令和源氏物語 宇治の恋華 第四十一話
第四十一話 恋車(三)
忍びやかに訪れた宇治の冬は十一月の初めに例年よりも早い雪をもたらしました。
八の宮が亡くなってからはひっそりと訪れる者も居なくなった山荘はわびしさを増すばかりで、薫が遣わした下男の気配さえもありがたく身に染みる姫君たちなのです。
山の阿闍梨からは習慣のように送られた炭に返すように僧侶達への冬籠りの装束などを贈りますが、今となっては阿闍梨の訪れも無いのは当然の成り行きでありましょう。
人との交わりというものはあっけなく絶えてしまうもので、ましてや進んで人付き合いなどをしてこなかった姫君たちにどうして世間の目が向くでしょうか、忘れ去られる一方なのです。
父君が亡くなってすぐの頃には大君はこのまま山で朽ち果てようと考えていたものの、それが思ったよりも寂しく辛いものだということを知りませんでした。
宇治川は凍てついた氷に閉ざされて以前のような水音を立てませんが、びゅうびゅうと唸る吹雪ががたがたと戸を揺らすのです。
まるで初めて山に分け入ったような心地で姫君たちは身を寄せ合って暮らしているのでした。
沈む姫君たちを慰めようと弁の御許は炭を寄せて語りかけました。
「もうすぐ年が暮れますよ。今年はたいへんな年でございましたが、改まって春がやってくればきっと良いことがありますわ」
「こんなうらぶれた山でなんの良いことなどありましょうか」
そうして美しくうなだれる大君と中君の御姿はつややかで、並々ならぬ美しさです。
大君は寂しさに耐えかねて詠みました。
君なくて岩のかけ道たえしより
松の雪をもなにかとは見る
(父上が亡くなられて山寺との道も絶えてしまいました。雪をかぶった松が訪れ人を待つのをどのようにご覧になっておられるでしょう)
中君はそれに返しました。
奥山の松葉につもる雪とだに
消えにし人を思はましかば
(もしも父上が消えてもまた積もる奥山の松葉に降る雪であったならば、幾度となくお会いできるので嬉しいでしょうね)
また悲しみにうち沈む姫君たちが不憫で、弁はやはり大君と薫君を娶わせて都へ移り住むようなことになったならば、亡き宮さまも喜ばれるであろうと心密かに考えております。
しかし大君のお気持ちは如何であろうかと計りかねるので、なんとももどかしいのです。
薫は己の中に生まれた烈しい恋心に悩まされておりました。
直に言葉を交わしたことでせつなさは募り、どうしてもあの人を自分のものにしたいという気持ちが高まっていたのです。
宇治にて己が呪われた出生を知った薫は御仏への帰依を固く決意しましたが、その同じ地に運命の女人がおられたとはなんたる皮肉なことでありましょうか。
自らを律して恋心を消そうにもそうしたことでさらに燃え上がるのが恋というもの。
ああ、私はいったいどうしてしまったというのだ?
これまで心などは気持ちひとつでどうにでもしてきたではないか。
諦めるなど簡単であったのに、それが大君だけは諦めきれぬ。
目を閉じると鮮やかに浮かぶいつぞやの霧の橋姫たち。
月影に優しく笑んだあの美しい面が、耳元に甦るあの人の気高い声が薫を甘くせつなく苦しめるのです。
まるで御仏に試されているかの如く思われて、煩悶する日々を送っているのでした。
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