*阪神大震災から30年*
30年が過ぎました。
私は、当時市内で一人暮らし。
マンションの5階に住んでいました。
経験したことのないゆれが私を襲いました。
マンションが倒れる・・・
私このまま死んでしまうんや・・・
瞬間に思った。
掴むところがないままゆれが治まるのを待つ。
急激な寒さと恐怖。
すごく大きな地震だったことがわかり自宅へ電話。
しかし、繋がらない・・・
電気も付かなかったはず。
当時はまだ携帯電話など持っていなかった。
もちろんネットもしていなかった。
しばらくして、実家の両親や兄弟が無事なことを確認出来た。
その日、日勤で仕事に行かなきゃならなかった私。。。
テレビで見ただけでも完全に交通は麻痺状態。
職場に電話しても誰も出ない・・・
誰もまだ職場に着いてなかったようです。
最寄り駅まで行く間にも、余震に何度も見舞われながら
ようやく駅に着くけど電車が動かない。
タクシーも動いていたけど、なかなか掴まらず。。。
ようやくの思いで職場に着くと、既にお昼前だったと思います。
職場に着けば、水道管が破裂してて水浸し。
ボイラー室による修理を経てようやく稼働。
合間にかかって来る神戸からの電話。
当時、透析室で働いてた私。
水が命の透析室が麻痺状態になって大変でした。
頼みのMEさんも、遠方だったので来れず。
近隣に住むドクターがプライミングやらいろいろされてたのを鮮明に覚えています。
まさか、こんな大きな地震が関西を襲うなんて思ってもみなかった。
幸い、神戸に住んでいた母親の叔母も無事であったと聞きました。
ベッドと倒れて来た箪笥の隙間で助かったらしいです。
そして、震災後2ヶ月でしたが救護班で長田まで行きました。
高校が避難場所になってた。
校舎自体も被害が大きく、建物の床にひびや隙間があったのを覚えています。
寒い中、体育館で毛布と段ボールの区切りで生活する人たち。
見た目は壊れていない家でも、「全壊」と判断されて泣く泣く避難させられている人たち。
いくら広い学校といえども、公衆衛生面で不具合が出ていましたね。
たった1泊2日のことでしたが貴重な経験をさせて頂きました。
あらためて
震災で亡くなられた6434名の方々のご冥福を祈ります。
そして、今もまだ癒えない人たちの心が少しでも癒される日が来ることを願っています。