演劇制作とわたし #3「わたし」の値段
このnoteを最後に書いて半年後、まさかコラムというかエッセイを頼まれるような身分になっているとは、1年少し経った私は思ってもいなかったのである。
2日で5000PVほど行ったらしい最初の記事
小劇場の制作、ここおかしくない!?制作が抱える問題たちを今語ろう〜お金の問題編〜
http://shibainomachi.com/2016/12/05/0157/
内容としては何の変哲も無い、私の元々いた美術界隈では散々言われ尽くされてきた「タダ働き」問題。
この記事が公開されてからの反響はといいますと、
● 「当日手伝ってください!!交通費出ません観劇できます!」という謎の一斉連絡からは当然外される
● 「ギャラ、いくらでしょうか・・・・」というところから新規のご連絡が入る
● 「あっ記事読みました!!!」と全く知らないところからも声かけられる
という大きさにビビりつつ、「制作なんてパシリにやらせりゃーいいんだよ!」という人々と遭遇することもなく!!お仕事のミスマッチも減っております。よいことだ。
しかしながら。
私は「わたし」の値段をつけること、すなわちギャラ交渉がすご〜〜〜〜〜〜〜〜く苦手です!!!そこ!意外とか言わない!!
「いくらでできますか?」と聞かれて「これぐらい欲しいな」という金額に少し色をつけて(値切られることを前提ね)提示したら失注することもありまして(実話)
じゃあ金額に交渉の余地を持たせないギリギリの金額で最初から提示したら、継続して仕事になったときに値上げが難しいし、何よりギリギリの額というのは、私だけではなく「他の人もその金額が基本料金」であるという業界全体のお金の循環が悪くなってしまうことを懸念してしまう。
あとは、「ゆかりーぬさんは高いから(※自分で高いとは一言も言ってない)」という思い込みでお問い合わせも来なくなるとそれはそれで勿体無いし。ていうか物価上がってるからギャラの定価ももちろん値上げしてますけどダメなの?
あと何より、私は別に「安いからやらない」わけではないんですね。
ヨーロッパのボランティアの案件なんか持ち出しも10万単位だし(飛行機代とか)「そこまで金かけて何やりたいの?」と見られるかもしれませんが、まず何より、「自分の興味が向くところであるか」「自分が納得してやれるかどうか」が一番大事。だって私がやることなんだし。
そして仕事だからこそ、「最初から払う気がない、もしくは安い金額で払ってる気分になってる人とは付き合えない」ということ。
ギャラって、例えば当日スタッフであれば、その日「だけ」の拘束代だけだと思われがちですけど、実際問題「その仕事を受けるために必要な調整」というものはその日の数時間だけでは足りないぐらい個々人それぞれ複雑なものがあるわけで。
会場に行く、その日の予定を空ける、前後に予定が入りそうであれば調整する。そして、当日時間通りにきて仕事を遂行する。
もちろんお金をもらっている以上、やる側としてはやって当然の話なのですが、お金を払う側は「払っているんだから何言ってもいい」と傲慢になりがちなのではないでしょうか。
他人に支払うからこそ、シビアになるし、もらう時も「じゃあ私の仕事はこの値段にふさわしいのか」というのは自問自答してます。自分で自分の価値を測れるほど私出来てない、というのと、でもある程度はお金もらわないと成立しなくなるのジレンマですね。
堂々と「私はこの値段です」と言えるようにならないとな、と思いつつ日々日々精進であります。
私に課金していただいたぶんは私が別のエンターテイメントに課金してそれをまたネタにしますので華麗なるマネーロンダリングとなります。