでしょう。

男性を立てろと躾けられて、心からそう思えているなら良いのですが、せざるを得ないともってやっているなら、苦しみ以外の何物でもありません。

しかし、なかなかそのスタンスは変えづらいもののようです。

パートナーの意向に沿うように自分を合わせる

自分は行きたいわけではないけれど、パートナーに行くぞ!と言われると、合わせてしまうことはありませんか?

行きたくないけど、
行かなかったら、グチグチ言われて面倒くさい
自分が合わせれば丸く収まる

そう思って、自己犠牲してしまう女性は多いのではないでしょうか。
それが、長年積もり積もってツラさのリミットが最大値に上がってくるのです。

根に持つ=過去の嫌な体験を手放せない

逆エンパスさんは、根に持つ、しつこいと言われる特徴があります。

この根に持つのが、嫌な好ましくない出来事なのです。
ずっと覚えてるんです。
それが消化しないまま、どんどん上乗せされていくのですから、リミット最大値になるわけです。

また、我慢強くて責任感が強いので、そんな自分に劣等感や罪悪感を抱いていくわけです。

それを何度もやっていくので、その思考グセが瞬時に執り行われるわけです。

自分が我慢するべき理由を瞬時に探し正当化する

左脳はその思考グセで瞬時に処理ができて満足でしょうが、気持ちはどうでしょうか?

仕方なくそうしているだけですから、満たされることはないのです。
それだとツラいから、自動的に、そうすべき理由を瞬時に探し出すのです。

私のことを思って言ってくれてるのだから、とりあえず行ってみよう
行ったら、きっと楽しいコトがあるはずだ

そう自分を納得させて、自分の気持ちを誤魔化して相手に合わせることを正当化するのです。

誤魔化していると、起きてくること①

モヤモヤして楽しくない
何か楽しくなれないんです。
楽しいコト見つけようとしても見つけられないんです。
何かしようと思っても、気持ちが途中で折れてしまうんです。

そのうち、そのモヤモヤに呼応するように
周りの人たちや社会に対して不平不満を見つけるようになります。
頭の中でいつもそんなおしゃべりをしていると、どんどんそれが脳に事実として刻み込まれてしまいます。

そんな気持ちでずっといると、またモヤモヤするような出来事を引き寄せてしまい、そのループから抜け出しづらくなります。

誤魔化していると、起きてくること②

自分を見失う
自分が何をしたいのかがわからなくなります。
自分が何者かがわからなくなります。
自分でどう判断していいのかがわからなくなります。

すると、また周りの誰かに合わせてしまいます。
さらに、自分を見失うループにはまります。
ツラくて苦しくて、また劣等感や自己否定が強化されていきます。

誰にも影響されない安心できる居場所

ずっと、この思考クセで過ごしてくると、それに違和感も感じなくなるでしょう。
しかし、そもそも、何で誤魔化しを始めたのでしょう?
誤魔化して、何のメリットを得ているのでしょう?

メリットなんてない!と思うかもしれませんが、何か得ることがなければこんなツラい誤魔化しを敢えてしないです。

そうまでして、何を得たいのか?

それは、自分の居場所を確保したい!
からではないでしょうか?

養われていれば、見捨てられたら生きていけないという強迫観念が芽生えても不思議ではありません。
自分一人では生活できないと思うと、それなら相手に合わせたほうが生きていける。そう選択してもおかしくありません。

ところが、居場所は誰かに提供されるから安心できるものではありません。
自分の中にある、自己否定も自己肯定もすべて受容できたとき、何が変わらなくても、誰にも影響されない安心できる居場所が確保できるのです。

ただ、存在しているだけで素晴らしいのだということに気づくのです。

そのために、自分と向き合って、自分に気づく!というプロセスが必要です。まずは、外に向けてきた意識を自分の内側に変えていきましょう!











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